フォト
無料ブログはココログ

『新日本文学』『同行者大勢』編集後記

*林が書いた編集後記でテキストデータの残っていたものを、面白いので公開しておく。

『新日本文学』1994年11月号

 九月十八日第四回世話人会議のために大阪の芦原地区に行った。各活動者会議の代表が集って全体の運営に当たるのがタテマエだが、一人も来ない会議もある。逆にわが〈在日〉文学会議は、五人のメンバー全員が参席した。今号の編集が任されているという責任感が有ったためかも知れない。
 大阪に行ったついでに、翌日淡路島に足を伸ばした。洲本市在住の作家鄭承博さんに会うためだ。参加者は愛知の磯貝治良・大阪の高村三郎・埼玉の小野悌次郎と林浩治の四人。大阪港から高速フェリーに乗り、話題の関西国際空港経由で一時間半の道のり。着岸すると、ベレー帽を被った鄭さんが待っているのが見えた。窓から手を振ると、気が付いて笑って手を振り返してくれた。われわれは昼過ぎに着いたのだが、この日の朝、淡路には数十日ぶりの雨が降ったそうだ。
 鄭承博さんは七十一歳で曾孫のいる身だが、矍鑠を通り過ぎて、健康そのもの。風邪気味の私(三十八歳)のほうが、弱々しい。車で高台のご自宅に招待して下さった。二間と台所の平屋造りで簡素だが贅沢。余計なものが何もない。書庫は庭に建てられたコンクリート造りだが、蔦がからまって姿を隠している。窓から見える風景は朝鮮の農村のように見える。郷愁を誘うにちがいない。鄭さんはここにひとり住まい。愛妻や家族は街に住んでいる。
 真っ昼間であったが、早速ビールをふるまわれた。昔の弁士を思わせる雄弁に、レコーダーを持参しなかったことを後悔する。小野さんが、玩具のようなカメラのシャッターをきる。作家鄭承博の表情が良いのだ。
 鰈の刺身を御馳走になる。紀淡海峡の速い流れに揉まれて身が引き締まっている。向こうの杜の近くに白髭神社があるというので、鄭さんを置いて散策に出る。道すがら小野悌次郎はニラを摘み、茄子を分けて貰う。茶目っ気タップリで憎まれない人柄なので得をする。渡来文化の跡を確認して帰ると、小野さんは鄭さんと台所の奪い合いを演じ。結局小野さんが味噌汁を造り、うどんを茹でてしまった。
 少し疲労の出てきたわれわれは七時に寝て、十時に起き、また朝方の三時まで飲み直すという破天荒で、もちろん、鄭承博邸の台所に並んだ美酒にも何本か手をつけた。
 その日小野と高村は早朝の船で帰っていったが、磯貝・林は鳴門海峡を見学し、娘さんの喫茶店で珈琲を振る舞われた。鄭さんは犬を散歩させるために毎朝ここに降りて来るそうだ。「一緒に住んでいないと喧嘩しないでいい」とは、羨ましい弁だった。
 鄭承博は逞しい。生きること、書くことに貪欲だ。書きたいことが山ほどあってそう簡単には死ねそうもない。名作『裸の捕虜』を第一巻とする鄭承博著作集は新幹社から発売中だが、この分では巻数がどんどん増えそうだ。
 さて、今号は〈在日〉文学会議編集で、すべてデジタルで入稿。印刷会社での文字入力がなかった分安くあげた。次号は活動者会議編集ではないが、新日本文学賞特集で、針生一郎責任編集である。〈在日〉文学会議の編集は、次は四月頃になる。既に金蒼生氏の短篇を初め、素晴らしい作品が集まりつつあるので、乞うご期待。        (林浩治)

『新日本文学』1995年6月号
○阪神淡路大震災では、市民運動のボランティアも活躍した。朝鮮学校・朝鮮総聯の日本人を巻き込んだ対応の素晴らしさには拍手を送りたい。しかし、我々は軍の治安出動を許してしまった。マスコミが港湾労働者の反戦闘争を非難し、暴力団のボランティアを賛美している間に、施設部隊でさえない自衛隊の装甲車が街角に停まり、戦闘用ヘリコプターが飛び交う事実を公認してしまった。
○地下鉄サリン事件では、堂々と自衛隊が出動した。公安警察はオーム真理教をスケープゴートに、人民弾圧の訓練を公然と行っている。抗議の声一つ挙がらないのは、なぜか。
○今号は昨年十一月号に続き〈在日〉文学活動会議の編集である。日本を開かれた国とするためにも、『新日本文学』を日本人の枠から解き放ち、全ての〈在日〉に開放したいと思っている。
○元秀一の「ユギオブルース」は十一月号掲載の「ソウルソウルソウル」の続編で、作者は短篇連作のつもりのようだが、次作を発表する機会は今の本誌には遠い。
○最終入稿が五月の連休明けという悲惨な状態で、雑誌などは生活の片手間につくるものだと思っている小生としてはいささか不満である。制作費を安く上げ、且つ、誤植の少ない良質の雑誌を作るためにも、会員諸子の御協力を願いたい。
 編集責任者/林 浩治〈在日〉文学活動会議

『新日本文学』1996年7-8月号
▼最近の本誌で、「犬死論争」が清水昭三氏と原之夫氏との間で交わされている。日本帝国主義軍の兵士として死んでいった兵士たちを「犬死」と呼ぶ原氏に対して、清水氏は死者を裁く権利は生者にはない、死者から眺めればむしろ生き残った者の方が「犬生」だというものだ。
 いったい、日本軍によって一方的に侵略され、奪われ、犯された朝鮮・中国をはじめアジアの人民の視点は何処へ行ってしまったのか。あの侵略戦争をユーゴスラビア紛争と重ねて、「戦争にはルールがない」などということを日本人として言って良いものか。ましてや、新日本文学会員としてだ。
 日本軍の兵士たちの死を犬死にしたくなければ、きちんとその罪を裁くべきである。侵略者を夫として、父として、あるいは祖父として、平然として遺族年金を受け取っている者どもこそ、犬生に違いない。
▼戦後日本の知性をリードした雑誌の一つ『思想の科学』が事実上廃刊した。時代は否応なく変わっている。『新日本文学』は中央集権的な会のあり方から、活動会議を中心とした小グループによる運動体主体にと変革して以降、いちじの大危機は避けることができたが、会そのものの存在が問われている事態は変わりない。変革以前の、会員が運動しない体質が会の足腰も頭脳も腐蝕させているのだ。
▼わが会もインターネットにホームページを開き、オンラインデジタルマガジン化を図らなければ……。時代の変革者たらんとするのか、かつて変革者だった先輩たちを顧みて、「昔は良かった」と懐かしみながら旧弊固陋に安住するのか、我々は問われている。
▼今号は<在日>文学会議編集三回目にして一番の冒険だった。常設欄の入稿はとっても遅れた。世話人会報告、書評、同人雑誌評は必ず掲載したい。毎号毎号頭を下げてお願いしなければ、誰にも書いて「頂けない」のだろうか。ふざけるな。(林)

『新日本文学』1998年9月号
◎日本帝国主義の植民地支配の文化的遺産として表裏両面を確認することができる。
 一面は「日本的オリエンタリズム」とも呼ぶべきもので、日本人が植民地で受け取った文化的衝撃や知識をもって構築した文化的遺産である。中島敦、長谷川四郎ら著名な文学者たちの功績をこの範疇に組み入れることができる。中でも民芸運動の柳宗悦や浅川伯教・巧兄弟などはその最たる存在と言えよう。北村巌「浅川巧論ノート」は浅川巧を無批判に絶賛し、「日本」を免罪する論調に批判的なスタンスをとりながら、その業績を継承しようという優れた試みであった。
 もう一面は、植民地支配された側による、帝国主義文化の受容である。これらは親帝国主義的であり、時には抵抗的でもある。朝鮮語の廃止、創氏改名、神社参拝の強要、大日本帝国が朝鮮民族に押しつけた「皇民化」(=日本化)のための手段は数知れない。日本語としての「国語」常用を強いられた朝鮮の作家たちの多くは日本語で書き、日本人としての「国民」を意味する『国民文学』などという雑誌に発表したりした。朝鮮人による日本語文学は二〇世紀初頭にはじまり、帝国の増強とともに発展した。そして一九四五年の帝国の敗北によって、在日朝鮮人文学に受け継がれた。それはまさにアンチ帝国主義文学としての役割を担っていた。北岡敏範の「葬列の彼方」は、殺された側の視点を敗戦後の日本文学が持っていられたかどうかを問う試みであった。そこでは強烈な個性を示して、日本文学的知性を否定する、かなり強引な方法がとられたが、この新鮮な視線が示すものは現代文学の暗黒である。帝国支配の残滓とでもいうべき、戦後在日朝鮮人の生活実態の悲惨さは、肉体感のある文学作品表出の源泉にもなった。在日の父性に対する抗いを、利己的で凶暴な植民地支配に対する抗いの変型として捉えた小野悌次郎の「『血と骨』と『骨片』」もまた、在日朝鮮人文学の抱える深遠な闇の恐ろしい力を指摘している。
 戦後五十年を経て、「民主国家」日本は朝鮮戦争とベトナム戦争の犠牲の上に構築した砂上のビルディングを片手で支えながら、もう一方の手で日の丸の小旗を振っている。なお「在日」は内なる植民地なのである。「在日」は絶えざる「日本化」(=皇民化)の波に揉まれている。かつての「日鮮一体」運動は今日では「共生」という甘い言葉に代えられて、日本国家のほころびにアップリケのように貼られまくっている。李龍海の詩「アリランを歌うな」は、日本の支配体制に対する痛烈な批判であり警鐘である。   (林)

『新日本文学』2001年5月号
▼私ごとだが、昨年新日本文学会からエッセイ集を出したおり、菊池章一さんがこんなメッセージをくださった。許しを得ないで引用してしまう。
 〈ことに書名がいい。あなたは承知でつけたのだと思いますが、「まにまに」についてはこんな話がありますね。おもしろいのでうつしておきます。
 聖武のころ、親も妻子もほうり出して山にこもり、倍俗先生と号して聖(ひじり)気取りで気侭に暮らしている男がいた。山上憶良が三綱五教をおしえてやろうと歌をつくった。
 父母を 見れば尊し 妻子(めこ)見れば めぐし愛(うつく)し世間(よのなか)は かくぞことわり もち鳥の かからはしもよ 行くへ知らねば うけ沓を脱き棄(つ)るごとく 踏み脱きて 行くちう人は 石木(いわき)より 生(な)り出し人か 汝が名(な)告(の)らさね 天へ行かば 汝がまにまに 地ならば 大君います この照らす 日月の下は 天雲の 向(むか)伏(ぶ)す極み たにぐくの さ渡る極み 聞(き)こし食(お)す 国のまほらぞ かにかくに 欲しきまにまに 然(しか)にはあらじか
反歌
ひさかたの なほなほに 家に帰りて 業(なり)を為(し)まさに
   (万葉集 巻五 八〇〇 八〇一)
 億良がこの歌をつくったのは七二八年、彼はその五年後に死んでいます。臣民の自由は天にしかないもの、地上は天皇だけが自由だと説いた憶良に抗して、あなたはまさに民衆の自由をこの本のタイトルとしたのです。〉
 もちろん、「承知」ではなかったが、人に本のタイトルの意味を問われたときには、これを引用することにしている。教養高い先輩からの頂き物は、素直に受けておくべきだ。わたしは「民衆の自由」を命題としたのだ。その自覚を忘れることはない。
▼今号は本来新日本文学賞特集号であったが、菊池章一という会を代表する批評家の逝去を受けての特集を兼ねることになった。誌面の都合で佳作と選評の一部を次号に回さざるを得なかったことを記しておく。
 そういったことに関係して、入稿が大変遅く、校正の時間を充分に取れなかった点について、執筆者および会員・読者諸兄姉にお詫び申し上げる。
▼京都の立命館大学で開催された「東アジアの平和と人権国際シンポ」については、本号で高地耀子が書いているが、現代史の出発点としての「戦後」東アジアの国家テロルを、国際的かつ学際的そして運動史としての視点から糾明していこうという極めて貴重な運動である。多くの会員がここに結集している。
▼アメリカによる国家テロルが中東の民衆に加えている被害は甚大である。真のテロリズム国家とはアメリカやイスラエルのことを言う。そんなおりテレビで、イスラエルで徴兵拒否運動を闘っている青年たちがいることを知って、頼もしく思った。
▼例年の花粉症に加えて、今年は足腰の神経痛に悩まされ、通っている整形外科や接骨医院でうつぶせになり、永井荷風の最期のような姿で、電気をかけられている。 (林浩治)

『新日本文学』2003年5月号
▼会の解散に伴って新日本文学賞の授賞も今回が最後となった。第一回・第二回が受賞者なしで、一九六三年の第三回になって、土方鉄「地下茎」、高岡英太郎「黒い原点」、佐木隆三「ジャンケンポン協定」に同時授賞された。その後、高野斗志美、波佐間義之、永山則夫らを輩出した。私の記憶に残るのは、三浦正輝「消せぬ風音」、西内駿「『キョウドウゲンソウ論』異聞」、神園麟「ボルバの行方」、詩では松岡政則「家」が鮮明だ。昨年の国本衛「再びの青春」は受賞が全国紙に掲載され、社会的話題になった。
▼アメリカ軍事帝国のイラク民衆に対する凄惨な虐殺が始まった。これは武器商、および石油利権と、戦後の復興という経済利権をめぐる、「戦争」という名の強盗行為に違いない。豊田直巳氏のレポートと写真は、劣化ウランという有毒廃棄物を、異教徒の抹殺に「有効」活用している「ブッシュのアメリカ」の非人道性を物語っている。行動する作家石田甚太郎は八十歳にしてとうとうアフガニスタンにも行った。
▼デジタルネットワークで知り合って集団自殺する若者達がいる、命が惜しくなかったら、地雷の一つでも採ってこいと言いたい。
▼特集「〈在日〉文学の全貌」を組むことが出来た。「在日」作家・詩人を網羅的に紹介する、このような企画はこれまでになかった。磯貝治良の評論を除けば突っ込んだ批評はないのだが、それでも北原文雄「鄭承博」、北村巌「李恢成」、細見和之「金時鐘」、李銀子「李良枝」などそれだけでも一つの短編評論として評価に値するものが掲載できた。全体として、どこまで「在日」作家・詩人を網羅できたかは良く分からない。不十分だったに違いない。不足に対する批判は甘んじて受けたい。が、取り上げた作家・詩人、併せて九十四名にも及んだ。現代日本が単一民族文化でなりたつ社会ではないことの証と言えよう。
▼窓から見える満開の桜が風雨に晒されて、散った花びらが地面に這い蹲っている。今年は雨の日が多い。生あるものはすべて土に帰る。
花冷えや雨に擲たれる音も静か (愚銀)

『新日本文学』2003年6月号
■総務庁が第三種・第四種郵便物の廃止を発表した。これが実現したら、『新日本文学』の発行も危ぶまれる。
■今号は、現代詩「あいうえおの会」編集の特集と、新日本文学賞佳作作品の掲載によって構成され、またまた増頁申し訳ありません。
■有事立法が閣議決定され、日本の軍国化・右傾化がまた一段と進む。小泉内閣は民主主義の破壊と「平成新国家主義」体制形成のための構造改革に邁進している。
■パレスチナ人民に対するイスラエルシオニズム政権による虐殺は目に余る。イスラエル軍は、パレスチナから即刻退陣せよ! 
■女性の首に鎖を巻いて監禁していたおぼっちゃまくんが逮捕された。毎月の小遣いが四十万円とか。資産家の親を逮捕せよ。
■新日本文学会では、読者諸氏の小誌に対する感想・意見を待っている。投稿文は「読者の頁」などに掲載されることがある。(林)

『同行者大勢』第8号 2010年12月
○私が『同行者大勢』第8号編集に立候補したのは、二〇〇九年一〇月だった。そのときは遅くとも翌年の九月には発行できるだろうと高を括っていた。しかし、思うとおりにはいかなかった。『同行者大勢』は、一九八七年七月に創刊して以来、一九九四年までの八年間に6号を発行した。しかしその頃既に学校運動は低迷していて、第7号発行までには十五年の歳月を経た。二〇〇八年五月にやっとのことで第7号を発行したものの自前の雑誌発行を継続する力はそう簡単に出てくるものではなかったのだ。
 今号は前号に比べるとだいぶ薄い。実は第6号も小生が担当し、薄い雑誌を作った。受講生の作品中心の本来の姿に戻したつもりが、不評でその後十五年発行されず学校運動も低迷したわけである。今回も同じ轍を踏みかねない。が、そうしないためにも次号の編集も立候補した。五月末を〆切としたいので学校生・交友の皆さんは努力して頂きたい。
○電子出版急成長の現在、紙の雑誌を作るのもどうかと思う。文学は形のないものだ。始原は口承文芸なのだから、インターネット上での発表でも良いのだ。けれどやはり形のある雑誌を作りたいという気持ちはなんなんだろうか。
○埼玉文学学校は、今期からカリキュラム編成を大幅に変更。土曜の昼間に「作家との午後」を設けた。九月に招かれた詩人長谷川龍生さんは、詩を書くにはインテリジェンスが必要だ、としたうえでインテリジェンスとは「裏情報」のことだ、と言った。マスコミの垂れ流す似非情報に惑わされることなく真の事実を知る努力をしてこそ詩人といえよう。
 十月の小沢信男さんの講座では、永井荷風や佐多稲子を例に、場の移動による立場(ステイタス)の移動が文学作品に繋がっている話をされた。私たちの作品がどれだけ「場」と「時」を意識して書かれているか。反省すべき点は多い。
○大河の流水のように、日々印刷され出版され、流されていく雑誌や出版物の大量に比べれば、私たちのこの薄っぺらな雑誌は、蛇口からたれる一滴のしたたりに過ぎない。おそらくは喉の癒しにさえならないだろう。だからといって一滴の水に価値がないなんて、誰に断定できようか。『同行者大勢』の文学的価値は私たち自身が知っている。
 『同行者大勢』第2号の編集後記から、筆者の許可を得ないで勝手に引用したい。〈書店に並ぶ文芸書ではなく、私たちが感じたり考えたりすることをなんとか表現してみようと、原稿用紙に向かって苦心するその内面の営みそのものが文学なのだとあらためて感じます。〉
○表紙とイラストは文学学校の古い仲間である野村寿孝氏にお願いした。滑稽味と哀愁と、温もりのある作品群は、同時に社会に対する虚無と、どこか深い孤独を感じさせる。優れたイラストレーターである野村さんの文学・芸術に対する思想は揺るぎない。それは彼が『同行者大勢』第2号の編集を担当した二十二年前から変わっていないのだと思う。(林)

『同行者大勢』第9号 2012年1月
○二〇一一年三月一一日は日本史の一つの区切りとなった。「識者」の想定を超えた地震は実際に起こり、多くの命が奪われた。「福島」は「フクシマ」として世界中に名を馳せた。原発事故は終息のめどが立たず、放射性物質が放出され続けている。福島県内にとどまらず、関東でも、雨水が溜まっただけでも危険なほどの放射能反応が現れる。
 三・一一以前と以後では違うのだと、歴史学上の区分だけではない。実際私たちの生活が変わったと実感しているのは編集子だけではあるまい。『同行者大勢』第9号掲載の作品にも三・一一は反映されている。巻頭の言葉は、気仙沼で震災に遭った文学学校の旧い仲間が送ってくれた。北川玲子と小島恒夫の作品はそれぞれ震源地から少し離れた埼玉から三・一一を考える試みの表現だ。黄英治・小池純一・愚銀の作品もそれぞれ三・一一に触発されている。私たちは三・一一を経て今、何をすべきなのか考え続けている。
○被災地に大量の書物が送られて被災者の迷惑になったと聞いた。かたやAKB48の訪問コンサートは被災した方々に積極的な影響を与えているようだ。文学に直接的な効果はあり得ないと、改めて実感する。
○地震だけではない。小泉以後の格差社会での不況と貧困は、文学にも反映している。文學界新人賞同時受賞の二作はともに主人公が不況に苦しむ会社員。大阪文学学校出身の馳平啓樹「きんのじ」では、主人公の会社が倒産する一方で、化学防護服を着たアイドルグループの人気が上がっていく。形而下をしっかり捉えながら形而上の情況を描く手法に関心した。
 今号掲載の作品の中には、良いものもあるし、そうでないものもある。批判する向きがあるかも知れない。敢えて批判を銃弾を受け、次号への戒めとしたい。
○小沢信男さんに薦められたので早速、山本義隆『福島の原発事故をめぐって』を読んだ。読みやすい、分かりやすい、みすず書房だから地味だけど安い(一〇〇〇円と消費税)。フクシマがなくっても原発は危険だということが良くわかる。原発は、稼働中はもちろん、廃炉になっても放射能を排出し続けている。著者は原発がクリーンだなんて「ブラックユーモア」だと言い切る。建設から廃炉に至るあらゆる過程、「ウラン鉱石の採掘から使用済み核燃料の最終処理にいたるまでの全過程で放射性物質の環境への放出は防ぎ得ない」し、膨大な石油エネルギーを使用して、地球温暖化に悪影響を与え続けているのだ。この本、人類と核エネルギーの関係を文明史論としても語っていて興味深い。
○また、発行が大巾に遅れた。野川義秋「写真」にある「この正月」というのは二〇一一年のことである。夏に発行されていれば丁度よかった。第8号の編集後記に〆切を五月末と書いたのに、実際には十一月末まで待った。震災もあったが、それにしても遅くなりすぎた。次号は是非とも八月までには〆切にしたい。                 (林)

『同行者大勢』第10号 2013年3月
○前号は殆どの作品に3・11が直接反映していた。今号には、例えば「民主政権」の腐敗や「自公政権」の復活が直接反映しているようなことはない。しかし、人民の貧困化や資本主義的価値観に対する抗いが見え隠れしている。
○齊藤金藏の詩「飛翔」は、労働者が使い捨てられる現状を書いている。「夢の文学学校生活」というオチがつく。宮部和子「座敷ワラシの棲む家」は孤立する精神の不安を描いているが、それは現代日本の不安そのものであるかのようだ。
○学校のイジメや、スポーツ界の暴力体質が報道されるようになった。暴力支配で試合に勝利する組織を作り上げる指導者が優秀だと評価され続けてきた。こうしたスポーツ界の体質が生んだ金メダリストが強姦犯罪を犯した。指導者と若い選手との関係が歪んでいる。暴力が横行し、性的関係に至る場合も少なくないと発表された。「これが日本だ。わたしの国だ」東京オリンピックなんて片腹痛いわ! 
○スポーツ界だけではない。企業においては、ハラスメントで「成果」を上げさせる成果主義がまかり通っている。
○アイドルの丸刈りっていったい何だ。異常な光景だ。ファンが恋愛しないアイドルを本当に求めているなら、そいつらは狂っている。アイドルを商品としてしか見ないプロダクションも、暴力支配するスポーツ界と同質だ。
○中国の大気汚染は周辺国にまで及んでいるが。「白猫でも黒猫でも」金儲け出来りゃいいという発想が、地球を亡ぼそうとしている。革命を忘れた共産党が「海洋大国」って、アメリカを模倣して恥ずかしいと思わないのか。
○東電はまったく腐りきっている。嘘を嘘で固めて既得権益から手を離さない。次々と嘘がばれても東電幹部は恥と思わないのだろうか? 恥知らずの奴らのために電気代金が上げられ、あまつさえ国税が使われているのだ。
○文学学校はいつも岐路に立っている。長年使わせていただいた根拠地=「市民文化センター」から撤退しなければならなくなった。四月から新たな船出が始まる。せいぜい沈没しないようにがんばりましょう。
○韓国の若い人気作家キム・ヨンスはこう言う。人と人との間には深くて暗い深淵がある。越えることの出来ないこの深淵の向こうに向かって話しかけるが、言葉はむなしく深淵に落ちていく。しかし、その深淵に落ちた無数の言葉が「私」を小説家にしていく。
○書く意味とは何か? 生きる価値とは何か。文学学校はいつもそんなことを考えている。
○いつまで寒いのか。北風も強いし、花粉も飛ぶし、近眼なのに老眼が悪化して近くも遠くも見えない。おやじなのに冷え性で手足が冷たい。これではNK細胞も元気が出ない。筋肉は衰え、贅肉は蓄えられた。どこか南の国に移住したい。
○『同行者大勢』は二十五年かけて、やっと一〇号に至った。次号があるかどうかは、皆さん次第です。             (林)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/571716/61490746

この記事へのトラックバック一覧です: 『新日本文学』『同行者大勢』編集後記:

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)