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2024年5月31日 (金)

安重根

谷譲次の安重根
「安重根―十四の場面」

 キム・フンの『ハルビン』(新潮社)を読んだ。『ハルビン』は安重根を描いた小説だ。安重根とは伊藤博文を射殺した独立運動家として韓国では周知されている。日本では知る人は少ないが、初代総理大臣伊藤博文を殺したテロリストとして語る知ったかぶりもいて、歌手のBoAや東方神起らが安重根義士記念事業会に5000万ウォンを寄付したさいには、反韓ネトウヨ界隈が騒いだこともある。反韓ネトウヨの反「韓流」の根拠にもなっている。
と書きながらも『ハルビン』についてはここには書かない。
Photo_20240531224802  ここで紹介したいのは谷譲次だ。谷譲次が「安重根―十四の場面」という戯曲を書いているからだ。谷譲次は知られるだけの資料は読んだ上で「安重根」を書いた。そして明治の元老にして初代総理大臣である伊藤博文を殺した朝鮮人を、たんにテロリスト「犯人」に仕立てた訳ではない。しかしやはり実際の安重根とは異なる像だったかも知れない。
 谷譲次の「安重根」はアナーキスト的だ。そして伊藤博文を殺害すべきかを悩む。〈上っ面な賞讃と激励で玩具にされているような気がして、〉同志たちから担がれることに自尊心が傷つく。
 谷譲次の安重根は、実在した安重根ではなく谷譲次の創造物だ。谷譲次の安重根は、谷譲次自身を反映した自由人だ。属することを嫌っている。反骨の精神で大日本帝国に抗しているが、民族を背負うことにも違和感を持っているし、伊藤博文を殺したところで独立運動は活性化しないだろう、と思っている。何故か。
 谷譲次は本名を長谷川海太郎という。1900年1月生まれ35歳の短い生涯だったが、3つの筆名を使い分けて書いた凝縮された作家人生だった。
 長谷川海太郎は、米国体験記「めりけんじゃっぷ」物で知られる作家谷譲次でありながら、「丹下左膳」を書いた時代小説家林不忘でもあり、犯罪実録小説や家庭小説を書き翻訳もやった牧逸馬でもあった。
 父親長谷川清は、1871年佐渡の相川に生まれ自由民権運動の強い影響を受けたという。佐渡中学の教師で寄宿舎の舎監も務めていた。このときの生徒に北一輝がいた。新潟新聞に和歌を寄稿するなど文化活動に熱心だった。母由起は儒学者葛西周禎の長女だった。
 長谷川清は1902年函館に移住し名を「淑夫」と改め、「世民」と号して『北海新聞』『函館新聞』などでジャーナリストとして働いた。長谷川世民として民本主義・普通選挙を論じ、トロツキーにも言及していた。そのペンは反骨で、1910年に不敬罪、1917年には選挙違反、1919年には新聞条例違反で逮捕されている。
 谷譲次である長谷川海太郎は、長谷川世民の第一子として新潟県佐渡郡赤泊村に生まれた。海太郎が1歳のとき、父に従って一家で函館に移住した。海太郎は幼児期から父に英語を教えられ、国際色豊かな港町函館で海外への憧れを胸に育ち、小学校の頃から文才が注目されていた。
 海太郎は、函館中学三年在学中の1917年、学内ストライキを首謀して落第して上京する。明治大学専門部に入学したが、大学の勉強に飽き足らずアナーキズム的社会主義者として著名だった大杉栄の家に出入りしていた。
 1920年、明治大学専門部を卒業。単身渡米しオベリン大学に入学するが、2ヶ月で退学してアメリカ各地を放浪した。食堂のボウイ、召使い、香具師、鉄道の下働き、ホットドック売りなどをして働き、IWW(世界産業労働者組合)に入っていたこともある。ピジンな英語を駆使する日本人「メリケンジャップ」として活躍したのだ。
 1923年、イギリス行きの貨物船に乗り込み、途中から乗り換えてオーストラリア行きの貨物船に石炭夫として乗り込んだ。そこは「人種混合国際社会」だった。

Photo_20240531224801 谷穣次は日本国家を背負って生きていなかったし、自分が日本国家の一部だという自覚を持っていなかった。ただ彼は自分が日本(にっぽん)に生まれたということ、そして自分は日本人だということの自覚を持ち始めていた。……
 そしてその自覚は、このアメリカでの四年間の間に彼の心の中に育ってきたものであった。繰り返せばそれは、日本国家への愛でもなければ、日本国家の一部であるというアイデンティティの自覚でもなかった。行政組織としての国家からはなれて日本と日本人への愛と自覚であり、アイデンティティであった。
                       (室謙二『踊る地平線 長谷川海太郎伝』p.156)


 海太郎はオセアニアから北上し大連で脱船し、朝鮮半島を経て1924年7月頃帰国した。この後、東京と函館を行き来して『函館新聞』などに執筆した。翌年から本格的に執筆活動を始め、谷譲次・牧逸馬・林不忘名を使い分けた。
 谷譲次は古い観念や体制の常識に囚われない創作の自由を生み出していった。
 1928年中央公論の特派員として訪欧の途上、哈爾賓駅に立ち寄る。
 哈爾浜駅に降り立った谷譲次は、そこで伊藤博文の死を連想し、映画の一場面を想像した。〈最初スクリンいっぱいに、失踪中の汽車の車輪を大きく見せて、つぎに字幕。〉
 このときの興奮が「安重根」を書かせる契機になったことは容易に想像できる。

ここはその朝、外套に運動帽子といういでたちでレスナヤ街二十八号の友人金成白の家を出た安重根が、近づく汽車の音に胸を押さえながら、ぽけっとのブロウニング式七連発を握りしめたという椅子である。殺した人も殺された人も、もうすっかり話しがついて、どこかしずかなところでこうして私達のようにお茶を喫んでいるような気がしてならない。
                                 (谷譲次『踊る地平線』)

 この文の初出は、1928年『中央公論』8月号、「安重根」の発表は、1931年同誌4月号だ。しかし「安重根」は単行本に収録されることも上演されることもなかった。
 日本文壇の日本語に徹底的に反対しバカにしていた谷譲次ならではのモチーフだったのだ。
Photo_20240531224901  長谷川海太郎は筆名林不忘で「釘抜藤吉捕物覚書」を書き、歴史的事実とは異なり時代考証を無視した時代小説を打ち出した。そして隻眼隻手の悪漢ヒーロー「丹下左膳」で大衆小説のみならず、歌舞伎、映画とヒットさせ大衆芸能界を席巻した。
 長谷川海太郎は、「谷穣次」名で実話・雑文、メリケンジャップもの。「林不忘」名で捕物帖などの時代小説、「牧逸馬」名でミステリーや家庭小説を執筆し、どの名でも流行作家だった。
 1935年6月29日午前10時鎌倉に建てたばかりの自宅で脳溢血のため急死した。
 室謙二は優れた評伝『踊る地平線 メリケンジャップ 長谷川海太郎伝』にこう書いている。


外国で使われる日常的日本語を、意識的に日本国内に逆流させることによって日本語に一つの可能性を吹き込もうとした。……日本語は変容させていいのである。変容させるべきなのである。そしてその日本語を変える力は日本国内であれ、日本国外であれ、日本人であれ外国人であれ、日本語を自分が生きるための大切な道具として考え、使っているすべてにあるはずだ。 p.201

 最後に海太郎のキョウダイたちについても簡単に触れておきたい。
 ちなみに、谷譲次の「安重根」を収録した黒川創編集の『〈外地〉の日本語文学選2 満州・内蒙古・樺太』に「家鴨(あひる)に乗った王」も収められているが、作者の長谷川濬は谷譲次(長谷川海太郎)の弟だ。濬は満州で役人になったり映画協会で働いたりしながら創作活動をした。
 「家鴨に乗った王」は、満州国という人造の社会で真実の自由を求める乞食の王が、町が建国祭で賑わう中静かに死んでいく、というものだ。(初出は、『満州浪漫』第二集 1939.3)
 他に『満州国各民族創作撰集1』(1942.6)に収録された「烏爾順(ウルシュン) 河」などがあり、バイコフの「偉大なる王」の翻訳も手がけた。濬は満州を拠点とした作家だった。
 海太郎のキョウダイはそれぞれ文化界において活躍した。長谷川世民の第1子が海太郎、第2子は画家で地味井平造として探偵小説も書いた長谷川潾二郎。第3子が上述の長谷川濬、第4子は小説家の長谷川四郎だ。四郎の下にキョウダイ唯一の女子玉枝がいた。
 長谷川四郎は知る人も多いと思う。満鉄調査部に就職、1944年に召集され翌年ソ連軍の捕虜となってシベリヤに抑留された。その経験は後に『シベリヤ物語』などの小説に結実している。
 1950年に帰還し「張徳義」、「鶴」などの小説を書き、また映画にもなったアルセーニエフの『デルスー・ウザーラ』の翻訳もした。
 長谷川キョウダイは昭和には珍しい越境性の強い越境志向の作家だった。ただし川村湊は『満州崩壊』において(長谷川濬についてではあるが)、満州国の「五族協和」という幻想への共鳴だった、と書いている。肯んじざるを得ない。時代の制約である。
 しかし、日本人の書いた創作として安重根を書いたものは、戦前戦後を通して他には見当たらない。日本の国家体制が犯罪者としか見ない安重根を芸術化するのは困難だ。そういう意味では谷譲次は時代の制約どころか、日本人の制約を遙かに超えている。
 メリケンジャップ谷譲次は、安重根という魅力的な素材を事実を超えて人間らしく描いた。さて韓国のベテラン作家キム・フンの描いた安重根は如何に。

【参考】
室謙二『踊る地平線 メリケンジャップ 長谷川海太郎伝』1985年 晶文社
松下竜一『ルイズ 父に貰いし名は』1985年 講談社文庫
黒川創編『〈外地〉の日本語文学選2 満州・内蒙古・樺太〉1996年 新宿書房
川村湊『満州崩壊』1997年 文藝春秋
川崎賢子 江口雄輔監修『谷譲次』1995年 博文館新社
谷譲次『踊る地平線』(上)(下)1997年 岩波文庫

2024年5月12日 (日)

金由汀『セーチャメ』『金由汀短編集』

辺境から辺境へ伝達される民俗
金由汀『セーチャメ』『金由汀短編集』社会評論社

 昨年(2023年)在日朝鮮人女性作家金由汀の小説が2冊上梓された。在日女性文学誌『地に舟をこげ』や、大阪文学学校出身者の同人誌『白鴉』などに発表された作品をまとめたものだ。作者は1950年生まれのベテラン作家だが、本になり不特定の読者を得る意味は小さくない。

Photo_20240512212701  『セーチャメ』は前近代を引きずる土俗的な因襲と、植民地化による近代への変化の過程を、ムーダン(巫女)という被差別者の娘として生まれた三姉妹のそれぞれの生涯を通して描いた力作。『セーチャメ』のタイトルは韓国語で「三姉妹」ほどの意味だ。
 三姉妹の母親ミンスッは済州島出身の放浪巫女で、1903年の晩春長女のウォルミを連れてウラジオストクから清津(チョンジン)に着き、巫堂(ムーダン)として祈祷しながら済州島に辿り着いた。済州島でミンスッが住み着いたのは兔山村(トサンマウル)という因襲に満ちた村だった。
 妊娠していたミンスッはそこでウォルゲを産み、3年後にはウォリが生まれた。セーチャメの父親はそれぞれ違った。この小説に出てくる女たちは、とにかく男に犯される。女たちもそれを当たり前のように受け入れる。ないしは諦めている。ミンスッの3人の娘たちもそれぞれほぼ強姦されて妊娠する。相手が誰かなどほとんど問題にならない。孕めば産むだけだ。
 長女であるウォルミの父親は王族の血をひく両班の息子を自称していたが遊び人で働かない。色白で背が高いウォルミも気位が高くすましている。自分では男を弄んでいると思い込んでいた。老人の妾になったが子供を産み落とすと逃げた。京城(ソウル)に辿り着くが都会ではウォルミの魅力もかすんで、売春しか生きるすべがなかった。
 次女のウォルゲは肌は白いが日に焼けて黒かった。ネズミや虫を平気で手で捕まえる逞しい少女だった。父はウラジオストクの男だったためか、瞳は薄茶色で時折青くなった。
 ウォルゲは済州島の女らしく力強かった。自分の意志で生きていこうと思い家を出て海女になった。済州島の女性は雨露さえしのげる場所と畑があれば、畑を耕しながら海に入った。ウォルゲは子供を産んでから後には日本に出稼ぎに行き海女をしたり商売をしたりして生きたが、北朝鮮に帰国して寂しく死んで行った。
 ウォリはおとなしい性格で霊感があり、母に従って巫女になった。
 物語は前近代の原始的民俗が残る20世紀初頭の済州島から、戦後の朝鮮、日本、朝鮮民主主義人民共和国の老人ホームまで広がる。大阪の朝鮮人部落の様相や在日朝鮮人の逞しい暮らしが描かれると同時に、北海道への徴用、たこ部屋の悲惨な様子などまで広がる。
 ミン・ジン・リーの『パチンコ』よりずっと歴史的リアリズムに長けている。

Photo_20240512212702 『金由汀短編集』に収録された諸篇は、主に日本を舞台にして在日朝鮮人の像を描いている。ただ、その様相は一様ではなく単純化もされない。あるがままの複雑を描く努力が成されている。
 特徴的なのは、朝鮮民主主義人民共和国訪問団や北朝鮮が描かれたことだ。
 「イカ釣り」は祖国訪問団を乗せる万景峰号が舞台だ。同乗する李俊一は10歳で北朝鮮に「帰国」した「キーポ」だ。平壌音楽大学大学院で学んだエリートだが、日本のラジオ放送を聞いていたのを密告され査問された。自己批判を強要された俊一は不穏分子の摘出と日本での資金調達を指令された。万景峰号は日本で仕事をしての帰路だった。船縁では油にまみれたランニング姿の乗務員たちがイカ釣りに熱中している。李は共和国のエリートとしての矜持で底辺の彼らと違うのだと自分を納得させようとしていた。
「タンポポ」でも万景峰号は重要なモチーフだ。純子は祖国訪問団の一員として万景峰号に乗った。父李顕成は事業に失敗して33年前に朝鮮民主主義人民共和国の帰国事業で帰国している。顕成の兄家族は一家揃って帰国していたが、母や純子姉弟はついて行かなかった。
 純子は25年前、在日朝鮮人の歌劇団が祖国公演したさいにその一員として、痩せて白髪になっていた父と再会していた。顕成は朝鮮で再婚、妻玄末順とのあいだに息子光烈があり、光烈は妻と娘三人の暮らしだ。顕成の死後、墓を守っているのは光烈だ。
 今回の祖国訪問は父の骨を分骨して持ち帰るためだった。墓参にサムシンと呼ばれる神房(シンバン)が同行するなど、社会主義国だとは信じがたい迷信が北朝鮮にも生きている。
 純子は父の好物だったタンポポのナムルを、北朝鮮でも食べていたと知り懐かしさを感じた。
 「蛇の穴」の明子も万景峰号で北朝鮮を訪ねた。父の母である祖母が35年前の1971年に北朝鮮の養老院で亡くなっているのだ。祖母は叔母たちと住んでいた。
 明子は祖母の墓土を削って持ち帰るが、病室の父は表情を変えない。
「タンポポ」でも「蛇の穴」でも、北朝鮮の親族は日本の親戚に経済的援助を頼む。帰国した在日の親戚と日本に住む同胞との関係が垣間見える。
「むらさめ」の主人公明子は「蛇の穴」同様に親が済州島出身だ。明子は大阪で居酒屋を営んでいる。夫は働かないで妻が働くのが当たり前という済州島出身「在日」あるあるが語られる。
 ここでも、寺でムーダンが踊り転げ回る様子などの民俗が描かれ、古き在日朝鮮人の生活、風習、因襲が書き残されたとも言える。また、在日方言が多用される点も注目に値する。
 この小説は重層的な差別もモチーフの一つになっている。韓国のなかでも陸地(本土)に差別される済州島、その中でも明子の母の故郷である最南端の村は差別されていた。仕事嫌いでのんきな夫は明子を所有物思っているなど女性差別も背景にあって差別の構造は複雑だ。
 中国東北部朝鮮族自治区から日本に留学して来た青年の実体を描いた「翔べないガチョウ」では、借金までして日本に来たがアルバイトの生活に疲弊していく。
 主人公は〈これが、あの、皆が羨む輝かしい外国の留学生活か?〉と思い悩む。日本に来てから犯罪者になった者、逃げていく者、不法就労のまま金儲けに励む者を見ているからだ。
 外に、韓国に留学中にスパイとして逮捕されてしまう青年を描いた「一一三番」、朝鮮市場のキムチ屋で働く女性たちの事情を描いた「黒柿」など、在日朝鮮人を描いた佳作を集めていて好感が持てる。
 在日という辺境は北朝鮮や朝鮮族自治区という辺境、また歴史の狭間で見失われそうな時間軸の辺境に繋がっているのだと読まされた。
 残念なのはやや雑なところか。細部まで神経の行き届いた文章とまでは高望みはしないまでも、もう少し丁寧に作って欲しかった。罪は作者4割、編集者6割である。

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