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2024年3月12日 (火)

チョン・ジア『父の革命日誌』橋本智保訳 河出書房新社

愚直な人― チョン・ジア『父の革命日誌』を読んで考えたこと、連想したこと

Photo_20240312194401 『父の革命日誌』は、生涯社会主義を信奉し、最後は電柱に頭をぶつけて死んだ父コ・サンウクと、その葬儀に集まって来た人々の姿を、娘であるアリが語った小説だ。宗教二世ならぬ主義者二世のナラティブでもある。
 作者チョン・ジアの邦訳は『歳月』があるが、その静謐な文体とは一転、ユーモラスで回転速く語られる。
 アリは弱音を吐いたことがない。泣いたこともない。〈これがまさにパルチザンの娘の本質なのだ。〉と思っている。
 骨の髄までアカである父は自分で選んだから仕方ないとして、アリはアカの娘に生まれたかったわけではなく、生まれたときから貧しいアカの娘だった。オヤガチャにはずれたのだ。
 アカの子どもは普通の人間と親密にしてはいけない。アリは32歳になるまでメイクはおろか、スキンケアすらしたことがなかった。恋人ができて結婚直前まで進んだが、恋人の親にアカの娘だと知られてご破算になった。
 父がアカであるということで、家族や親戚中が被害を受けた。この国は反共軍事独裁国家「大韓民国」である。今は民主化したとはいえ、少女期をアカの娘として過ごしたアリの苦難は想像に難くない。「家族」の範囲が日本より広いせいか親戚も苦労させられた。甥は陸軍士官学校に合格していたのに身元調査で入学がかなわなかった。
 父がパルチザンになって多くの同僚を殺されながら闘った歴史的背景には、済州島四・三事件や麗水・順天事件などがある。麗水・順天事件を起こした反乱軍は、制圧されたあと残党が智異山に籠もって闘いを継続した。そのとき、父も山に入ってパルチザンとなった。母も同志だった。この韓国現代史については読者諸氏が各自調べて欲しい。
 〈労働者と農民が主となる世の中を夢見て戦った〉はずの父なのだったが、父は労働がまったく苦手で、草取りの2時間にも耐えきれずに帰ってきては焼酎をあおった。農作業は本で学んだ通りには行かなかった。
 妻にセックスを断られて朝までやけ酒を飲でいたという回想などは滑稽ですらある。そうした父をアリである私は「前職パルチザン」と称している。
 この小説、三日も続く韓国の葬式の実態を読むことにもなる。何しろ人が集まり飲み食いする。生き残ったパルチザンの同志たちが全国から来る。父はパルチザンの一員とは言え、有名な革命家ではなく、非転向を貫いた闘志でもなかった。実は組織再建のために「偽装転向」をしているのだが、それを知っているただ一人の同志は北朝鮮に行ってしまったので証言はできない。それでも民主化した韓国、国会議員や大学関係者、出版社などから二十基余りの花輪が並んだ。
 母のパルチザン時代の同僚の娘が何かと世話を焼いてくれる。従姉妹たちも親切だ。エホバの証人の信徒も来るし、右翼の老人も来る。アリの教え子たちも手伝う。
 社会主義者で唯物論者だった父は、生前自分も貧しいのに、私的所有を批判してきたためか、「大衆」に分け与えてしまう人だったし、村の人たちのためにお節介を焼く人だった。
 頭を金髪に染めた高校中退の少女は父のタバコ友だちだった。少女の母親は、〈アメリカに勝った世界で唯一の国〉ベトナムの出身だ。
 また父は、担当だった情報課の刑事と冗談を言い合い酒を酌み交わしたりもした。(ちなみに現代日本でも、担当の公安刑事が定年前の挨拶に来たなんて話を聞いたことがある。)
 アリは逮捕され拷問を受けた前職パルチザンの父ではなく、実直に村人と付き合ってきた父の実体を確認していく。
 失敗だらけの人間が嫌いで人と付き合いたくないアリに、父は答えた。人間だから失敗し、人間だから騙し、人間だから人を殺し、人間だから赦す。なんだか名言だ。
 父コ・サンウクは実直を越えて愚直な、お人好しな社会主義者だったに違いない。そういう人は確かにいる。騙されやすい人だ。
 そういう愚直をお人好しのバカと思うか、芯の強い意志の強い人間だと思うかは人によって違って良い。
 愚直と言えば、徐勝(ソ・スン)さんの『獄中19年』(1994年7月 岩波新書)に崔夏鍾(チェ・ハジョン)という人についての記述がある。
 徐勝さんはソウル拘置所から大邱の特舎に移送されると、すぐに激しい暴行を受けて萎縮していた。励ましてくれたのが崔夏鍾さんだった。
 崔夏鍾さんは朝鮮戦争を人民軍政治軍官として戦った。彼は1961年、38度線の北側「朝鮮民主主義人民共和国」から南派して「大韓民国」に潜入した。朴正煕配下の将軍だった叔父崔周鍾(チェ・スジョン)を訪ねて、南北統一のために力を合わせるように説得した。
 まったくお目出度いにもほどがある。もちろんすぐに逮捕された。以来1998年3月に釈放されるまで囚われの身の長期囚だった。
 2000年6月に朝鮮民主主義人民共和国へ送還され、当地で祖国統一賞を受賞した。存命かは知らないが祖国統一を否定する金正恩政権下では彼も彼の家族も心配だ。
 キム・ハギ『完全なる再会』にも崔夏鍾をモデルとした人物が登場する。
 こういう人を愚直と言うのだと思う。
 安保法制が騒がれた頃、2014、5年頃のことだが、家の前を3人の高齢女性がデモ行進していたことがある。彼女らが立ち止まってハンドマイクで安保法制反対を訴えるのをベランダから見ていたら、郵便受にチラシを入れていった。
(安保法制の強行採決は、国民主権の基本原理に違反し立憲主義を否定して、集団的自衛権の行使を容認する暴挙だ。戦時の後方支援拡大や武器使用拡大、自衛隊の海外における武力行使に道を開くものだった。安保法制以来、日本の平和主義はぐだぐだだ。)
 そのうち家を訪ねてくるようになり、しばらくして赤旗日曜版を購読することになった。いまでも集金にきているが、80代後半のお歳だ。娘さん等ご家族が車で送ってくることもある。共産党員て大変だよね。愚直でないとできないと思う。
 中野重治にこんな詩があったのを思い出した。

共産主義者の受けたのとは別な 共産主義者の親であるものとしての迫害に堪えたその人たち
そして息子たちに先き立たれさえし 白髪となり
いまは墓のなかへと行ったその人たち
ああ この登録されなかつた人たちのためどんな切子に今夜灯を入れようか
                         (「その人たち」部分)

 この詩は息子が共産主義者だった場合だから、パルチザンの娘であるチョン・ジアともアリとも逆の立場だけれど同じですね。
 以上『父の革命日誌』を読んで連想したことでした。

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