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2024年3月 1日 (金)

高史明『夜がときの歩みを暗くするとき』「弥勒菩薩」「邂逅」

「在日朝鮮人文学」ないしは「パンチョッパリ」文学としての高史明初期小説

 昨年7月、作家高史明が死んだ。91歳だった。高史明は山口県下関市生まれの在日2世で、自らの少年期を描いた少年向けの読み物『生きることの意味―ある少年のおいたち』(1974年12月 筑摩書房)で多くの読者を得た。また『歎異抄』など親鸞のことばを媒体とした人生論作家として知られる。
 しかし、その作家としての出発は小説だった。
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 高史明の最初の作品『夜がときの歩みを暗くするとき』(1971年6月 筑摩書房)の主人公境道夫は日本人だ。広島の被爆孤児で、共産党に救われ生きる意味を見いだしていたのだが、1950年代前半、分裂共産党時代の暴力革命指令に翻弄され、また「人妻」である泉子との恋愛関係を組織に糾弾されて苦悶する。

 一方で民族革命と日本共産党の活動との狭間で悩む朝鮮人の友人金一竜らも登場する。しかし作家自身の心情を写したのは、むしろ日本人である境のほうだ。その点を小田実や金時鐘は批判的に見ていた。
 高史明の視線は朝鮮民族に向かっていない。高史明にとっての「朝鮮」とは父であり、故郷下関の朝鮮人部落であった。朝鮮半島の南にも北にも実感を持てなかった。
 とはいえ高史明は法隆寺の仏像を観たり、朝鮮の文学に接したときには〈自分のなかにある特殊な感情、あるのめり込みの感情が起きる〉(『彼方に光を求めて』1973年 筑摩書房)。朝鮮を発見し、朝鮮を求めているのだ。しかし高史明の朝鮮は単純にナショナリズムとは結びつかない。
 高史明は1950年代前半の分裂共産党の不幸な時代に、自己の倫理観や愛や善悪を超越して組織から下された指示に依存し、組織との一体感に心酔していた。しかし結局は朝鮮人であることによって組織を放り出された。
 この体験を通して高史明は、属して依存することの危険性を実感している。高史明にとって「ナショナリズム」とはそういった意味をもった。ナショナリズムは高史明の拠り所とはならない。
 しかし作家デビューした高史明は、周囲から朝鮮人作家の一人として認識され、評価された。小田実らによって朝鮮人の登場人物の視点で書かれた方が良かったと指摘されると、高史明はそれはたんに作者の力不足だと応えている。(「書評 高史明著『夜がときの歩みを暗くするとき』」『人間として』7 1971年9月)
『夜がときの歩み~』は季刊文芸誌『人間として』創刊号(1970年3月)から4回に渡って連載され71年6月に出版された。『人間として』7号に、合評形式の上記書評が掲載され、小田実・金時鐘・高史明・柴田翔・真継伸彦による「〈討論〉ことばと現実」でも取り上げられた。
 同討論で金時鐘は高史明について〈彼は朝鮮語を深層心理の中にもっていないと言いながら、自分の言語の体質感として、すでに朝鮮語をもち続けているということではないかと思うのですよ。〉と、かなり穿った見方を披露した。ここで金時鐘は主人公が朝鮮人でなく日本人であることに不満を唱えた。〈私たち自身は私たちを書くということにもっと徹するべきではないだろうか? とりもなおさず在日朝鮮人の文学が自立し得るゆえんでもあるわけだが……。〉と言うのだ。
 こうした偏狭な民族主義的文学論に高史明は音を上げた。そもそも悪童だった高史明は小学校の苦手な勉強のなかでも作文が一番嫌いだったと言う。母のいない、日本語のうまくない頑固な父との貧しい暮らしで、自分を書くことに引け目を感じていたのだ。在日朝鮮人知識人とは付き合いがなかった。たんに朝鮮語を知らなかったし、日本語作文の訓練もできていなかった。
 高史明が『夜がときの歩み~』を書いたのは民族意識ではない。組織で査問されながら、その自分を組織原則で守るために、彼の理解者である別の党員を積極的に査問し、日和見主義者として猛烈に批判した過去への罪障感のためだ。この主題の大きさに主人公を朝鮮人に設定する必然性を、高史明は確立できなかった。
 それでもその後、朝鮮人を主人公とし在日朝鮮人の抱えたものを描いた作品を、高史明は2点発表している。『人間として』7号(1971年9月)に発表された「弥勒菩薩」と、『季刊三千里』3号(1975年夏)に発表された「邂逅」だ。

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「弥勒菩薩」の主人公洪英泰は密航者だ。

 英泰は少年期に父に連れられて朝鮮に帰り、長閑な田舎で暖かく迎えられたが、朝鮮戦争が始まって徴兵された。英泰の部隊は〈共匪〉追討のために英泰の部落を襲った。英泰は引っ張り出された従兄を銃殺しなければならなかった。それから2ヵ月後、英泰は軍隊を脱走し、故郷を捨てて日本へと密航した。
 九州の貧しい朝鮮人家族が密航者の彼を匿ってくれた。女一人で六人の子どもを養っていた母親は、英泰が不安定な密航者だから固持しても、娘の徳子を嫁にくれたのだった。
 英泰は東京で小さな製本所に勤務していたが、依然として登録のない密航者のままだった。英泰は在日朝鮮人のどんな組織にも属しておらず、いつ逮捕されるか分からない無国籍の密航者としての不安を抱えていた。徳子が妊娠すると、無国籍者の立場では育てられないと、無理矢理堕胎させた。
 徳子は情緒不安に陥った。英泰の不安が徳子に反映したに違いない。徳子は精神錯乱を激化していき、刑事に追われる妄想に苛まれていた。
 英泰は徳子を慰めるために京都旅行に連れて行く。京都で訪れた寺の仏像の前で徳子は一心不乱になる。救いを求めて、弥勒菩薩が現世に現れるまでの年月「五十六億六千九百九十九万七千五百」を唱える姿はすさまじい。
 この仏像は、作中には明記されていないが広隆寺の弥勒菩薩半跏思惟像だと推定できる。
 また主人公が朝鮮人の組織と無関係である点は作者である高史明自身を反映している。
 密航者の悲哀が主題だが、追い詰められた精神描写の背景に、韓国のファシズムや戦後日本の不安定な雰囲気も窺える。

Photo_20240301222701  もうひとつの短篇「邂逅」は在日朝鮮人の主人公が、生まれ育った町を訪れた話だ。河求泰は大阪で小さな焼肉屋を営むが、16歳の時に離れた北九州の海辺の町を24年ぶりに訪ねた。彼ら朝鮮人部落の子どもたちが遊んだ風景はなくなっていたが、旧友石文植は暖かく迎えてくれた。
 石文植は日本人妻と二人の子どもとの暮らしで、韓国籍を取得していた。日本への帰化も図ったが拒否されていた。
 河求泰は、朝鮮人と言われながら朝鮮を外国のように感じていた。石文植は生まれ育った日本のこの町が自分の故郷だと言った。
 北朝鮮へ「帰国」した友もいた。しかし、河求泰にとって〈この土地が、この土地の風と空が、彼の故郷であった。たとえ、それが異国の地であっても、この土地をしっかりと両手に抱きしめるほかないのである。彼は、静かに首を横にふりつづけながら思う。おれは、この土地から、出発するほかないのだ……逃げることはできない、おれの悲哀は、この土地とともにある。〉
 こうした感傷は、済州島生まれの金泰生や、大阪生まれとは言え朝鮮と身体的繋がりの深い金石範、そもそも済州島から逃げてきた金時鐘とは異なる。李恢成のサハリン、梁石日の大阪猪飼野のように高史明の下関は故郷として存在した。
 小説「邂逅」は高史明の極初期の作品だが、「祖国」に向かうスタンスを象徴した作品と言える。

 高史明は言う〈わたしは、朝鮮人の一人である。わたしの社会的いとなみは、外国人登録証の登録番号第182877号と切れたところにはない。〉(「明日への断想」『季刊三千里』2号 1975年夏)
 この時点で高史明のアイデンティティーは外国人登録証にあった。
 高史明は、日本人ではないが朝鮮人とも言えない「半チョッパリ」つまり半分日本人野郎という悪罵に自己を見いだしていた。高史明は在日朝鮮人の組織にも縁遠く、同世代の李恢成のように祖国の統一や韓国の民主化に意識の多くを割くことはなかった。
 その上高史明は暴力に溺れた悪童であったし、自らが批判されたことば「日和見主義」で他人を貶める者であった。日本共産党の活動家であったが、朝鮮人であるが故に排除され、朝鮮人の組織からも敬遠されていた。そして12歳の息子に自殺されるまで、息子の苦悩に気づかずにいた親であった。(けいこう社Webマガジン「在日朝鮮人作家列伝 06高史明」を参照されたし。)
 最初の自伝的作品「歎異抄との出会い」三部作の第三部『悲の海へ』(1985年10月 径書房)の冒頭は『教行信証』の引用から始まる。

一切の群青海(ぐんじょうかい)、無始よりこのかた乃至今日今時に至るまで、穢悪汚染(えあくわぜん)にして清浄(しょうじょう)の心なし。虚仮諂偽(こけてんぎ)にして真実の心なし。

 高史明が穢悪汚染たる自身を受け入れるまでには時間がかかる。しかし1970年代前半、つまり愛息岡真史を失う以前に小説を書いた営みこそ、高史明の踏み台になったに違いない。
 高史明が傾倒した親鸞の思想については、筆者も考える点が少なくないが、それを語る任ではない。

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