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2024年1月23日 (火)

キム・ヨンス『七年の最後』橋本智保訳 新泉社

書き残せる者は書け
キム・ヨンス『七年の最後』橋本智保訳 新泉社
Photo_20240123155701  書くことによって救われる、生きることができるという境遇は幸福だ。書かないことでしか命が保障されないとしたら、どうすれば良いのか。
 書かない詩人はいない。
 『七年の最後』のキヘンは自分が詩を書いていることをベーラに告白した。北朝鮮の人には絶対に見せないようにと言葉を添えてノートを渡した。
 モスクワに戻ったベーラは国立映画大学にリ・ジンソンを訪ね、翻訳して貰うためにキヘンから預かったノートを渡してしまう。リは美しい朝鮮語で書かれた詩だと言ったが、ノートを持ったまま行方不明になる。
 詩人白石(ペク・ソク)については、アン・ドヒョン(五十嵐真希訳)『詩人白石 寄る辺なく気高くさみしく』を読むまでほとんど知らなかった。『詩人白石……』に書かれた通り、キヘンである白石は人生の後半を詩人としてではなく羊飼いとして送った。
『七年の最後』は白石の主に後半生を描いた。白石は田舎で教師をしながら詩を書いて暮らしたかった。現実には詩作はままならず、ロシア文学の翻訳をしたり通訳をして糊口を凌いでいたが、やがて極寒の館坪協同組合の畜産班に配属され、羊飼いの任務を負わされて生涯を送った。
 小説はロシアの詩人ベーラから始まる。ベーラはゴーリキー文学大学で学んだ女性だ。ゴーリキー文学大学と言えば、日本人として初めて卒業した奈倉有里の『夕暮れに夜明けの歌を』を思い出す。ロシアの政治指導者が新自由主義者であれ国家主義者であれ、ロシア文学の価値は下がらない。
 ベーラの故郷はスターリングラード(ヴォルグラード)だ。ロシア人が誇る「大祖国戦争」で廃墟になりながらナチス軍を破った都市である。ロシア愛国主義のアイコン的歴史だ。逢坂冬馬『少女同士よ敵を撃て』でも背景に描かれた。
『七年の最後』の政治的背景は、朝鮮半島の南北分断統治であり、スターリン個人崇拝からスターリン批判への政治史推移のなかにおかれた北朝鮮という場だ。そこは朝鮮戦争後、対抗勢力の排除が進み、金日成絶対化が構築されつつあった。日本では、共産党が主流派(所感派)と国際派に分裂し、幼稚な軍事路線に走り人民の支持を失っていった時期だ。
 主人公キヘンは朝鮮半島が南北に分断された後、北側を選んだ文学者の一人だった。多くの詩人・作家たちは身の置き所を探して南へ北へと移動した。南側でアメリカが立てた李承晩政権が南北分断統治を推進し、南側で競争者を抹殺していき独裁権力を振るった。そこに民主主義も人権の保障も執筆の自由もなかった。
 ソ連や北側の社会主義政権が民主的・民衆的だと思った多くが北に残ったり、わざわざ越北した。この小説では李泰俊や韓雪野をモデルとした人物が登場する。
李泰俊こと尚虚(サンホ)は粛清された反動的作家として、韓雪野は作家同盟委員長秉道(ピョンド)として、金日成体制に沿って粛清する側として、しかし白石を庇護する立場でもあった。秉道がいなければキヘンは僻地で生きることさえままならなかったに違いない。
 北側に行って、粛清されたり消息不明になったりした文学者は、李光洙、李石薫、金億、林和など限りない。韓雪野も後に粛清されている。体制に従順に書くことも簡単ではない。
 では政治に関わらずに生きられるだろうか。もとよりキヘンが望んだことだが、誰も政治と無関係に生きてなどいけない。
 純粋文学作家だった尚虚は「思想検討」で追い詰められた。もともと政治的作風ではなかった尚虚は書けないことで糾弾された。
〈一九五八年、平壌の人々にはまったく自由がなかったというのは、こういう脈絡からだった。彼らは言われたとおりに聞いたり見たりしなければならなかった。また言われたとおりに話さなければならなかった。〉
 政治方針が方向を変えれば上部は態度を変えることができようが、下の者は慌てる。
政治と無関係に生きることなど誰にもできないが、「政治的人間」も存在し得ない。体制派作家である秉道でさえ葛藤のなかに生きていた。
 在日二世の作家高史明(コ・サミョン)は日本共産党の活動家だった1950年代、恋愛を党に認められず「思想点検」を受け、党の軍事方針に疑問を抱いていた態度などを日和見主義として指弾された。日和見主義を自己批判し、同志の査問に積極的になったとき、党は暴力主義の排除に方針転換して、彼は極左冒険主義と言われた。
 しかし高史明の場合はそれが本人にとってどんなに切実な問題だとは言え、組織内のことだ。
 尚虚やキヘンたちの場合は国家から受ける点検であり、直接に生命の問題だった。逃げ場がない。
 キヘンはベーラ歓迎の晩餐に出席を命じられた。1957年6月のことだ。キヘンは秉道とベーラの通訳を担った。秉道はベーラの故郷スターリングラードを讃えた。しかしベーラはスターリングラードを誇らしく思っていなかった。
 キヘンは思う。秉道の言う芸術には陰影がなく真っ白に塗り潰した絵に過ぎない。
 ベーラに託された詩の書かれたノートは政治に搦め捕られて、キヘンの思想の「反動性」は権力者の掌中にあった。
 政治権力を操る者は、自らが生き残るために容赦がない。彼(ら)がどんなに立派な人格者、成果を上げた革命家だったとしても、英雄として祭り上げてはいけない。英雄は要らない。わたしたちは「指導者は必ず裏切る」と知るべきだ。
 農夫となったキヘンは、手紙や詩を書きたいだけ書き、暖炉にくべた。〈一篇の詩を書き、読み、紙を破って暖炉に入れ、その炎を眺め、〉彼は満ち足りた気持になった。これまでの生涯に書いてきた詩も、新しく書いた詩も同じように燃えて消えた。
 この小説は、詩とは何か文学とは何かと問いかけてくる。この薄汚れた政治社会で生きるとはどういうことなのか。キヘンは書けない詩を書き続けたに違いない。
「作家のことば」「訳者あとがき」までしっかり読んで欲しい。

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