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2023年10月10日 (火)

斎藤真理子『本の栞にぶら下がる』

詩人の読書は、ペンを持たない

斎藤真理子『本の栞にぶら下がる』岩波書店

Photo_20231010141501  愚銀のブログに書いたパク・ソルメ『未来散歩練習』の書評に、この小説を語る上での大事な要素を省いた。それは小説の主人公で作家の私が、マルタン・デュ・ガールの『チボー家の人びと』を読んでいて、そこに登場するジャックらをあたかも友人のように感じ、私の生活とリンクしているという点だ。
 パク・ソルメ自身も小説の登場人物さながらに『チボー家の人びと』に愛情を感じていたのだろうなあ、と思っていたら、翻訳した斎藤真理子もこの長編小説にはだいぶ思いが深いようだった。『図書』に連載してこのほど上梓された『本の栞にぶら下がる』の第1回と2回に渡って書いている。
 あとで聞いた話だが、『チボー家の人びと』の翻訳出版を手がけた白水社から、自作『未来散歩練習』の翻訳が出版されたことに、パク・ソルメ自身喜んだそうだ。
『本の栞にぶら下がる』には、翻訳者斎藤真理子ではなく文学少女からおとなの読者になるまでの斎藤真理子の読書遍歴の一部が、美しく描かれている。
 その読書は思想としての「韓国文学」を構築する底辺に蓄積され土台となっていたと言えるかも知れない。ここで書かれたのは必ずしも有名な作家詩人ばかりではない。
 朝鮮を歌った詩人後藤郁子の読者はそう多くはない。抵抗の詩人として知られる石川逸子は最近〈戦前、たとえ詩であっても、皇国思想に楯突くことは相当な覚悟を必要としたであろうに、敢然と立ち向かった詩人夫妻がいた。〉(「邪悪なる植民地支配 詩で抗う」東京新聞2023年10月8日)と書き、後藤郁子の詩「或る朝鮮少女に」を紹介している。
 斎藤真理子は、その石川逸子の以前の言葉を借りて、「或る朝鮮少女に」を「朝鮮へのすぐれた恋歌」として、茨木のり子の戦後の詩「七夕」と並べて示した。「七夕」は茨木夫妻が散歩していると、焼酎の匂いをぷんぷんさせるステテコ姿の男性が振り返る。喧噪の絶えない在日朝鮮人の家と、古代以来もたらされた渡来文化の恵みとを結びつけて連想させる詩だ。
「七夕」への思いも、後藤郁子夫妻の紹介もじつに的確で染みる。
 小学生のころから茨木のり子のファンだった斎藤真理子は、大人の読者として自らを振り返る。
 茨木のり子は「ハングルを学び」韓国の詩を日本の読者に翻訳紹介した初めての日本語母語者詩人だったが、斎藤は韓国語で詩を書き韓国で詩集を出した韓国語詩人でもある。1990年代初めソウルに滞在した1年2ヵ月のあいだに生まれた詩をまとめて2018年に上梓している。(詩集『단 하나의 눈송이(ひとひらの雪)』)
 同詩集のあとがきで、論文や新聞記事だったら韓国語で書くことはできなかったろうけど詩だから書けたのだ、と書いている。詩は内側から生まれ出てきた言葉だから未熟でも書き留められたという意味か。詩人の素質を表したのだろうと思う。
 斎藤真理子は20代初めから「あ、」と思った詩を万年筆でノートに書き写してきた。これが大事だなあ、とつくづく思う。書く行為こそ文学心を育む。振り返るならば、悪筆で早くからワープロを使っていた自分の文学的無能を感じざるを得ない。
 このエッセイ集で初めて知る詩人もあった。中村渠(かれ)は沖縄の詩人だ。中村渠は詩集を出していない。大城立裕が作った私家版が沖縄県立図書館にあるのみで、斎藤はそのコピーを取り寄せて、自らも作っていた中村渠の詩をコピーした綴りと並べて見る。
〈中村渠の路地が、朝鮮にも通じていた〉。
 斎藤は、この無名の詩人を朝鮮の有名な詩人鄭芝溶(チョンジヨン)と並べた。
 鄭芝溶は北原白秋主宰の雑誌『近代風景』に日本語詩を投稿していた。同時期に中村渠も投稿していて、斎藤真理子はこれらをコピーしていた。白秋と斎藤は母語の異なる、朝鮮と沖縄という日本に支配された地域の詩人の、〈風通しの良い、端正な、一語一語が粒立つような詩〉に気づいていた。現代史に飲み込まれて死んだ二人の詩人を、斎藤真理子はこのエッセイで追悼したのだ。
 考えてみれば追悼集なのかしらとも思う。林芙美子と郷静子、漱石と李光洙、後藤明生と李浩哲、永山則夫、長璋吉、田辺聖子、森村桂等々だ。マダム・マサコには知識も経験も追いつかない。
 斎藤は編み物しながらも本を読む。思いもよらないことだ。(不器用ですから。)実はこのエッセイの冒頭で、斎藤と同郷の作家高野文子の『黄色い本――ジャック・チボーという名の友人』という本を紹介している。主人公は田家実地子といって読書と編み物が好きな女の子だ。同じ新潟の高校生で同じように『チボー家の人びと』の読者だった斎藤真理子の内心に与えた影響は想像に難くない。
 筆者は、斎藤の前著『韓国文学の中心にあるもの』について、斎藤真理子の読書は地下茎のように張り巡らされている、と書いた。このエッセイ集も縦横に地下に伸びた根から、地上に芽吹いたものだ。
 ちなみに筆者も本を読むとき付箋を立て、黄色マーカーを使う。しかしこの本は装丁の素朴な美しさに遮られたのか、書き込みしないと決めて読んだ。斎藤真理子謙虚なり、汚すべからず。

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