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2023年8月 9日 (水)

イ・グミ『アロハ、私のママたち』李明玉訳

結婚移民女性たちが切り開いた道
イ・グミ『アロハ、私のママたち』李明玉訳 双葉社

Photo_20230809112001  イ・グミの『アロハ、私のママたち』はタイトルのとおり、ハワイに生きる女性たちを描いた小説だ。ハワイを背景にした韓国の小説としては、去年(2022年)翻訳出版されたチョン・セラン『シソンから、』(斎藤真理子訳)がある。『シソンから、』は朝鮮戦争時に家族を虐殺されて、逃げるように最後の写真花嫁としてハワイに移民したシム・シソンにまつわる物語だった。シソンが闘い切り開いた、女性が虐げられず、男性が虐げることのない知的な社会への道を、ハワイを訪れた子孫たちが確かめて行く。
 『アロハ、私のママたち』の主人公たちが朝鮮を発ったのは1918年、シソンより30年以上前だ。シソンの親の世代で、最初期の「写真花嫁」としてハワイに移民した女性たちの物語だ。
 中心になるのは、慶尚南道金海(キメ)に近いオジンマル村に住む没落両班の娘ポドゥルと、その友だちで村では金持ちの家の娘ホンジュ、被差別的立場である巫堂(ムーダン)の家の娘ソンファの三人だ。
 ポドゥルは義兵に出た父を亡くし、兄も殺され、普通学校を2年の途中で辞めて家事や弟たちの世話をして暮らしていた。
 仲介人の話によると、ポワと呼ばれていたハワイは遊んで暮らせるほど豊かで、縁談の相手も若い地主でポワに行けば楽に暮らせるばかりか、学校にも通えるという。
 朝鮮の女性は古い身分制度に縛られ、男尊女卑の思想に抑圧され、日本に蹂躙されるという二重三重の迫害を受けていたため、このまま故郷で暮らして生きる希望を持てない娘たちには写真花嫁は希望に思えた。写真花嫁たちはそれぞれ固有の事情も抱えていた。
 日本を経由してやっとの思いでポワに着いて見ると、待ち受けていた男たちは、親か祖父ほどの年齢で、過酷なサトウキビ畑で働く農業労働者たちだった。彼らは虚偽の年齢、職業、収入で写真花嫁を募集していた。
 写真花嫁たちは泣く泣く結婚して嫁ぎ先に発って行った。三人もバラバラな地域に嫁ぎそれぞれ苦労して生きるが、後には再会して助け合うことになる。
 ポドゥルの夫テワンだけは若かったが、独立運動ばかりに熱心で家庭を見返ることがなく、ついには中国に行ってしまう。
 日本に迫害される朝鮮から、楽園と思ったハワイにやってきた娘たちだったが、そこも侵略の歴史と差別の横行する社会だった。
 ハワイは王国であったが、1895年1月に女王リリウオカラニは逮捕廃位され、1898年8月、アメリカ合衆国の準州とされた。
 ハワイの土地は白人に合法的に奪われ、サトウキビやパイナップルの農場では、白人農場主たちが先住民労働者を酷使していたが、輸出拡大につれ労働者不足になり、日本人などを使うようになっていた。
 朝鮮人労働者は日本人に較べて少数だったが、日本人労働者が賃上げや待遇改善を求めて争議を繰り返したため、スト破りとして使われることもあった。朝鮮人たちは労働者同士の連帯よりも、日本に対する民族的恨みを選択した。
 ハワイは階級闘争と民族矛盾、民族差別が錯綜して、分裂と団結が複雑に絡み合っていた。
 朝鮮人社会にあっても、パク・ヨンマン派とイ・スンマン派に政治的に分裂し時には暴力騒動も起き、ポドゥルたちも否応なく巻き込まれていた。
 ハワイは多民族社会であり、多言語社会でもあった。ハワイの農場や労働現場、生活の場では、英語、ハワイ語、日本語などの混じったピジン語が意思疎通に使われた。朝鮮の儒教的身分社会しか知らないポドゥルたちにとって、ハワイは異世界だったに違いない。そこは女でも母親でも一人ひとりに名前のある社会でもあった。ポドゥルは自分の母の名前すら知らなかった。
 ポドゥルたちの世代は殆ど英語はできないが、ポドゥルの子どもたちの世代になると英語の方が普通になる。
 1941年12月7日、日本軍がパールハーバーを奇襲攻撃した。ポドゥルの息子ジョンホは軍隊に入る決意をする。朝鮮からの移民2世は国籍はアメリカだが、親の国籍は日本だ。アメリカ人にとって朝鮮系はなく、彼らも日系アメリカ人に過ぎない。アメリカ市民で愛国者であると示すためには軍隊に入る必要があるのだ。
 朝鮮系ハワイ移民は立場も精神も複雑だ。安易に単純化できない複雑を複雑なまま表出することに、スローガンやコピーではない文学の意味がある。
 南国の観光地のイメージが強固なハワイの歴史に、詳しい人は少ないだろう。多少知っている人間でも、日本の支配が強まる朝鮮から、1000人以上もの女性たちが写真だけで結婚移民したという事実を考えたことがあろうか。彼女たちはそれぞれ『シソンから、』のシソンの親なのだと思う。
 原著の内容をしっかり検証した翻訳に好感を持った。翻訳者の体験と調査で関西弁を使っているのも違和感がない。
 作者と翻訳者がともに「李」氏だが、発音は「イ」と「リ」にしている。互いに否定しない関係も良い。

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