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2023年3月16日 (木)

エリザ・スア・デュサパン『ソクチョの冬』

エリザ・スア・デュサパン『ソクチョの冬』原正夫訳 早川書房
他者との邂逅

Photo_20230316200901  韓国は人口も産業もソウルに一極集中している。有名大学もK-POPも最新のグルメもソウルに集まっている。
 フランス語作家エリザ・スア・デュサパンの描いたソクチョは田舎だ。ソウルの北東、春川(チュンチョン)の東に位置する夏の観光地だが、小説はタイトル通り正月前後冬の束草(ソクチョ)が舞台だ。冬のソクチョは雪に覆われている。ソクチョは海水浴客で賑わう町だが、冬に訪れても何もないしとても寒い。そしてその冬はマイナス27℃にもなる近年稀に見る寒さだった。
 主人公で女性のわたしは、朴老人が営む古ぼけた旅館に勤めている。わたしはフランス人の父と韓国人の母の間に生まれたが、父とは会ったことがなく、水産市場で働く母に育てられた。
 小説はわたしが勤める旅館にフランス人の男性が訪れるところから始まる。男は1968年生まれのヤン・ケラン。バンド・デシネというフランス語圏漫画の作家だ。旅館に滞在して自分の作品の最終巻を書こうとしている。
 旅館にはほかに日本人の登山家や、美容整形した後の療養で彼氏と一緒に滞在している顔に包帯の少女などが宿泊していた。
 わたしの恋人は江南のタレント事務所に所属が決まってソウルに行ってしまう。
 ケランは淡淡と街や寺や雪岳山(ソラクサン)国立公園、非武装地帯などを見学しては宿に戻って、自分の部屋で絵を描いていた。わたしの作る韓国料理には手を付けなかった。
 ケランの絵は、本物と見まごうばかりの雪が白く輝き、まるで表意文字のようだ。
 フランスと韓国の地政学的な差異や、ケランの食事に象徴的に表れる文化的差異が、二人の思考のねじれを感じさせるが、わたしはケランを案内したり世話しているうちに親しくなっていく。
 自由の国フランスから来た漫画家が滞在するのは、休戦中とはいえ戦争状態が解消されていない韓国の、北朝鮮との境界線に近い土地ソクチョだ。
 美容整形が気楽に語られる社会風土や、ソウルの芸能事務所に所属してソクチョから出て行く恋人の配置は、魚市場で働く母の実体のある生活とは背反しているように見える。虚栄と実体が共存していて、両者が違和感なく語られるのが資本主義的成長の歪みだ。
 ケランはラジオから流れるK-POPグループの新曲にも眉をひそめる。資本の垢にけがされない原初的な何かをケランは見つけようとしたのに違いない。わたしはそういうケランに共感していく。
 ケランという他者の目を通してソクチョの冬を見直すわたしは、他者である筈のケランにシンパシーを感じ、他者の視点を獲得していくかに思える。一方、ケランもわたしというソクチョの若い女性の言葉にインスピレーションを感じ、自己の作品のヒロインを形作っていく。
 極寒の風景の中で他者と遭遇して自己を発見する。簡潔で繊細な文体が心地よい。
 この小説はフランス語で書かれているが、小説内で使用される言語は英語、韓国語、フランス語の多言語小説だ。その点にも注目しておきたい。
 エリザ・スア・デュサパンは、フランス人の父と韓国人の母を持って1992年に生まれ、フランスとスイスの国籍を持つ。
『ソクチョの冬』はフランス語圏の数々の文学賞の外、2021年には全米図書賞翻訳部門も受賞している。この賞は昨今、多和田葉子の『献灯使』や柳美里『JR上野駅公園口』も受賞していて日本でも知られるようになった。
 この小説がデュサパンの最初の作品で、第2作は在日朝鮮人をモチーフにしていると聞く。その翻訳出版にも期待したい。

2023年3月 4日 (土)

ペ・スア『遠きにありて、ウルは遅れるだろう』

原初を手探る映像小説だが、「霊魂は比喩です」
ペ・スア『遠きにありて、ウルは遅れるだろう』斎藤真理子訳 白水社

Photo_20230304110301  世間では「ネタバレ」という言葉が流通している。小説などのストーリーや結果が第三者によって知らされてしまうことを言う。ネタバレするとその作品を読む価値が下がってしまい読む気が失せてしまう現象が起こるので、レビューなどで「ネタバレ注意」と言われることがある。ネタバレしたくらいでつまらなくなる小説に文学価値があるとは思えないが、一般的にはわざわざネタバレを読んでから作品を読む読者はいないだろう。
 しかし、ペ・スア『遠きにありて、ウルは遅れるだろう』は「誰かネタバレしてくれ!」と言いたくなる小説だ。
 難解な書名の解読さえ、読み終わってもよく分からない。それらしい文は出てくる。
 ペ・スアという作家を体験したことは、欣喜よりも痛痒に近いかも知れない。論理性より映像性が高く、読者は観客ないしは鑑賞者の立場に置かれる。人によっては、この本の読書は修行に似てくる。歴史や政治が隠されて、霊魂の光速だけが描かれるからだ。
 私は2022年6月の『吟醸掌篇』Vo.4に「霊魂は如何にして闘うか」という短文を書き、〈日常からは消し去られている内面に潜在するはずの記憶と呵責が生み出す霊魂〉の実存について、金石範「魂魄」、崎山多美「ピンギヒラ坂夜行」、パク・ソルメ「もう死んでいる十二人の女たちと」という3篇を連続させて論じている。
 その前には、金承鈺『生きるということ 金承鈺作品集』の書評「霊魂の速度」を愚銀のブログに発表している(2021年11月)。金承鈺にとって、追い詰められた実態としての自己が、生活や欲望から自由でない実存であるという矛盾が容認しがたく、霊魂が肉体を離れて光速で飛んでいくという形而上の「経験」を認めた。
 これらの作品では、歴史の呵責や後悔、自己否定の認識が生み出す霊魂が描かれたのだが、ペ・スアが書いたのは意志のない霊魂だ。まず、私は記憶がすべて消えている。
 国籍不明のこの小説の主人公らしい女である私は、廃墟を誘発する者だ。7歳のときに家を壊した。下着を焼き、家族を焼き、眠ったまま深くうなだれて歩いた者だ。私は最後まで猶予された書類であり、永遠に読まれない原稿だ。永遠に、そして何度でも新たに書かれるべき一冊の本だ。
 巫女は私の名を「ウル」だと言う。巫女と言っても韓国や日本の巫女を想起させない。アフリカか中南米に巫女がいればこんな感じかと思わせる。
 ウルの手はひとりでに文を書きはじめる。意志によって書くのではなく、多分だが精神的邂逅によって書くようだ。ただ言葉があり、言葉が言葉を産んだのであり、絶えずお互いに役割を変え続ける言葉たちがあっただけだ。
 ウルは女であり、踊る人で、書く人だ。そのつど即興的にノートを広げ、どのページでもいいから埋めていく。ウルは読む人でもある。読むからには演劇する人だ。演劇は誰の意志も同意もないままに始まる。なぜなら演劇とはすなわち現実だからだ。演劇と現実に境界はない。
 子どもであった私たちの踊りと歌が現実を私たちの世界に引きずり込む。私たちは生を発明した。ウルは子どもであり大人であり、生徒であり、旅行者でもある。
 時はいつも前に流れるだけなのか? という疑問が投げかけられる。私たちという物質的な個人は抽象的な時間とともにその感情の原子系を構築するのだと言う。
「母さんが死んだ 私のはじまりのきざしが消えた!」
この抽象的な台詞が意味するものは混沌だ。実のところ「私」「ウル」「母さん」の区別さえ鮮明でない。私は、私たちであるのかも知れないし、彼女であるのかも知れない。あるいは霊魂を食らう毛の長い黒いルーマニア産の牧羊犬の名もウルだ。実はこの小説は、ⅠⅡⅢの3章に分けられていて、それぞれ別の話として読むこともできるし、同じ人物を次元のズレによって別の角度から描いたとも読める。
「ウルは見る目」であり、見られるものである。
 母さんが死んだ家で、私は両腕を垂らした姿勢で死体のように座っている。ウルは過去であり未来である。私の中に〈はじまりの女〉を感じる瞬間、〈はじまりの女〉が静かに燃えはじめる。同時にウルは自分が誰かの幽霊だという感覚を持つ。
 ウルは、踊っているが、同時に肉体から離脱していく犬の霊魂でもある。
 ウルは自分の目に入ってくる未来の美しさも、残忍さも、信じることができない。つまり小説には書かれないがウルは支配される者でもある。ウルは底知れない暗黒によって見られるものだ。
 ウルは遠くにいる。遠くで書いている。ウルは意志や信念、主義を持たず意識さえ失ったまま書き始める。遠くにいるということは、自覚のないまま暗闇にいるということだ。
 文学はウルが書き取った未知の声だ。暗黒の声だ。
 ウルである私には同行者がいる。同行者は黒ずくめの男性だ。彼は無害だ。匂いもしない。彼は自ら失敗する者であり、廃墟を誘発する者ではない。同行者は巫女によって「偽の名」を付けられる。男はウルの古い友だちであるが互いに記憶がない。
 同行者は「霊魂は比喩だ」と言う。彼は演技者であり神の代理人の側にじっとしている。
 ウルによって、あるいは作者によって生は発明される。同行者によってあるいは読者によって生は演じられる。

  一匹のネズミが言った。
  遠くにいるから
  ウルは遅れて来るだろう

 作者は原初をたぐる寄せられただろうか? 読者は遅れてくる原初を発見できただろうか? 不明。
さて小文はネタバレにはほど遠い。個人の感想です。
解説は巻末の訳者あとがきをご覧あれ。丁寧です。詳細です。斎藤真理子さん、どれだけ読んでるの

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