フォト
無料ブログはココログ
2024年6月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            

« 鄭承博(チョンスンバク)さんの記憶 | トップページ | キム・スム『さすらう地』岡裕美訳 新泉社 »

2023年1月 9日 (月)

金石範『新編 鴉の死』CUON

虚無を描き厭世を突き破る、金石範初期の傑作

Photo_20230109193201  昨年(2022年)韓国文学専門の出版社CUONから、金石範の本が2冊発行された。2017年から2022年にかけて『すばる』に掲載された3篇を集めた『満月の下の赤い海』と、最初期の短編を再編集した『新編 鴉の死』だ。最初の作品と最新の作品が1年のうちに連続して出版された意義は小さくない。殊に『鴉の死』の再版という勇気のある出版は、文学史的意味を持つ。
 金石範の代表作は何と言っても、11000枚の大作『火山島』だ。その続編や、『火山島』を書く作家自身を描いた作品などを含めると『火山島』関連作品だけでも膨大になる。
 『新編 鴉の死』所収の「対談 ディアスポラ的想像力、金石範と『火山島』」によると、金石範は『火山島』の大量の翻訳原稿をすべて読み、誤字・誤訳を細かく指摘する分厚いメモを翻訳者である金煥基に送っている。このとき金石範は90歳近かった。『火山島』にかける金石範の意欲は並々ならぬものである。
 1925年生まれ、老境に至った金石範は、〈『火山島』などの作品が私であり、私と重なった見えない私である。現実の作者の私は影である。〉(「生・作・死」『すばる』2020年12月)と書いている。
 文学作品と作家自身が渾然一体となった存在としての金石範とは何か。
 1948年から1952年まで、金石範は日本共産党の党員でありながら在日朝鮮統一民主戦線系の大衆運動に参加していた。1952年に日本共産党を離脱してからは、北朝鮮に繋がる組織活動で仙台に行くが、そこでの仕事に耐えかねて脱落する。このいかんともしがたい敗北感が金石範をニヒリズムに誘った。このあたりの事情について金石範は、『満月の下の赤い海』所収の「消された孤独」に書いているので、参照されたいが一部だけ引用する。

 Kは「鴉の死」を書くことで、小説人生の荒野を一人で行くような無の出発点に立つ。その荒涼の上に立たしめた背後の力は、仙台での挫折であり、対馬での島からの密航者との一夜であり、解放後の四年間にわたる友からの手紙とその死であり、それがKが背負うべき十字架だった。

 敗北者金石範を救ったのが「鴉の死」の執筆だった。
「鴉の死」は、『文藝首都』1957年8月号に発表された「看守朴書房」に続いて、同誌12月号に掲載された。発表順は前後し、その前にも「夜なきそば」などの秀作を発表しているが、「鴉の死」こそ金石範にとって最初の文学だ。
 「鴉の死」発表の10年後、1967年に「鴉の死」「看守朴書房」「観徳亭」「糞と自由と」の4篇を収めた作品集『鴉の死』が新興書房から刊行された。金達寿の『わが文学と生活』(1998年 青丘文化社)によると、新興書房は朴元俊が朝鮮ものの翻訳を主に出していた小さな出版社で、金達寿が「在日の者の作品もだしてくれないか」と金石範の短編集を推薦したのがきっかけとなった。
 71年にはこれに「虚無譚」を加えた『鴉の死』が講談社から出版、73年には講談社文庫版『鴉の死』が出版された。講談社文庫版は85年に新装版が発行された。1999年には小学館文庫で『鴉の死 夢、草深し』が発行された。その他、講談社『現代の文学39 戦後Ⅱ』(1974年)や集英社『コレクション戦争と文学1 朝鮮戦争』(2012年)にも「鴉の死」は集録された。「鴉の死」は韓国、台湾、フランスなどでも翻訳出版され、英語にも翻訳された。
 「鴉の死」は作家自身がもっとも愛着がある作品であると言うだけではなく、文学史的にも重要な価値を持つ短編小説と言える。済州島四・三事件を告発した最初の作品であると同時に、金石範文学の原点だからだ。
 主人公の丁基俊(チョンギジュン)は、済州島における米軍政庁の通訳だが、実は山に籠もって米軍当局と闘うパルチザンのスパイとしての任務を負っている。彼の正体を知っているのは、友人でパルチザン幹部の張龍石(チャンヨンソク)だけだ。張龍石の妹で丁基俊と相愛の亮順(ヤンスン)もそれを知らない。
 米軍側に下った(と思われる)基俊を亮順は批難する。食い下がる亮順を基俊は暴行強姦したが、後悔した。
〈この冷たい柔かい無垢の肌に永遠の爪痕を残した〉
 亮順は両親とも逮捕され収容所に入れられる。収容所の金網ごしの亮順を見た基俊は潮のように逆巻く悔恨に押しつぶされそうになる。
〈党のために祖国のために! これがこの一瞬の彼をなお不幸にし、おのれを空しゅうできなかったのだ。〉
 処刑されていく亮順の姿に、基俊は限りない呪詛の声を聞く。
 『火山島』読者であれば、丁基俊が梁俊午(ヤンジュノ)の原型だと思い至るだろう。しかし『火山島』の梁俊午は丁基俊ほど深い闇を感じさせない。「鴉の死」では内面の痛み、煩悶、欲求と絶望を丹念に追っている。この絶望は作者金石範が持った虚無と似通っている。金石範は時空と立場を越えて丁基俊に魂を写したのだ。
「鴉の死」こそ金石範を生かした。「鴉の死」を書いたことによって金石範は生きたのであり、「鴉の死」が文学史に残る多くの作品群と、『火山島』を書かせた。
 他にも登場人物の『火山島』との類似が複数見られる。まず、でんぼう爺だ。でんぼう爺は、60過ぎで、肩に生首を入れた籠をぶら下げ「ええや、ほうい、ええや、ほうい」と触れ回る。その姿は、「鴉の死」が描ききれない済州島全体の悲惨な風景を印象づける。
 李尚根(イサングン)は飲んだくれの大男だが、父が殖産銀行重役で、本土の全羅道に広大な土地を持っている島の有力者だ。『火山島』の主人公李芳根(イバングン)の原型だが、ここでは脇役に過ぎない。
 かくのごとく、「鴉の死」は『火山島』の原初的な作品であり、『火山島』は「鴉の死」を角度を変えて書いていったものとも言える。
「鴉の死」より先に発表された「看守朴書房」は、残虐な歴史に非知性の民衆が飲み込まれる様を描いた。
「看守朴書房」で描かれた朴書房(パクソバン)は、黄海道で自分でも素性の分からぬ奴僕だった。「朴」は旦那の姓である。
 京城で支械クンの仕事にありついて二、三年たったが、「女護ガ島」ということばに惹かれて済州島に来た。40歳近い年齢の「老チョンガー」(老いた独身男性)だ。どういうわけか看守に抜擢されて出世した。
 朴書房の楽しみは監房の女囚を見ることだ。特に若い別嬪明順(ミョンスン)を気に入っている。しかし明順にはやがて「釈放」と言う名の処刑が決まっていた。
 明順は獄内でただ一人白くて汚れていない手ぬぐいを持っている。暑苦しい監房で誰に頼まれても隠した手ぬぐいを出さない。それは死刑が執行されるときに出身地と名前を書いて死後身元が分かるようにするためだった。
 この手ぬぐいの逸話は、金石範が後々まで気にかけており、2007年に行われた済州空港での虐殺遺体発掘現場での体験を書いた「私は見た、四・三虐殺の遺骸たちを」(『すばる』2008年2月)でも触れている。
 金石範は24、5歳のときに、済州島から対馬に逃れてきた二人の女性を迎えに行ったおりに、「乳房のない女」K女に、白いタオルをチマのなかに隠しもっていた若い女囚の話を聞いている。明順はこのK女がモデルだと上記エッセイで明かしている。発掘現場で金石範は太股に巻かれたタオルを探すともなく探した。
 明順にすっかり惚れてしまった阿Qならぬ朴書房は、トラックに乗せられた明順を追って走ったため、せっかく出世した警官の資格を剥奪され処刑された。最後の言葉が「おらですな、どうも――大韓民国がしっくりしねんでさ」だった。
「観徳亭」は、『火山島』にも登場する「でんぼう爺」を主人公としている。
 でんぼう爺という名のいわれは、人のでんぼうすなわち腫れ物の膿を吸いだして治療するところから付いた呼び名だ。でんぼう爺は60過ぎの老人で城内(街)では観徳亭の床下で寝起きしていた。
 ところがちょっとしたきっかけで、敗残パルチザンの首を籠に入れて触れ回り、身元を探す公職に就いたのだった。
 田舎の村落から城内に戻ったでんぼう爺は、敗残のパルチザン数十人の行進に遭遇する。彼らは胸に自らを叛徒と罵る「布告」を垂らし、人間の生首を突き刺した竹槍を肩に担いで、観徳亭広場の周囲をぼろぼろに歩かされていた。鴉の群れが竹槍の先の首に食いかかり、まだ生きて歩く敗残兵を責めたりもした。
〈彼はこの首の行列の前で、自分が首をもって歩いた姿がいかにみにくいものであるかをはじめてさとったのだった。〉
 そのとき一人の女が悲痛な声をあげて飛び出した。でんぼう爺に首を探して売ってくれと頼んだソプニだった。ソプニはその場で射殺された。
 老人は大金をはたいてソプニの死体をもらい受け、観徳亭の床下に運んだ。
 看守朴書房やでんぼう爺は、知性の対極にあるような地位を持たない無知で貧しい最下層の庶民だが、その動物的な愛によって「大韓民国」に背を向ける。
「鴉の死」の丁基俊が知性の持ち主であるばかりに、党の任務と人間的欲求との狭間で苦悶しなければならなかったのとは対称的だ。
 「万徳幽霊奇譚」ではもうひとりの民衆象が描かれた。万徳(マンドギ)は、供養主(コンヤンジュ)つまり朝鮮の寺男だった。万徳が観音寺の女管理人「ソウル菩薩」に鞭打たれる関係は『火山島』と同じだが、でんぼう爺らと同様に、こちらの方が主人公なので詳細に描かれる。
 万徳は日本の朝鮮人寺の飯炊き女が連れてきて済州島の観音寺に預けた子どもだった。大柄で力が強く、大きな鼻と優しい心の持ち主だった。日本の植民地時代には徴用されたが、生き残って帰ってきた。
 ところが、ソウル菩薩に鞭打たれながらも安穏と暮らしていた万徳も「大韓民国」とは肌が合わなかったようだ。そこでは、アカの思想以外は何事も赦される。強姦、ドロボー、人殺しなどは警官になる有力な資格証のようなものだった。(なんだかプーチンのロシアが囚人を解放してウクライナ侵攻に使っている現在を想起させる。)
 万徳はアカを射殺する命令を拒否した罪で処刑された。処刑は執行されたが、優しさ故に助けたシラミに助けられて、「幽霊」として生き返り騒動を巻き起こす。万徳の行く末は不明だが、もともと戸籍もなく氏素姓の分からない万徳のことだ。幽霊になって夜な夜な号泣したり念仏を上げたりして、人びとの恐れを買っても歴史には残らないだろう。
 金石範は底知れぬ厭世を「鴉の死」に託し、翻弄される無知な庶民像の抵抗によって均衡を保ったのではないだろうか。
『新編 鴉の死』の出版はそんなところに思いを至らせてくれた。

金石範『新編 鴉の死』CUON
正誤表

P9 L3 與がのらない → 興が乗らない
P62 L12 墨汁の確に → 墨汁の罐に *『金石範作品集Ⅰ』では「缶」
P65 L6 くらぐらゆれだし → ぐらぐらゆれだし
P106 L12 つめて惚とした → つめて恍惚とした
p142 L11 轟然耳を舞する → 轟然耳を聾する
P169 L3 したことかなかった → したことがなかった
P285 L7 密官に手を奪われ → 警官に手を奪われ
P301 L18 ポタンを → ボタンを
P313 L1 寺の要の小山の端の → 寺の裏の小山の端の
*「寺の裏の小山の端の石の砦にある歩哨幕」が正しい。講談社文芸文庫『万徳幽霊奇譚/詐欺師』では「裏の小山の端の砦にある歩哨幕」とあるが、これは誤植。
P323 L8 内ボケット → 内ポケット
P324 L13 燃えともはじめた → 燃えはじめた
P327 L3 そこかたちに凡ゆる → そこに凡ゆる
P350 L18 李巡警察 → 李巡警
P369上段L4(ルビ)チョハンス → チョホンス
P376下段L20(ルビ)キムミヨンジヨン → キムジヨンミヨン
P377上段L16(ルビ)キムチヤンセン → キムテセン

 

« 鄭承博(チョンスンバク)さんの記憶 | トップページ | キム・スム『さすらう地』岡裕美訳 新泉社 »

書評」カテゴリの記事

金石範」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

« 鄭承博(チョンスンバク)さんの記憶 | トップページ | キム・スム『さすらう地』岡裕美訳 新泉社 »