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2022年10月20日 (木)

アン・ドヒョン『詩人白石 寄る辺なく気高くさみしく』

白きかべあって

アン・ドヒョン『詩人白石 寄る辺なく気高くさみしく』五十嵐真希訳 新泉社


Photo_20221020155501「人生は評価されるものではなく、生き抜くものである」という著者の言葉が染みる。
 白石(ペは1936年23歳で詩集『鹿』を上梓した詩人だ。日本でもファンの多い韓国の詩人尹東柱(ユントンジュ)が敬愛し、現代韓国でもっとも愛される詩人のひとりだ。
 白石は現在の北朝鮮平壌の北に位置する定州出身で、地方語を駆使した詩を書いた。生活と一体感のある明瞭な日常の言葉で、小さくて取るに足らないけれど貴重な民俗を描き、土着的でありながら復古主義を排除したモダニティを内包していると評価された。
 白石は日本の統治時代に日本語で書かず、植民地化で歪められた故郷の言葉を駆使したのだった。
 しかし日本ではほとんど知られていないし、その生涯は韓国でも詳しくは分かっていなかった。著者アン・ドヒョンの調査は微に入り細を穿ったもので敬意に値する。分断国家韓国で北に渡った、あるいは北にそのまま残った文学者の足跡を追うのはたやすくない。
 白石は東京の青山学院で英文を学んだ潔癖なモダニストだった。目鼻立ちがはっきりしてふさふさしたくせ毛のハンサムで、最新のスーツにネクタイを締めた格好いい青年は、女性によくモテた。
 しかし最新の知性を身につけながら、古い封建制の頸木から自由になれずに、なんどか意に沿わない結婚をして破綻した。妓生の子夜(チャヤ)と恋愛しても親や世間体に負けて結婚できないままずるずると関係を続けた。
 田舎で教師をしながら詩を書いて暮らすことを夢見た白石だったが、歴史と政治は詩人を翻弄した。
 朝鮮日報社に勤めた白石は実に多くの知古を得た。当時の社長は曺晩植(チョマンシク)だった。曺晩植はキリスト教民族主義者として知られる独立運動家だ。学芸部長は朝鮮プロレタリア芸術同盟の同盟員である洪起文(ホンギブン)だ。
 朝鮮近代文学史には左翼から右翼民族主義者まで、幅広い作家詩人たちの群像が混沌と溢れていた。
 白石が詩集『鹿』を上梓すると、100部限定の発行にもかかわらず、多くの批評を受けた。
 プロレタリア詩人として有名な林和(イムファ)から見れば、〈白石は軟弱な文学主義者の一人にすぎなかった〉が、小説家の李孝石(イヒョソク)は〈失われた故郷を見つけ出したような心情をにわかに抱いた〉と感銘を表現した。
 白石は日本語で書くことを良しとせず、民族的価値を大事にしていたが、決してプロレタリア詩人ではなく、純粋に文学を追究した詩人だ。しかし時代は詩人の純粋な思いを赦さなかった。
 この評伝は白石を追ったものだが、南北の枠を超えた朝鮮近代文学史を物語として読むこともできる。白石を中心に多くの詩人や作家、美術家が登場する。
 朝鮮戦争による南北分断は、芸術家や文学者たちを南に北に分断し追いこんだ。そしてそのどちらでも政治に翻弄された。
 平壌に残った白石は、親しかったプロレタリア作家韓雪野(ハンソリャ)の庇護もあって、ロシア文学の翻訳と童詩の創作で好評価を受けていたが、それも長くは続かなかった。やがてその純粋な文学精神ゆえに僻地に追われ、家族と自分の命を繋ぐことになる。
 いわゆる「赤い手紙」を受け取った白石は1959年家族とともに、〈北朝鮮でも指折りの奥地〉山水郡(サンスグン)館坪里(クァンビョンニ)に追放された。地図を見ると山水は朝鮮半島の東北、咸鏡南道(ハギョンナムド)の北、蓋馬(ケマ)高原の一部で、その北には国境を成す鴨緑江が流れている。北朝鮮随一の寒冷地だ。
 白石は館坪協同組合の畜産班に配属された。潔癖主義のモダンボーイの後半生は羊飼いとして働くことにあった。
 白石の最後の詩(1962年)は見る影もない政治的コピーに過ぎないが、もはや彼にとっては詩人として生きることより自分と家族の生存が重要なのだった。
 では、白石は不幸だったか? たしかに白石は詩人として幸せな晩年を過ごした訳ではなかった。しかし白石は北朝鮮の最果ての地で、妻とともに5人の子どもを育て1996年まで生きた。厳しいとはいえ大自然に包まれて牧畜労働に捧げた生涯に価値がないとは言えない。

 本書は、現代韓国でもっとも愛される詩人白石の生涯を紹介したもので、白石の詩の翻訳が素晴らしく、その解説がまた読者の理解を深めてくれる。その上で、日本帝国主義時代―解放後の解放空間(1945年8月~48年8月)―南北分断の始まり―朝鮮戦争―1957年以降の北朝鮮における教条的強硬派支配時代、という困難な歴史における文学史の一断面をも読ませてくれる。
 北朝鮮で高い評価を受けた韓雪野とモダニスト白石が親しかったエピソードも面白いが、李泰俊・朴泰遠ら多くの文学者たちの情報も満載だ。プロレタリア詩人として日本(語)でも活躍しながら転向した批評家の白鐵(ペクチョ玄徳(ヒョンドク)の『ノマと愉快な仲間たち』(作品社)の挿絵も描いている画家の鄭玄雄(チョンヒョヌン)などなど数多の文化人が登場し左右に揺れながら生きていく。白石の恋人だった子夜は戦後もしぶとく、料亭を経営して83歳まで生きた。
 白石は苦難の朝鮮近代文学史を象徴する詩人と言えるかも知れない。

※ 翻訳者による「解説註」「人名註」が充実していて近代朝鮮文学事典の趣がある。労作だ。

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