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2022年5月13日 (金)

金石範「地の疼き」

金石範「地の疼き」『すばる』5月・6月
個を越えたの文学を検証する試み

Photo_20220513142901  96歳の金石範が『すばる』5月と6月に分けて小説「地の疼き」を発表した。主人公は、2020年『すばる』7月に書いた「満月の下の赤い海」と同じく、金石範本人を模した「K」だ。
 金石範は、〈『火山島』などの作品が私であり、私と重なった見えない私である。現実の作者の私は影である。〉(「生・作・死」『すばる』2020年12月)と書いている。
 現実の影である金石範の私が、私と重なった見えない作品を表出するために設定したKである。
 Kはもちろん済州島四・三闘争を小説のテーマとしている。1988年11月、Kは、42年ぶりに故郷訪問を果たす。
 韓国訪問のためにKは駐日韓国大使館領事部ハン参事官と対峙した。ハン参事官はかつてKも編集員だったS誌の他の編集メンバーたちの韓国訪問を実現し、韓国籍取得に至る成果を得た経験を持っていた。
 1947年、日本政府は外国人登録令を実施し登録証の国籍欄は全体が「朝鮮」だった。それが、1965年の日韓条約で分断朝鮮の南である「韓国」だけが国籍を意味するようになった。Kは依然として朝鮮籍のままだ。
 S誌というのは『季刊三千里』の謂で、1981年2月に金達寿、姜在彦、李進煕らが韓国を訪問した。このときの韓国訪問に反対した金石範は編集委員を辞している。彼らの訪問をTK生の「韓国からの通信」は厳しく批判したが、金達寿は故郷に錦を飾った紀行を『故国まで』(1982年4月 筑摩書房)として発表している。
 小説のKはハン参事官から入国許可証を受け取ったが、差し出された手を握らなかった。
 Kは、ソウル―光州―済州島を訪ねてハン参事官の意に沿わぬ発言を続けた。民主化したとはいえまだ反共風土の根強く残っている韓国社会で、Kは「忌避人物」とされていた。親戚との交流もギスギスしたものとなり、墓参りは諦めざるを得なかった。
 再びソウルに戻ったKは、1945年夏独立運動の同志で同い年のチャンを思い出す。夏休みに一時日本に戻ったKはそのまま朝鮮に戻れなくなる。李承晩政権と闘うチャンはなんども手紙をよこした。
 チャンの恋人は音楽学校に通う令嬢だが、チャンは彼女を日本に逃がしたがっていた。李有媛造形のヒントとなった女性だろう。
 Kは〈殺人を否定しながら殺意を抱いてその枠を越えようとする李芳根について〉考えた。Kならぬ金石範は、Kと『火山島』の登場人物である李芳根を錯綜させていく。

「火山島」の虚構的空間と現実の生活空間をつなぐものは、虚構と現実の交錯、重なりであり、二次的虚構であって、Kが「火山島」のなかへ入るか、李芳根が「火山島」の外へ出てくるか、両者の動き自体が虚構における事実――現実となる。

 Kは南山西麓の町角で李芳根とともにトランペットの響きを聞く。李芳根は東麓に位置する「西北」詰所の邸宅に向かう。『火山島』第四巻第十三章の場面だ。そこで李芳根は初めて文蘭雪(ムンナンソル)と会う。テロリストの巣窟にいた美しい女に惹かれていく。
 22日間の故国訪問からW市のマンションに帰ったKは、十日間昼夜連続で夢を見た。夢と現実の境界の分からなくなる異世界に没入した。金石範文学にしばしば見られる状況だ。
 ことばも人間も景色もすべて済州島で日本の出てこない夢だった。それは60余年の在日生活に敵対し否定した。
 こうした極めて民族的な文学思想が、42年ぶりの故郷訪問が導いた63歳のKのものか、じつは96歳の金石範の感慨か筆者には分からない。
 ただ小説は、この10日間の夢を「意識化された欲望――深層の朝鮮の表現」だと語る。そして夢こそ真実の現実で、在日の存在が仮象なのだと。

現実の自分とそれを仮象だとする夢の自分の分裂、この分裂と夢が表現に向う。

 仮象の認識が転化してのイメージとして文学が成立する。実体からの分裂であり、一種のニヒリズムが発生する。
 ニヒリズムは「火山島」の李芳根を生み出す。李芳根は植民地時代に逮捕されながら、肺結核もあって転向保釈された過去を憎んで放蕩し、外界との関係を絶ったのだった。
 しかし李芳根はほんとうにニヒリストだろうか、という疑問は筆者のものである。
 李芳根は、裏切り者柳達鉉(ユダルヒョン)を死に追い込み、警察幹部の鄭世容(チョンセヨン)を射殺する。虐殺者に対する憎悪、個に対する殺意への移行は、李芳根の年下の友人たちに対する限りない愛と対比される。
 また、「地の疼き」では珍しく金石範であるKの父の来歴について書かれている。
 Kの曾祖父が隣接の朝天(チョチョン)から三陽(サミャン)に移った。祖父は30代半ばに至らない早死にだった。父の家は済州きっての名門一族だったが旧韓国の滅亡、植民地化とともに没落した。父は日本の植民地時代に適応できなかった。気位高く、働くことを知らない破落戸(パラッコ)の道化者だった。
 父は二児の母親だった寡婦と結ばれた。Kを孕んだ母は大阪へ旅立ち、イカイノでKを産み落とす。父は郷里で妓生と生活していたが、K出産後2、3年後数えの36で死去した。金石範は実の父と会ったことはない。
 母は還暦祝いの10余年後に死去し、大阪郊外の小高い丘の麓の風水の地相に適した墓所に葬られた。
 こうした両親への追想が作家の老齢と無関係でないはずがなく、小説のなかに組み入れられることに、ますます自己存在の全体を小説という虚構の真実に組み込もうとする足掻きのように思える。
 1996年、Kは8年ぶりに韓国を訪ねた。
 ゲリラ戦跡や虐殺の跡地、島民が穴居生活をした洞窟などの四・三遺跡を訪れたが、この衝撃をそのときは充分に内在化はできなかった。Kは済州島を離れてから「胸に疼き」を感じていた。

 ゲリラたちが骨を埋めた地の疼き、地霊が故国の地を踏んだKの軀に移ってやがてKのなかで灰をかぶった熾火のように燃え続けているのだろう。

 1998年8月、済州島「四・三」五十周年記念国際学術大会に招かれたKは、一旦は入国を拒否されたが、大会参加者一同の抗議によって金大中政権が動き、最終日の夕刻済州島空港に到着した。
 劇的な入国は韓国の変化を感じさせた。Kは親戚とともに祖父母の墓参りも果たした。済州島は四・三解放へと動きつつあった。
 金石範は、『火山島』の登場人物たちのなかに影としてのKを見つめていた。「地の疼き」は現実に生きる作家自身という個を越えた魂魄の文学を、自ら検証する試みのようだ。

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