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2022年2月 7日 (月)

ソン・ホンギュ『イスラーム精肉店』

顔を捩じ伏せられた者たちの視線を浴びよ
ソン・ホンギュ『イスラーム精肉店』橋本智保訳 新泉社

Photo_20220207204401  底辺の異邦人の街でアンナおばさんが営む忠南(チュンナム)食堂には、民族や性別年齢、宗教、立場の違う、しかし社会から疎外され虐げられる人びとが集っている。
 僕は孤児院からハサンおじさんに引き取られたが、中学校には行っていない。僕の身体には無数の傷跡がある。右の鎖骨にあるくぼんだ傷の理由は本人も分からない。身体の傷は悲しい過去の記憶だ。歴史が染み込んだ傷跡である。
 貧民街で精肉店を営むハサンおじさんは朝鮮戦争に参戦したトルコ人で、体にも心にも傷を負っている。ハサンおじさんは豚食を禁じられるイスラム教徒でありながら豚を捌いて売っている。罪であり罰である職業で生きる意味を読者は考えざるを得ない。食べて生きる日々のためには、いくらでも残酷になれる憐れな人間を、殺され食される豚は見ている。
 食堂の屋根裏部屋に住まうギリシャ人のヤモスおじさんも、朝鮮戦争に参加して以来韓国に居着いたらしい。
 朝鮮戦争を、北朝鮮と韓国の戦争にアメリカと中国が加担したと思っている向きもあるだろう。しかしそう単純ではない。北朝鮮軍と国連軍の戦争であり、国連軍にはアメリカ軍が中心だったとはいえ、イギリス、フランス、ギリシア、トルコ、オーストラリア、カナダなど15カ国が実践部隊として参戦している。
 ハサンやヤモスがどういう経緯で置き去りにされたのかは不明だが、戦争の傷痕は国籍も肌の色も超越していた。この町に暮らす失郷民は民族を越えている。
 アンナおばさんは典型的な韓国人なのだが、中国系、日本系、ベトナム系と言っても違和感がなく、ヒスパニックにも見えた。血族なんて曖昧なもので、人間はそもそも混血として生まれたのではないかと、僕には思えた。
 いつも軍歌を歌っている「ハゲ頭」と呼ばれる老人は、戦中の記憶がなく、自分を韓国軍の英雄だと思い込むことにしている。後付けの知識を記憶の代わりに披瀝する老人は、元軍人たちの集まりで「はったり屋」とばれてしまう。しかし偽の記憶で構築された右翼老兵の存在意義はもともと軟弱だ。戦争の痕跡はさまざまな痛みを見せつける。
 忠南食堂の周辺には地を這う虐げられたら人びとが集まっている。「ハゲ頭」を救おうとする「ちゃっかり者」、いつも父親から殴られている米屋の次女、「鍵屋の爺さん」と呼ばれる酔っ払いは何を聞かれても「ピンクの象」と応える。
 小説全体は僕の視点で描かれるが、練炭売りの息子ユジョンもまた作者の分身的シチュエーションを保っている。ユジョンは動物と話す吃音の少年だ。彼は小説家志望だが、言葉で表現したものは、じつはなにも表現できていないような気がしている。ユジョンは言葉が意図通りに相手に伝わっていないのではないかといつも不安に思っている。同じ言葉でもみんな同じとは限らないと知っている。
 小説家はみんなの証言したくないことを証言し、患者のおできに口をあてて膿を吸ってやるのだ、人間の魂に流れる膿をぬぐってやるんだ、というユジョンの言葉は、作者の気持ちを代弁させていると思われる。
 ユジョンの小説家定義は、金石範が『鴉の死』など複数の作品で描いたでんぼう爺を連想させる。
 この貧民街が時代の変遷によって瓦解の道を辿る事実は、歴史によって証明されている。
 世話好きで街のまとめ役、言わば大地の女神であるアンナおばさんは、再開発が決まっているこの町の不動産屋を睨みつけて僕に語る。
「あたしたちが暮らしているここは大韓民国じゃない。ただの資本主義という場所よ。資本主義ってのはひとことで無礼きわまりないやつでね。おまえも資本主義に礼儀を期待しちゃいけないよ。傷つくのはおまえの方なんだから」
 なかなか知識人めいて本質を突いた言葉だ。
 だが、足腰を打ち砕かれた横臥者に届くだろうか。横臥者の体の中の砂漠に聞こえる声は、主体によって違うだろう。
 僕は自分の心の声に耳を傾けながら、耳で聞けない音を聞くために魂にも耳があるかも知れないと考えていた。
 僕はいつも生きることからの無断欠勤を夢見ていたけれど、ついにこの世界を養子に迎えようと決意する。
 この小説を読む直前に、チョン・セラン(斎藤真理子訳)『シソンから、』を読んだ。『シソンから、』は立ち上がって闘った者の小説だ。これを立っている者の視点から描かれた小説と見るならば、『イスラーム精肉店』は横たわった者の視線で描かれた小説と見るべきだろう。『イスラーム精肉店』は地に顔を捩じ伏せられた者たちの小説だ。

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