フォト
無料ブログはココログ
2024年6月
            1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30            

« 2021年5月 | トップページ | 2021年8月 »

2021年7月 5日 (月)

黄晳暎『たそがれ』

黄晳暎『たそがれ』(姜信子/趙倫子訳)CUON

「人間的に一杯やりましょう」

_0001_20210705220501  生きる意味とは何か。パク・ミヌは、朝鮮戦争後、慶尚道霊山(ヨンサン)の貧しい下級公務員の息子として生まれ、夜逃げするようにソウルに出て、タルゴルと呼ばれる山肌にへばりついた貧民街で思春期を送った。
 タルゴルから逃げ出すために猛勉強して、一流大学に入学したパク・ミヌは、アメリカに留学し、良家の娘と結婚し、帰国後は建築家として成功した。
 一方もう一人の「ミヌ」、キム・ミヌは、1980年代に貧しい夫婦の間に生まれ、幼児期に父を失い、母子家庭で育った。貧しいながら短大を卒業して建設会社の臨時職として就職した。建物撤去作業員管理の補助だった。貧民街の住民を追い立てる現場で、ショベルカーにぶつかった少年が死ぬと解雇された。その後は非正規のアルバイト生活から抜け出せない。
 キム・ミヌはいつも黒シャツを着て貧しく、自分の存在価値を相手に確認しようとしたりしない。
 この年代も階級も、立場も違う二人のミヌの縁を探すのが、チョン・ウヒだ。ウヒは芸術大学を出たあと、演劇の台本を書いているがアルバイトで生活費を稼ぎ、大雨が降ると水浸しになる半地下に下宿している。映画「パラサイト」を見ていればその悲惨さがイメージされよう。
 ウヒは、演劇の仕事は実入りが少ないが、夢が与えてくれる癒やしをアルバイトと比べることはできないと思っている。
 キム・ミヌとウヒは、ピザ屋でアルバイトしていたときに、ウヒの未払いのアルバイト代をミヌが取り立ててくれたことで親しくなった。ミヌはウヒの下宿が水浸しになると実家に連れて行って数日の宿泊を母に頼んでくれた。
 パク・ミヌは、陽の当たる場所を目指して、権力を握っている側に忖度して生きた。再開発の対価として、故郷あるいは育った「場」を破壊した。「多くの隣人たちを歪んだ欲望の空間に押し込め、あるいは追い出した」のだった。
 抑圧と暴力で維持されていた軍事独裁の時期に「力による正義」に寄りかかり、「力」の行方につきしたがって進められる企画を計算し力によって利益を与えられた。彼は、間違ったことに抵抗する人びとを理解したが、そこには加わらない自分を許した。
 「主流社会」に迎合する俗物根性を中産階級の健全な見解と信じ、霊山やタルゴルを失いながら生きた。その喪失の過程には両親、友人たち、恋人もあった。
 キム・ミヌは「解雇者」として暮らし、陽の当たる場所を目指す希望も捨てていた。
 開発独裁の成功過程に、立場は異なれどパク・ミヌもキム・ミヌも噛み合った歯車としての役割を果たした。ただ前者は「成功者」として待遇され、後者は使い捨てされる。
 キム・ヘジン『中央駅』を読んでも、ホームレスまで組み込まれた残忍なシステムを知ることができる。それは、住民たちの「生」を「思い」を一気に追いやり、奪い、抹殺してしまう過程でありながら、収奪の全面に立たされる暴力の側の内面をも酷く傷つけていくのだ。
 建築建設とは何か。コンサルティングチームが組織した組合を起点に、設計業者と立ち退き業者へとつながり、施工者と区庁、区議会から政治の世界にまでつながっていく「食物連鎖」は、開発独裁のもたらしたものだ。韓国だけの特殊ではない。資本主義の高度成長形態の一側面だ。
 老人は郷愁にうちひしがれている場合ではない。「老人」の悔恨は「若者」の諦念を救えない。生きる意味とは何なのか? 生きる価値とは何か? それでもパク・ミヌのように生きたいなら、それも人間的な不幸だ。
 息子の火葬を終えてアパートに帰ったチャ・スナは、ウヒの口癖をまねて、こう言う。
「さあ、これからわたしたちも人間的に一杯やりましょう」

« 2021年5月 | トップページ | 2021年8月 »