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2021年5月24日 (月)

崔仁勲『広場』

崔仁勲『広場』(吉川凪訳)COUN韓国文学の名著
不条理な世界からの逃避は可能か

Photo_20210524222101  崔仁勲(チェ・イヌン)『広場』は、かつても泰流社(田中明訳)などからも出版されていたのだが、ほとんど忘れていた。クオン版を読んで、こんなに面白い小説をよくも失念していたな、と恥ずかしくなる。
 李明俊は「釈放捕虜」だ。朝鮮戦争で巨済島(コジェド)の捕虜収容所に収容され1953年の停戦で釈放された人民軍兵士である。巨済島捕虜収容所と言えば、映画「黒水仙」を思い出す。あれは脱走した捕虜にまつわるミステリーだった。釈放された捕虜の行く末については考えたことがない。彼らは韓国に留まるか、北朝鮮への送還か、はたまた中立国への移住を希望するか選択できる。
 李明俊は、韓国で哲学を学ぶ学生だったが、父親が越北した共産主義者であったために、不条理にも警察で激しい暴行を受ける。それも日本時代に特高刑事だった人間が相変わらず反共取り締まりをしているのだ。
 明俊にとって「韓国」という広場は荒んでいた。
〈韓国の政治の広場には、糞尿とゴミばかり山積みになって〉おり、〈経済の広場は盗品ばかり〉だ。それに文化の広場には、でたらめな花ばかりが満開だった。不誠実な社会だ。
 明俊は北朝鮮に逃れた。ところが、彼そこで見たのは灰色の共和国だった。必要なのは自分の頭で考えることではなく、〈党史の一節を暗誦する能力〉をもって直面する現実に当てはめることだった。そこは、〈革命と人民の仮面をかぶった、相変わらずのブルジョワ社会〉であり〈広場には操り人形だけがいて、人間はいない〉。明俊が、〈人間であることを実感できるのは、彼女を抱いている時だけだ。〉
 朝鮮戦争に人民軍兵士として参戦し、囚われた明俊は、釈放後の選択として中立国への移住を選んだ。明俊は、もはや北朝鮮の社会に対する信念を失っていた。信念を持たずに政治の広場に立つのは恐ろしい。それに、いったん捕虜になった人間が北朝鮮で陥る状況は悲惨に違いない。
 かと言って韓国社会は虚しい。堕落と怠惰の自由しかない。
 戦場で確かめた性だけが明俊にとって最後の広場だった。他に行き場を持っていなかった。明俊は中立国で安穏と生きる妄想を繰り返すが、彼の背中にはぼんやりした影が覆い被さってくる。
 明俊の孤独は国際政治の歴史によって作られたものだ。描かれない背景には、アメリカ、ソ連、中国、そして日本を含む地政学が立ちはだかっている。彼を取り巻く「広場」に個人の自由はなく、革命も、愛もない。
 この小説、移送船のインド人船長らと李明俊との会話は英語だ。ドラマだったら英会話でのやりとりになり、字幕が着くところだ。多言語小説なのだから、今だったら会話部分だけでも英語表記にしたかも知れない。しかし、最初に発表されたのは1960年11月だ(その後何回も改訂されている)。作者にこの発想は無かったかも知れない。
 朝鮮文学者の長璋吉は、〈四・一九と五・一六の間のわずかな自由の期間にあらわれた記念碑的作品が崔仁勲の「広場」だった。〉(「苦悩の文学者たち 解放前後」 1986年2月『韓国を読む』集英社)と書いている。「四・一九」というのは、1960年に起こった李承晩政権を倒した「四・一九学生革命」のことで、「五・一六」というのは1961年に朴正熙が起こした軍事クーデターのことだ。この僅か一年あまりの民主時代に書かれたのがこの小説だということだ。
 その後発禁にならなかったのだろうか? と疑問に思うほど正直な作品だ。
 それに、そもそも「李明俊」は「イミョンジュン」なのだろうか。「リミョンジュン」ではないのか? 南北の言葉の違いはどう反映されるべきだったか。東アジアに横たわる溝は深い。
 朝鮮戦争は現代でも小説のモチーフになっている。
 キム・ヨンス「不能説(プーヌンシュオ)(『ぼくは幽霊作家です』橋本智保訳 新泉社)は、朝鮮戦争時、女性救護隊員との性愛を描写した点で『広場』と共通するが、彼は中国人民志願軍兵士であって、居場所のない朝鮮人ではなかった。ただし、歴史書に書かれた「事実」とは違う歴史を体験者は持っている、という真実を表出した点は、『広場』の不条理とも繋がっている。
 文学とは言葉にならない言葉を読者に投げかける行為だ。不条理の中に留まった「不能説」の主人公も、逃避を選択した『広場』の主人公も歴史の本には書かれない真実を抱えている。
 さて、『広場』が収められたクオンの「CUON韓国文学の名作」シリーズは、書肆侃侃房の「韓国文学の源流」シリーズとともに、韓国現代文学の翻訳が隆盛を極めている中にあって、異彩を放っている。それらが韓国近現代文学における古典的作品の出版を目途しているからだ。昨年末に発行された明石書店の『韓国文学を旅する60章』も文学史的要素の強い紹介本として新鮮だった。
 以前にも冬樹社で金素雲訳の『現代韓国文学選集』や、柏書房『韓国の現代文学』などの選集が出版されてはいたが、マニア向けの範囲を越えなかったのではないだろうか。
 ようやく韓国文学の全貌を日本の一般読者が気にする日がやってきたのかもという気がする。

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