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2021年4月23日 (金)

チョン・イヒョン(橋本智保訳)『きみは知らない』新泉社

私たちは知らないで良いのか

Photo_20210423151901 〈死体が発見されたのは五月最後の日曜日だった。〉チョン・イヒョンの小説『きみは知らない』はミステリー調の不穏な雰囲気で始まる。それは現代社会の醸す不安定な情緒を表象しているかのようだ。
 その家族は韓国の「富裕層エリア」であるソウル江南(カンナム)の複層構造の高級ヴィラに住んでいる。夫サンホは中国相手の小さな貿易会社を経営している。感情的な性格で、何やら怪しい取引に苛ついている。二人目の妻オギョンは韓国生まれの中国人だ。三人の子どものうち上の二人は前妻の子だ。情緒不安定な長女ウンソンは大学のそばに部屋を借りてめったに戻らない。長身でクールな長男ヘソンは医学部に入学した。私立小学校に通う次女ユジだけが現在の妻の子で、ヴァイオリンを習い才能を認められているようだ。
 何の不自由もない、傍目も羨むような家族だが、それぞれに秘密があり、孤独を抱えて、癒やしを求めている。外見と背反して中身は崩壊を始めた家族の像である。
 資本主義社会の壊れた家族の肖像と言えば、柳美里の『家族シネマ』などの初期作品を想起する向きもあるだろう。臓器移植がモチーフとなっていると知れば、梁石日の『闇の子どもたち』やカズオ・イシグロ『わたしを離さないで』を思い出すかも知れない。中流家庭の孤独はこれまでも小説や映像でも主題となってきた。
 しかし、『きみは知らない』の背景にある新自由主義の歪みは、実はなかなかにグローバルで、東アジアの現代史と地政学を下敷きにしている。そして単純ではない複合民族社会としての韓国を見せてもくれる。
 行方不明になる小学生ユジの母親の名は「玉鈴」で、韓国語読みは「オギョン」中国語なら「ウィリン」だ。名門台湾大学を出ているが、台湾では韓国人、韓国では中国人として見られる。オギョンや元恋人で台湾に住む中国系韓国人のミンは、「内在するレジスタンス倫理綱領」によって束縛されている。外部や他人の目を気にしながら言語や態度を変えて暮らしてきたのだ。韓国では中国人と思われないように、台湾では韓国人だと気づかれないように気をつける。
 オギョンにとっては、二人目の妻であることも韓国上層の階層社会ではマイナス要因らしい。娘のユジも母親由来の排外素因を二重に持っていることになる。
 夫のサンホは、人生に何か目的があると信じたことがない。ただ家族を養うために良心を捨ててでも商売をする。長男のヘソンは、なんとなく父の不正を感じているが、はじめから世界は汚くて陰険なものだと知っていて、自分さえ傷つかなければ知らないふりをしていればいいのだと思ってきた。実の両親に、生まれたことを厭われたと思っている長女のウンソンは、刹那的で自暴自棄な日々を送っていた。彼らはみな、世間の悪意と無関係の自分らしい自分でいられる絆を希求している。
 そして金にすがり、性にすがり、娘や安定した家庭にすがる。あるいは電子空間に真の理解者を探す。
 しかし、電子空間のつながりは魅力的だが不安定だ。幼いユジの理解者は生身の少女の出現に戸惑っただろうし、ユジの短い喜びはやるかたない現実にさらわれる。
 現実の醜悪と困難を大人たちは知っている。知っていながら知らないふりをしている。眼前に突きつけられた真実に私たちは行き場を失う。この小説、実は事件としては不明瞭に終わる。解決はしない。正解も出ない。読者の想像力に任せられる。
「どうせ僕は、誰も知らない人間だから」という言葉を遺したミンの犠牲を誰が知るだろうか。読者は考えなければならない。
 ただ、ユジを見ながら「こんなにかわいかったんだね」と言う異母姉ウンソンのことばには救いが感じられる。
 私たちは誰も、自分が傷つかないように目をつぶって見ないようにしている何かを見なければならない。それがどんなに醜悪であっても、自尊心には都合が悪いとしても。見なければ、美しい光景も「かわいい妹」も見えないのだ。
 作者チョン・イヒョンの翻訳出版は『マイ スウィート ソウル』(清水由希子訳 講談社)、『優しい暴力の時代』(斎藤真理子訳 河出書房新社)に続いて3作目。翻訳者橋本智保さんの解説がいつも素晴らしいので、三文読者の批評は不要かも知れなかった。
 蛇足ついでにもう一言。
 この日本では在日外国人の命は常に危機に瀕している。政治権力による難民迫害にどれだけの日本人が関心を持っているだろうか。
 日本の入管によって殺されたスリランカ人女性ウィシュマさんの死に思いを馳せたい。迫害されて逃げてきた在日クルド人の方々や、クーデター軍事政権に命を狙われている在日ミャンマー人の皆さん、日本に住むすべての民族の人権を守るため、人間として「出入国管理及び難民認定法(入管法)改正案」に反対する。
 こうした主張は、『きみは知らない』とリンクしている。

2021年4月10日 (土)

金学鉄 大村益夫訳『金学鉄文学選集1 短篇小説選 たばこスープ』新幹社

金学鉄 大村益夫訳『金学鉄文学選集1 短篇小説選 たばこスープ』新幹社
人間らしく生きようとすれば、不義に挑戦せよ。

Photo_20210410224801 1991年4月19日発行の『粒(RYU)』創刊準備号に、シアレヒム社「出版だより」を鄭敬謨が書いていて今後の出版予定作品が紹介されている。大風呂敷の中に金学鉄(kim hakcyol)『激情時代』があった。もちろん出版されなかった。それから30年の年月が経ったが、それでも金学鉄は出版されなかった。
 われわれは波瀾万丈の金学鉄の作品と生涯を、ほとんど知ることがなかったのだ。
 日本人の多くは、戦争で日本が戦い負けた相手はアメリカだと、アメリカだけだと思っている。現代史を勉強している少数ならば「日中15年戦争」という言葉くらいは聞きかじっていて中国とも闘ったと知っているだろう。しかし、朝鮮の独立のために日本軍と戦い成果を上げた朝鮮義勇軍があったことを知る人は、ほんのわずかだ。この日本人の常識外に金学鉄は生きた。
 金学鉄は、朝鮮義勇隊(後に朝鮮義勇軍)の将校として抗日戦を闘い、大腿部を負傷して日本軍の戦時捕虜となって獄中で闘った。解放後は左翼活動家として闘いながら小説を書いた。朝鮮戦争が始まると中国へ退避し、朝鮮族自治区の延吉に移って作家として暮らした。
 ところが1957年、中国の反右派闘争の犠牲になり、以後24年間執筆を禁じられた。そのうち1967年12月からの10年間は獄に繋がれていた。金学鉄が作家活動を再開できたのは1980年12月まで待たなければならなかった。(詳しくは本書の、大村益夫「解説 金学鉄――人と作品」を参照されたい)
 本書は短篇集だが、古い作品は1946年、新しいのは1987年発表と発表年の時間幅が広いので作風や題材に変化がある。作者の人生が反映されているとも言えるので、この本に限っては「解説」を読んでから読んでも良いかと思う。
 若い作品は教条的な感じがすることもあるが、綿密に読むと作品的にはそうではない。登場人物の思想のそういう面が表出される場合があるだけだ。
 面白いのは抗日を闘う同志のあいだでの感情的諍いや、粗忽な失敗が描かれているところだ。革命家といえども一人ひとりが異なる個性を持っていて、笑い泣き怒り時にはいがみ合ったりもする。
 あっけらかんとした文体も特徴だ。負傷して囚われるような悲惨な状況さえも楽観的に描かれている点だ。戦争下とは言え、あっけなく人を殺してしまうなあ、と読んでいると、殺した日本兵が朝鮮人学徒兵だったと分かるとやるせなくなってしまう、主人公の悲哀もあっさり描かれる。銃弾を受けて腐った足を切断するが、その足を掘り出して見て壮快に笑いあったりする。これは金学鉄文学の特徴なのか金学鉄の個性なのか分からない。
 朝鮮義勇軍というモチーフも面白い。戦闘もしたが、主に日本兵の懐柔を任務としたらしく、それもそれなりの成果をあげた。こういう小説はなかなか読めない。
 金学鉄は〈朝鮮義勇軍の活動を歴史から抹殺しないでほしいのです。〉と言っている。
 もう一つ注目すべきは、金学鉄の小説は多言語小説だという点。朝鮮語で書かれているが、中国語と日本語が小説の中に飛び交っている。地理的背景も東アジアつまり中国・朝鮮・日本に広がっている。実際に金学鉄が行き来したからだ。植民地支配下朝鮮で生まれ育ったために日本語が堪能で、戦争当時から日本人とも親しくなれた。八路軍に属したので中国の同志と連帯したのは当然だ。金学鉄の民族際性、多言語性に注目すべきだ。
 巻末に、韓国の大学教授金在湧の跋文「植民地支配と南北冷戦を踏み越えて」が掲載されている。その冒頭で〈中国の朝鮮族作家金学鉄は、二十世紀韓国離散文学において、在日朝鮮人小説家金石範とともに、太い柱を形成している。〉と書き出している。韓国の文学批評界における評価の高さが窺える。「韓国離散文学」という言葉が概念を狭めているように見えそうだが、極小の中にこそ世界文学が広がる。
 金学鉄は政治的には恵まれなかった。生涯を革命家として生きたのにも拘わらず、社会主義中国から迫害された。彼が尊敬した彭徳懐は中国革命の英雄であり八路軍の指揮者であり、朝鮮戦争時には中国人民志願軍の司令官だったが、文化大革命で紅衛兵によって迫害され死に追いやられた。
 先に書いたように金学鉄本人も投獄され、釈放後も執筆を赦されなかった。作家として書く自由を奪われる無念はいかばかりだったか。
 金学鉄は東京での講演でこう言っている。
〈社会主義に生涯をかけた者として、「いまこそ、人間の顔をした社会主義の実現を」というのが私の切実な訴えです。〉                  (金学鉄「私の歩んできた道」『季刊青丘』3 1990年春)
 また、本書解説に紹介された遺書には、
  楽に生きようとすれば、不義に顔をそむけよ。
  だが、人間らしく生きようとすれば、不義に挑戦せよ。
とある。凄い言葉だ。
 金学鉄文学選集の構成は、全4巻で、1巻がこの『短篇小説選 たばこスープ』で翻訳は、日本では最も早く金学鉄を紹介し、また中国の朝鮮族文学に詳しい大村益夫さん、2巻が『二十世紀の神話』で翻訳は愛沢革さん、3・4巻が『激情時代』で鄭雅英さんです。

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