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2021年1月29日 (金)

石田甚太郎『野の荊棘』(スペース伽耶 2007年7月)「解説」

石田甚太郎はあまりにも無名作家だ。しかし、『殺した殺された―元日本兵とフィリピン人200人の証言』(径書房)や『ワラン・ヒヤ─日本軍によるフィリピン住民虐殺の記録』(現代書館)は、日本軍がフィリピンで行った残虐行為について、現地の生存者のみならず日本軍元兵士たちに食い下がって証言をまとめており、英訳されニューヨークタイムズ紙に紹介されるなどアメリカやフィリピンなどでは一定の評価を受けた。
 石田は上記等のルポルタージュで成功したが、多くの小説も遺している。石田の小説の特徴の一つに日本の加害性を追及する点がある。石田甚太郎は貧しさゆえに侵略の矢面に立たされることになった日本人の加害性を明確に見せようとした。そこに石田の厳しさがある。
 確かに日中国交正常化にさいして、中華人民共和国政府は日本国に対する戦争賠償の請求を放棄した。周恩来を前面に建てた中国共産党指導部は、日本帝国と日本人民を同一視せず、日本人民を中国人民同様日本帝国主義の犠牲者と見て、日中友好のために日本人民の負担となる戦争賠償請求を放棄したのだった。これは政治的判断だ。
 しかし、ややもすると、あの時代は日本人も苦労したんだ、大変だったんだ、戦争の犠牲者だ、という言葉に解消させられてしまう民衆個人の責任を石田は執拗に追及した。それは歴史学者には踏み込めないかも知れない文学者の態度だった。
 さて、ここに石田甚太郎論を書く力も余裕も筆者にはない。ただ、戦時性被害者だった女性たちと、犯した側の日本軍兵隊がともに被害的立場として同志的立場にあったなどとの謬論に、拍手を送る日本のリベラリストに石田甚太郎を読んでもらいたいと思うだけだ。
 以下に、『野の荊棘』(スペース伽耶 2007年7月)掲載の「解説」を転載します。
――*――*――*――*――*――――*――*――*――*――*――

戦後日本の精神を問い糾す作業
  ――石田甚太郎の文学

                     林 浩 治 

 安倍晋三首相は、就任後初の訪米で従軍慰安婦に言及して「彼女たちが慰安婦として存在しなければならなかった状況に、我々は責任がある」と謝罪の意思を表明した。アメリカ議会で日本の従軍慰安婦問題を追及する動きが盛んであると同時に、欧米のマスコミによる人権問題報道攻勢に譲ったかたちである。安倍晋三は訪米前には、米紙の取材に応じて「従軍慰安婦の強制に軍が関わった証拠はない」などと発言している。彼はもともと日本軍国主義の犯罪をなかったものにしようという歴史修正主義の動きに与している。今回の謝罪は米政府との関係を考慮した形式的なものであると言えよう。
 しかし問題は国民レベルの排外主義である。インターネットの世界や、雑誌などのマスコミも日本軍国主義の正当化で溢れている。「嫌韓流」に代表される単純で感情的、表層的、マンガの手法を使った、情緒に訴えた日本民族主義プロパガンダは、今や右翼の街宣車が来なくとも、至る所で普通に耳目に触れる。虚構の日本人種主義が跋扈するなか、従軍慰安婦問題や朝鮮人強制連行など軍国主義時代の負の遺産は消し去られようとしている。史実の抹殺はある時はかまびすしく、またある時はひっそりと進んでいる。彼らは「歴史的事実がはっきりしていないのだから、教えてはいけない。語ってはいけない。」という。犠牲者の人権を無視し、自己充足的情緒の満足を得るために、多くの記憶を抹殺しようとしているのだ。
 石田甚太郎は日本人の前に、日本の負の遺産と、それを精算出来ないばかりに現代にまで続く、日本人の愚かで醜い姿を突きつけてきた作家である。
 石田は、一九二二年福島県生まれ、元海軍兵士で電波探知機基地に勤務していた。復員後、会社員、中学校教員を経験し、五十歳を過ぎてから作家を志した。そのために日本文学学校や英語の専門学校で学び、アフリカや南米を取材、沖縄やフィリピンには長期滞在して徹底的に取材した。その結実が『ヤマトンチュの沖縄日記』(創樹社)や『ワラン・ヒヤ――日本軍によるフィリピン住民虐殺』(現代書館)、『殺した殺された』(径書房)らのルポルタージュである。特に、『ワランヒヤ』と『殺した殺された』は、日本軍によるフィリピン住民虐殺を追及したルポルタージュとして注目された。このとき石田甚太郎はすでに七十に手の届く歳になっていた。
 その後石田甚太郎はフィリピンをモチーフに小説を書き続けた。『モンテルンバへの道』、『海辺の怒り』、『JFC母と子の物語』、『夜明け』(以上 新読書社)などである。この一連のフィリピンシリーズの主人公たちはフィリピン人である。日本人も登場するが構造的な加害の立場としてであり、あくまで主人公はフィリピン人であった。石田は歴史的被害者の立場で書く希有な日本人作家でもある。
 その石田甚太郎が今回挑んだ作品は朝鮮人従軍慰安婦であった。従軍慰安婦については、いまさら説明するまでもない。植民地支配下の朝鮮から、日本軍に従った「業者」によって拉致され、脅され、騙され、強制、半強制的に日本軍「慰安所」に監禁され、日に何十人という日本軍兵隊に犯され続けた被害者である。
 いままでに「従軍慰安婦」をモチーフにした小説といえば、韓国の作家尹ジョンモの『母・従軍慰安婦―かあさんは「朝鮮ピー」と呼ばれた―』、在日韓国人である作家つかこうへいの『娘に語る祖国 満州駅伝―従軍慰安婦編』、コリアン・アメリカン作家チャンネ・リーの『最後の場所で』も「慰安婦問題」をベースにした作品である。
 しかし、日本人作家の小説を寡聞にして私は知らない。日本人作家が小説として書くには勇気のいる題材である。研究書やルポルタージュと違い、虚構を媒体にして真実を鮮明にしようとした場合の壁は巨大だ。しかも、左右からのあらゆる「非難」を覚悟しなければならない。石田甚太郎の覚悟も並々ならぬものであった。
 石田甚太郎は体験の作家である。分からないことは現地調査し、人と会って話を聞くという手段を徹底している。そのために五十歳を過ぎてから胃の痛む思いをして英会話を学んだのだった。今石田は八十を過ぎ、さすがに韓国語を学ぶ余裕はなかったが、通訳を頼んで何度も訪韓した。初校が出てからも再度訪韓して調べ直すという労を惜しまなかった。
 石田の小説の特徴の一つに、虐げられた女性の芯の強さがある。虐げられたままで終わらない。生き抜いてやるという強さを持つ女性を必ず主人公にしている。『野の荊棘』の主人公順伊(スニ)も例外ではない。幼い頃から虐げられて生きてきた。下働きにだされ、掠われて慰安婦にされ、日本兵の慰みものにされても、逞しく生き抜いた女性である。決して許すことの出来ない生活のなかで、何とか小さな光を見いだそうと努力する。憎むべき仇であっても生きるためには愛そうと努める。生きることにどん欲で、生きて生きて生き抜くことによって何かを取り返そうとするかのようである。
 『野の荊棘』のもう一つの特徴は、山田勇像の表出が優れているということである。山田勇はこの小説のもう一人の主人公と言っても良いほどである。大日本帝国軍の兵隊となった庶民とはこんなものではなかったかと思わせるリアリティがある。
 この山田勇像をどう捉えるかは、戦後日本の民衆像を考える上でも小さくない意味をもつだろう。山田こそ戦中・戦後を通して生きた軍隊経験を持つ日本人男子の典型ではないか。戦中は上官から虫けらのように扱われ、道に迷えば脱走兵扱いされ、怪我して行軍の邪魔になったら棄てられる兵隊であり、折れ曲がりそうな鬱屈した精神状態にありながら、貪欲な性欲を慰安婦相手に満たすことによって何とか兵隊としての自己を保っている。
 戦後はヤミ屋買い出しをして生き、官憲に取締られても逞しく生き延びようとする。ときおり優しさを垣間見せることもあるが、根深い差別観を持っていて、自己内部の不安がふくらみ始めると、差別を爆発させることによって精神の安定を保とうとする。山田は常に自己の責任についてはこれを回避し、他者の責任には差別的言行でこれにあたる。山田は時に冷淡だが時には優しく、自分の攻撃性には気づかず、虐められ押さえつけられる憤懣を順伊にぶつける。
 石田がかつて『殺した殺された』を書いたときに取材した、フィリピンでの虐殺に加わった多くの元日本兵の陰が山田勇と重なって見える。彼らは自分こそ歴史の犠牲者で、自分の犯した殺人や強盗については歴史の過ちで仕方の無かったことだと精算する。個としての責任感が希薄なのである。個人としての戦争への荷担を問おうとはしない。
 山田勇は、いじめられっ子が同時にいじめっ子であるような現代日本人の姿そのものである。我が内なる山田勇をどう克服していくのかが今こそ問われているのではないか。
 そして、日本人が今世界から問われているのも、この点ではないか。歴史の負の遺産を自己のものとしてしっかり見据えること。戦争への反省から始まったかのように思えた戦後日本の平和主義をもう一度問い直すのか。それとも戦争の犠牲者としてだけの自己を、虚構の「日本」と同一化したうえで嘆き、軍国主義の歴史を正当化して胸を張り、周囲の国々を敵にまわして軍事国家への道をひた走るのかだ。
 『野の荊棘』は小説として構成されたものであるから、歴史的背景の設定などディテールに事実と異なる点が見つかるかも知れないが、それは問題ではない。従軍慰安婦問題と日本人の精神史を考える上でのこの小説の指し示すヒントは小さくはないはずだ。

 

石田甚太郎(いしだ じんたろう)さんの〈プロフィール〉

1922年福島県生まれ。主な著書:『ヤマトンチュの沖縄日記─ライトブルーの空の下で』(創樹社)、『ボリビア移民聞き書き』(現代企画室)、『ワラン・ヒヤ─日本軍によるフィリピン住民虐殺の記録』(現代書館)、『日本鬼(ヤンプンクワン)─日本軍占領下香港住民の戦争体験』(現代書館)、『殺した 殺された─元日本兵とフィリピン人200人の証言』(径書房)、『マンゴーの花咲く戦場』(新読書社)、『モンテンルパへの道』(新読書社)、『海辺の怒り』(新読書社)、『JFCの母と子の物語』(新読書社)、『夜明け』(新読書社)、『野の荊棘』(スペース伽耶)、『暁の大地』(スペース伽耶)。
(「スペース伽耶HP」より引用)

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