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2020年9月17日 (木)

ピョン・ヘヨン『モンスーン』

勤労市民の生はブラックホールに吸い込まれる
ピョン・ヘヨン『モンスーン』(姜信子訳 白水社)

Photo_20200917110901  新型コロナウィルス禍によるパンデミックによって、世界は新しい日常を外側から強要された。人々は顔の下半分を隠し、近寄りすぎず、集まらず、面と向かって話し合ってもいけない。会社も学校もリモート化が進み、人と人の接触は極力避ける、そういう社会で我々はブラックホールに吸い込まれるかのように、見えない任務を果たしていくのだろうか。
 ピョン・ヘヨンの『モンスーン』(2019年8月 白水社)は、コロナ後の世界はコロナ以前から始まっていたのではないか、と思わせる。我々は資本主義によって分断され、既に向かい合うことを自制されていた。ソーシャルディスタンスはとっくに始まっていたのだ。
 「同一の昼食」には直接〈人間は他人と少なくとも二メートル以上の距離を置かねばならぬ存在なのかもしれない。〉と書かれた。大学の複写室で商売する彼は、学生や講師たちとはまったく親交がなかった。彼の一日は定食Aセットを基準に、午前と午後が転写画のように反復した。昨日と今日が、先週と今週が、昨年と今年が同じで、未来は過去と同一のようだった。
「観光バスにのられますか?」では上司の指示で大きな袋を運ばされる二人SとKの道中が描かれた。彼らは指示された通りにバスに乗って目的地に行き、その都度ケイタイに届くメールの指示を待って別のバスに乗る。そんなこと繰り返すが自分たちが何をどこに運んでいるのか知らない。仕事はブラックホール化していて、もう殆どの者には理解出来ない構造になっている。多分人生も同じだろう。
「ウサギの墓」で地方に派遣された彼は、毎日都市から来た文書を整理して、その都市と関連する情報を検索収集して簡潔な書類にまとめるのが仕事だ。何のための仕事かは分からない。仕事の目的が分からないまま日々を繰り返す。
「散策」の彼は妊娠した妻を伴って支社勤務の辞令を受ける。放し飼いされる大型犬を妻が怖がり外出もままならない。彼は犬を処分するために森に入るが、道に迷って帰れなくなってしまう。我々は何の意味か不明な前進を余儀なくされて、帰り道は見えない。
「クリーム色のソファの部屋」では、支社勤務を終えソウルへ向かう夫婦と赤ん坊の道中だ。雨が降ってきたのにワイパーが動かない。夫のジンにとって車とは内部のことがまったく分からない黒い機械のかたまりに過ぎない。ブラックホールだ。この小説も主人公たちは帰れない。帰ろうとしてもトラブルが続出してたどり着けないのだ。
 そしてこの主人公も、自分の世界が巨大な船舶の一部に過ぎず、労働者たちが製造する部品と変わりがないと知っていた。
「カンヅメ工場」の従業員たちにとってはカンヅメがブラックホールのようなものだ。彼らはカンヅメのふたを開けるとき、飯を食っているのか、検査をしているのか、分からなくなり、結局どっちにしても生産工程の一部だとばかりに機械的に口を動かす。
 彼らの誰もがひそかにカンヅメに何かを入れて密封した経験がある。現金だったり、指輪、クリスマスプレゼント、家の書類、市場で買ってきた猫の肉、死んだペット犬の死骸、鼻をつく臭いの靴下と下着等々だ。工場長が失踪したが次の誰かが替わるだけだ。
 表題作「モンスーン」には、消えた灯りを点す再生の意味がありそうだ。しかし他の作品同様なんら説明はない。読者は想像しなければならない。
 赤ん坊を亡くしてテオは会社を辞めた。テオは子どもの死に関して妻のユジンを疑っている。団地の工事停電の日、テオが駅前のバーに入るとユジンの勤める科学館の館長が近づいて来て一緒に飲むことになってしまう。テオはつい赤ん坊の死について不用意な言葉を発してしまう。テオは誤解を意識した。それはユジンになすりつけた罪をテオが被る行為であり、自己の正当化を崩すものだった。想像は誤解を生むかも知れない。読者としては読書そのもの危うさも考えなければならない。
 ピョン・ヘヨンは不条理な現実世界を読者に突きつけてくる。我々はデジタル化し、リモート化した仕事の意義を肌で感じることができなくなりつつある。金儲けだけが目的であれば、作業がブラックホールに吸い込まれ見えなくても良いのだ。しかしそれは支配階級の論理だ。
Photo_20200917110902  同じ作者の作品をもうひとつ紹介したい。『ホール』(カン・バンファ訳 2018年10月 書肆侃々房 韓国女性文学シリーズ)だ。
 交通事故で妻を失い、自分は目の瞬きで意思表示をするだけの寝たきり状態になった男オギ。左手だけがようやく動くようになり自宅に帰るが、既に両親を亡くし家族は妻の母だけだ。オギと義母の関係は典型的な非対称性の暴力関係にある。
 男が俗物だったとしても、不倫の経験が何度かあったとしても、妻との関係が上手くいっていなかったとしても、動けず喋れない人間の人権を蹂躙はできない。しかしこの小説では被暴力支配下にある男の絶望への道が描かれる。冒頭で医者はオギに生きる意志の重要性を解き、オギは励まされるが、身動きできないオギの人生はことごとく潰されていく。
 人間が落ちていく穴はどこにでも誰にでもありそうで、また誰もが掘ってしまう。気付かぬうちに自分が非対象的な暴力を振るっていることもあり、人を穴の闇に導いているのかも知れないという恐怖が横たわっていることもある。自覚しなければならない。
 ピョン・ヘヨンはこの小説でアメリカの文学賞シャーリイ・ジャクスン賞を2017年に受賞している。他に日本語訳が出版されているものとしては、短篇集『アオイガーデン』(2017年 クオン)がある。

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