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2020年2月19日 (水)

倉数茂「あがない」

一人ひとりに固有な宇宙が存在する。
倉数茂「あがない」(『文藝』2020春)

2020 文学とは生きることの意味を問うものだと、あらためて考えさせらる。「あがない」はそういう小説だ。人間は一人ひとりがそれぞれの闇を抱えている。闇の深さも広さも人それぞれだ。
 主人公の祐(たすく)は子どものときから「必ず一番になれ」と育てられ、高校・大学とラグビー部だったが怪我して挫折、それでも営業マンとして死ぬほど働き実績を上げつづけ結婚して子どももできたが、リーマンショック後も更に頑張り続け、覚醒剤に手を出して堕ちていった。強殺事件に加担して服役を終えた今は解体業で肉体労働に従事しながら、今も薬物中毒の自助グループに参加している。
 祐の周囲は人生を病んだ様々な人びとが取り囲んでいる。
 解体会社の新米でキャバクラ通いする若者涼介。技能実習生として来日2年、酒も飲まず生真面目に働いて仕送りする外国人労働者のアジェイ。キャバクラで働き金を貯めては韓国に行っている歩美。現場に倒れていたところを救われるが、いつの間にか祐の解体会社で要領よく働く得体の知れない男、成島。広い家の独居老人吉田嘉平。
 そして、祐が服役するきっかけになった強盗殺人の主犯橋野。橋野は生まれた時から豚のように虐げられ地の底を這いずり回って生きてきた。ケージの中に閉じ込められて育つ豚は、肥えさせられて屠殺場に送られる。橋野は豚に譬えて自分も生まれて来ない方が良かったと言う。自己の存在に否定的な者は他人には更に冷酷になれる。
「そういうもんだろう、世の中は」
「そんなにまでして生きている意味があるんすか」
「なんで生きてるんだ。なんか意味あんのか」
「俺は自分が誰だかわかんないんですよ。」
「あんな人間生かしといたって無駄ですよ。税金の無駄。社会の無駄。」
「汚れや悪運って自分の一部のような気がする」
「ぶっちゃけ俺たちいらない人間ですよ。消えても誰も悲しみませんよ。だったら、そんなんで潰し合ったって世間は痛くも痒くもない」
 この小説にはこんな退嬰的な言葉が頻出する。得がたい理想から遠く離れ、自己肯定できない無念から他人を悪し様に扱う。犯罪者だけの特性とは言えない。権力と金力で世渡りして政治家になったった者も愚かしい虚言を飛ばしている。権力の前に言葉は「意味が無い」と嘯く。
 自分の親の介護を続けていると、老人介護施設で利用者である老人に横暴な振る舞いをするヘルパーの気持ちが分かってしまう。小説の話ではない。生産性のない自己の価値を他人を抹殺することで証明しようとする。
 主人公の祐は資本主義のレールを邁進する列車だったが、燃料入れすぎでトラブルを起こしてお釈迦になった。解体屋で作業する姿が象徴するものはなんだろう。作っても作っても壊し続ける資本主義の運命だ。生きている人間は社会の運命にどう関わっていくのか。
 われわれ普通の人間は、生きている以上毎日誰かを傷つけている。それでなくても動物を殺し、自然を破壊し、地球を汚染して生きていくのだ。では人間の罪とは何か。どうしたら贖うことができるのだろうか。
 祐は人生をあがなうある決意をし、別れた妻に会いに行く。再婚した元妻が病院で健全に働き、娘も明るく育っている姿に読者は灯りを見出すかも知れない。橋野は命に価値などないと言った。祐は悪意との死闘を決意してナイフを手に握る。
 自助グループでのスピーチ、小説の終わりはこう括られた。
「存在する僕たちと存在しない僕たちを乗せて、宇宙はふるふると震えながら走り続けます。」
作者、倉数茂は1969年生まれ。著作に『黒揚羽の夏』(2011年 ポプラ文庫)、『始まりの母の国』(2012年 早川書房)、『魔術師たちの秋』(2013年 ポプラ文庫)、『名もなき王国』(2018年 ポプラ社)などがある。本ブログでは、『始まりの母の国』『アイヌ民族否定論に抗する』についての記事がある。

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