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2019年12月 8日 (日)

ウン・ヒギョン『鳥のおくりもの』

生には他意がある
ウン・ヒギョン『鳥のおくりもの』橋下智保訳 段々社

Photo_20191208194501  12歳のジニが生きる世界は1969年韓国の地方都市だ。母を失い、父は行方が分からない。祖母に引き取られ、祖母の息子で大学生のヨンフン兄さん、娘のヨンオク姉さんと暮らしている。祖母は畑仕事をし部屋を貸して家賃を稼いでいる。庭の井戸を中心とした田舎の家の構造は韓国ドラマを見ていればお馴染みだ。
 ジニは克己訓練で自己を統制し、自分を「見せる私」と「見る私」に分け、「見せる私」を生へと導き「見る私」がそれを見ている。「見せる私」は他人が望む私として行動し、本当の私がそれを見ている。他人に強要されたり侮辱されたりする私は「見せる私」なので本当の私はあまり傷つかない。
 ジニは12歳で人生を悟り、生きることに真の意味などない、しょせん人間なんて自分しか愛さない生きものだと確信している。だからそれ以上成長する意味を失ってしまった。
 しかし同居するヨンオク姉さんは、恋したり、恋に破れたり、二重まぶたの手術をしたり、親友に裏切られたり、新しく恋をしたり、友を永遠に失ったりと様々な経験をし痛い目に合って成長する。そういうヨンオク姉さんを12歳のジニが見ていると、30過ぎのジニが回想している。
 ジニはヨンフン兄さんの屋根裏の本を読みあさり性的知識を豊富にした。ヨンオク姉さんが行く美容院に置かれた雑誌の「大人だけが見る頁」も夢中で読んだ。こうしてジニは性を侮るようになった。
 ジニはヨンフン兄さんの親友ホソクに恋をするがその気持ちを外に出すことはない。恥ずかしいからではなくジニは人生に対して常に冷笑的でありありたいと考えているからだ。
 『鳥のおくりもの』にはジニの家族をはじめ多くに市井の人びとが登場する。将軍という渾名のジニの同級生。そのお母さんは朴正熙の信奉者で、人間は世の中の流れに沿って生きていかなければならないというふうに生きている。光進(クァンジン)テラーのおじさんは政治家気取りだ。バイクを乗り回し一日中遊んでいる女好きで、家に帰ると妻に暴力を振るう。おばさんは辛抱強く夫の横暴に耐えている。美しく生まれた為に不幸を背負ったヘジャ姉さんと、美少年の弟ヒョンソク兄さん。ヒョンソク兄さんは不登校だ。潰れた精米屋の娘でテドン病院に住みこんで働いていたが、院長にセクハラされて理不尽にも追い出されたヨンスク姉さん。店の金を盗んで出奔したニュースタイル洋装店のミス・リー。行商人だがエホバの証人の信者のエバおばさん。ヨンオク姉さんから「キタナイ先生」と陰口されるチェ先生。そしてヨンオク姉さんを追い回す町のチンピラ、ホン・ギウンなどなど、個性的だがどこにでもいそうな人びとがジニの目から映し出される。
 これらの人びとが総じて俗物であるのに比してジニは知的で沈着だ。例えば人の評価について、〈ふと、パンパンだと大人たちに噂されているヨンスク姉さんのことが頭に浮かんだ。でも私は、ヘジャ姉さんやヨンスク姉さんが穢れた存在だとは思わない。二人が傷を負った清らかな霊魂だと思うのに変わりない。〉と考える。しかし読者はジニの知性に歪みを感じるに違いない。他の登場人物たちが俗物ながらも愛すべき人間として描かれているからだ。最後近く、ヨンオク姉さんやジニたちをトラックに乗せるホン・ギウンを見れば、作者の愛情は明らかだ。
 作者は、庶民の群像を皮肉に描きながら、その実大らかな愛で作品全体を覆っている。「訳者あとがき」によると「世態小説」と評され、朴泰遠『川辺の風景』、梁貴子『ウォンミドンの人びと』と並び称される。多分チョン・セラン『フィフティ・ピープル』なども該当するのだろう。
 ジニは1969年も90年代も何も変わらないと言っている。「生には他意がある」と言うジニの真実は時代を越えるのだろうか。作者ウン・ヒギョンは1959年生まれ。まさにジニと同世代だ。
 チョ・ナムジュ『82年生まれ、キム・ジヨン』のキム・ジヨンは1982年生まれで、作者のチョ・ナムジュは1978年生まれだ。歴史は人間の意志によって変化している。 

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