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2019年11月22日 (金)

資本主義の終わりか? 未来への大分岐

斎藤幸平編 マルクス・ガブリエル、マイケル・ハート、ポール・メイソン
『資本主義の終わりか? 未来への大分岐』集英社新書

 腐敗した資本主義末期に、私たちの未来を開く議論を読むべし
Photo_20191122112301   内閣総理大臣が主催する公的行事である「桜を見る会」に、安倍晋三首相自身や政権与党の後援者を招待している実態が明るみになった。税金で有権者を接待し「私物化」していたのだ。勿論違法である。安倍晋三は加計学園などの自身の親しい「友人」企業を明確に優遇して問題になっても反省することがない。自らの犯罪を隠蔽するために統計データや公文書を改竄したり廃棄してもどこ吹く風だ。
 安倍晋三の幇間記者で『総理』(幻冬舎)の著者である山口敬之の準強姦容疑の逮捕状が、当時の中村格警視庁刑事部長(現官房長)によって葬られた事件もあった。最近は、中村官房長が刑事部長時代、ゲームセンターでの子どもの喧嘩に捜査一課を動かして加害者を逮捕した過去が週刊誌に掲載された。被害者とされるのは、安倍首相の政策秘書を務めた人物の子息だった。安倍晋三を頂点としてその家族まで含むヒエラルキーが成立していて、公権力を自由自在に動かす構図だ。まるで「水戸黄門」に登場する悪代官だ。
 安倍内閣は「アベノミクス」とネーミングした経済政策を推進するが、人民の生活は益々貧困に向かい、利益は1%の高所得層に巻き上げられている。大量の国債を発行し借金を増やしながら実態では非正規労働者を増やして低賃金労働を強いるゾンビ経済がアベノミクスの本質だ。これは資本主義の末期的症状だ。アベノミクスゾンビ経済が破綻してもかつての成長経済は蘇らない。また資本主義が壊し続ける地球の自然は、巨大台風や異常気象、極度の温暖化によって人間に襲いかかってきている。
 では我々はどうしたら良いのか? という議論がこの小さな1冊に凝縮されている。
 編者で聞き手は1987年生まれの若い経済思想研究者斎藤幸平で、気鋭の思想家三人の意見を引き出す体だが、斎藤のとの対談の趣だ。
 マイケル・ハートはアントニオ・ネグリとの共著『帝国』で有名。
 マルクス・ガブリエルはNHKドキュメント「欲望の資本主義」でGAFAの支配する資本主義世界に警鐘を鳴らした。
 ポール・メイソンは情報テクノロジーによって崩壊する資本主義の次を予言する経済評論家だ。
 共通するのは、現代社会の危機を乗り越える道は脱資本主義、ポストキャピタリズム社会にしかないと考えている点だ。
 マイケル・ハートはコモンcommonの自主管理を基盤とした民主的な社会を模索する。コモンとは民主的に共有されて管理される社会的な富、電力、水資源、土地、資源など、あるいは情報も入る。
 従来均質なものとして理解されてきた労働者階級も、人種・階級・セクシュアリティ・ジェンダー・ネイションなどバラバラな勢力によって構成されている。社会変革の主体も多様性や差異に焦点を当てた主体性の概念マルチチュードによって捉え直さなければならない。ポストキャピタリズム社会は、マルチチュードによって構成される。
 ハートは、社会の中で生み出された知識や情報が固定資本として機械のなかに統合され、集約・固定された知の新しいメカニズムであるアルゴリズムも、GAFAの独占からコモンに奪い返すと言う。アルゴリズムの管理権を要求するということだ。
 新実在論を掲げるマルクス・ガブリエルは、現在跋扈する「ポスト真実」的言説は客観的事実を軽視する相対主義によっていて、これは「自明の事実」を否定する危険な考えだと指摘する。相対主義によって経済危機、気候変動、難民問題や強制徴用工、戦時「慰安婦」、南京虐殺、関東大震災時の朝鮮人等の虐殺が否定されたり過小評価される。
 我々は人権に中心をおいた社会を目指さなければならない。なぜなら人権とは人間が人間としての生を営むための必要条件であり、奪うことのできない絶対的なものだからだ。近代民主主義の理念は、人間の自由と平等という考えに依拠している。これは人類が歴史を経て獲得した否定できない真理なのだ。普遍的な価値であり、それは文化的・時代的価値観によって左右されるものであってはならない。
 マルクス・ガブリエルが、倫理的な価値・政治的な価値の唯一の源泉は人間という生の形式だと言うとき、私は文学の価値を考える。文学は人間を考える作業だからだ。それに対して文学を否定・過小評価する政策を取る政権は、敵を非人間化して攻撃的態度をとる。ネトウヨの言説にもこの傾向は度々見られる。天皇を持ち上げて日本(実は日本の政権)を過大に尊重してアジア諸国とりわけ朝鮮・韓国を蔑視する態度は同じ意味を持つ。差別と人権は対立する。
 ポール・メイソンは、情報テクノロジーがポストキャピタリズムへの道を開くと考えている。ただしそこには市場の独占やプラットフォーム資本主義、情報の非対称性などポストキャピタリズムを阻む要因がある。
 またAIの暴走にも注意が必須だ。AIが人間の知性を超えるシンギュラリティの時代を迎えるにあたってAIを規制するルールが必要になってくる。AIは倫理を持っていないからだ。答えは技術ではなく、ヒューマニズムのなかにある。人間性に重きを置いた生活にこそ未来がある。
 私たちは、合理的思考、個人主義、知識の民主化を実現してきた歴史を逆戻りさせてはならない。
 斎藤幸平は「エコロジカル社会主義」ecosociaismを唱える。納得のいく議論だ。そのためにも政治主義に陥らず、社会運動を基盤にした闘いが未来を開くだろう。
 私たちは「大洪水よ、わが亡き後に来たれ」という態度でじっと耐えていてはならない。

※國分功一郎/山崎亮『僕らの社会主義』 も面白いので参考まで。 

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