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2019年9月25日 (水)

ペク・スリン『惨憺たる光』

痛みと希望は同時に存在する
ペク・スリン『惨憺たる光』カン・バンファ訳 書肆侃侃房

Photo_20190925144801 「私たちは絶滅の始まりにあるというのに、あなたが話すのはお金や永続的な経済成長のことばかり」
スウェーデンの環境活動家グレタ・トゥンベリさん(16歳)は、9月23日国連本部で開催された「気候行動サミット」で怒りの声を上げた。彼女の言う通り、大人たちは地球そのものを壊し、人間を含む生命の豊かな生存を脅かしている。責任を追及されたのは私たちだ。
 金儲けと支配欲に支配され、永遠の経済発展の夢を前提に地球を蝕み、自然を破壊し、人間を分別してきた人間を賞賛し支配を委ねたのは私たちなのだ。
 ペク・スリンの短篇集『惨憺たる光』の最初の作品「ストロベリー・フィールド」の冒頭は、かつては奴隷貿易と海洋貿易で栄えた港町リヴァプールの衰退した風景にはじまる。しかしビートルズはここから生まれた。経済成長という欲望と芸術は背中合わせに時間を過ごした。
 経済的安定はときに犠牲を生むがそれが悲劇かどうかは分からない。「時差」に登場するジョンフンは、おばが22歳のときに「過ちを犯」して出来た子だ。ジョンフンはオランダからやって来たが、彼の願いは叶わない。〈彼が世界中を巡りながら、いくつもの国境を越えながら、夜空の星のように無数の都市を横断しながら、写真の中に留めたかった刹那とは何だったのだろうか。〉
 「夏の正午」で、パリに留学中の兄の家で過ごした19歳の私の夏は、何から何までタカヒロの思い出に集約された。タカヒロの父は1960年代には安保闘争に参加したが、今はジャズに心酔していると言う。おかしな宗教にはまったことのある兄は、投資に失敗して参っている。タカヒロはサリン事件を経て日本に未来はないと言う。日本人にとって、あのときが一番という時期は日露戦争のころらしい。私は日露戦争がきっかけで韓国が主権を失ったことを意識している。しかし一方で私はタカヒロと同様に太宰治が好きだ。
 帰国の翌年、ニューヨークの高層ビルに飛行機が突き刺さった、ニュースを見てタカヒロを思い出した。個人の生は社会の歴史を反映し、個人の生こそ社会そのものなのかも知れない。
 「初恋」の私はロシア文学の大学院生で、大学は大手企業が学校を買収され人文社会系列の学科が統廃合されそうだ。
 私はデパートの一時アルバイトに行った。そこで大学時代の友人二人と再会し一緒にアクリル板を磨く作業を一日中続けた。
 ロシア文学を専攻したのはJ先輩に憧れたためだった。大学にとって大事なのは就職率と効率性だった。それが社会が要求するものだからだ。ロシア文学は弾き飛ばされる。仕事をしながらのお喋りにJ先輩の厳しい近況も耳に入る。
 「中国人の祖母」で描かれた祖父の後妻は中国人で、私は祖母との親しい関係から義祖母には複雑な感情を抱いていた。その祖母が死んだ。
 義祖母は1930年代に朝鮮半島の南方で生まれた。二度韓国人の男と結婚し韓国籍の息子をひとり授かったが、生涯を華僑として生きた。義祖母の父が朝鮮半島に移住したのは1927年、日韓併合後、植民地の開発という名の下に中国人の移住が増加していた。日本人が、朝鮮人労働者より安く使える中国人労働者を好んだからだ。こういった事実を読者であるわたしは知らない。
〈地球に足を着いている限り、決してその裏側を見ることはできないという月は、完璧な円を描いて闇の中にぽっかりと浮かんでいた。〉
 私は、もっと大きく美しい月を見たことがある。それは、義祖母と見た月だった。1992年に中華民国の国旗が降り、義祖母の周囲の人びとは中国、台湾、アメリカへと去って行った。それでも義祖母は韓国に残り、祖父と結婚した。
「大陸の人の子に生まれ、台湾人になって七十年以上ここで生きてきたんだ、ここで寂しけりゃどこへ行っても同じだろうさ」
 そう言って義祖母は中国語の歌を歌った。
 歴史を背負った個人の生は輝いて見えても、裏側に闇が実存することを私たちは見ないでいるかも知れない。
 「惨憺たる光」に登場する高名なドキュメント映画監督アデル・モナハンも闇を抱えて生きている。
 「氾濫のとき」の主人公ジェの生活も、韓国から来た青年旅行者が如何に憧憬の念を寄せようと、荒んでいる。芸術で経済的にのし上がったジェの生活は今や破綻している。そして彼の生も現代史の動きから遊離しているようだが、確実に現代史の一片を構成している。
〈短期間で大金を稼いだ中国人の観光客がゴンドラの上で雨に降られながら、瞬間を留めようと写真撮影をしている。西部訛りのアメリカ人高校生が、汚い水をかきわけながら中国人のカメラに向かって手を振った。〉
 ペク・スリンは、こうした時の流れを情景として浮かび上がらせる表現に長けている。
 「北西の港」で父の初恋の女性を尋ねてハンブルクに来た僕が会ったのは、父のかつての恋人ではない女性の娘だった。女性レナの母もドイツ派遣看護師だった。1960年~70年代にかけて失業問題解消のためドイツに派遣された女性看護師たちがいた。こういう事実も読者わたしは知らない。
 レナは幼い時一度だけ韓国に行き、カンカン照りの中で母を待っていて、老人が犬を蹴り続けるのを見た。路地からはゴミの臭いがした。悲しくなったレナは店から出てきた母に、韓国が嫌いと訴えた。そのとき母は、「あなたは、ドイツでのママがどんな思いでいるか考えたことある?」と文法も発音も滅茶苦茶なドイツ語で語りかけた。
 その話を聞いた僕は、その背景に父親を追いかける少年だった自分を見出していた。
〈どこかでけたたましい汽笛が響いた。量感と質感を備えた物体のように煙が立ち昇った。いや、玲瓏と光る巨大な泡のように。互いに異なる色のうろこを持つ魚のように水面が飛び跳ねた。〉
 ペク・スリンの、歴史に翻弄され苦しみ藻掻きたとえ病身をベッドに横たえようと、決して意味を持たないことなどない人生を、風景に描写する手腕は見事だ。
「途上の友たち」では、私は、大学の文学サークルの仲間ミナとソンと三人で海南の「最果ての村」に旅行したことがある。今は結婚して子どももいるミナと二人で旅行している。
 私とミナは些細なことでぶつかりながら旅を続ける。私にはミナが現実主義で幸せを?んだように見える。しかしミナは何年か前にソンが書いた小説に出てくるカボ・ダ・ロカに行って酷い目に合ったと知る。〈陽射しのために、かすかにのぞくミナの横顔が、半透明に見える光の輪に覆われた。〉
 違った生を生き、これからも繋がらないかも知れない仲だったとしても、共有する何かを持った事実は消えない。
「国境の夜」は象徴的な小説だ。
 ママの子宮で14年間過ごしている私。ママが私を身籠もったのは1981年の春だった。独裁政権が確立し、世界でも新自由主義の流れの中で不平等が進んでいた。私は外に出るのが怖くてお腹の中で蹲ったままでいた。
 パパと、私を身籠もったままのママは初めての海外旅行でドイツに行った。ベルリンの壁が崩壊して6年後の1995年だった。ソウル市内のデパートが崩壊し、民族抹殺政策を掲げた帝国主義者によって建てられた総督府の建物が爆破された年だった。
 私はチェコに入った国境の町で外に出たい気持ちになった。
 これは希望の小説だ。私が生まれた後も世界には危機が後を絶たないが、私は生まれる。〈それまで「ことば」を持たなかった私は、いつか自分にことばが生まれたら、迫り来る夜を埋め尽くす音と香りについて誰かに伝えられたらと思った。〉
 これは価値観の問題だ。分断と憎悪で支配される世界に文学は抗う。暗黒に蹲っている私たちは、惨憺たる光の中に出て行かなければならない。そこに苦しみや痛みが待っているとしても、だ。

2019年9月14日 (土)

李箕永『故郷』

ダメダメな青年農村改革指導者と自覚していく女性たち
李箕永『故郷』(大村益夫訳 平凡社朝鮮近代文学選集)

Photo_20190914102701  李箕永(イギヨン)の長編『故郷』は日本留学から帰ってきた金喜俊(キムヒジュン)を中心に、農村に暮らす人々の貧しい暮らしや若者達の恋と葛藤を描いた長編小説だ。
 金喜俊は一旗揚げて帰ってくると期待されていたが、まったく颯爽とせず、家の貧しさに向上は見られない。そればかりかなまじ知識を得たせいか村の改革にばかり東奔西走して、人のために金を使ってしまう、と家族には思われている。
 村は小作地管理人である安勝学(アンスンハク)に牛耳られていて小作農たちはいつも食うや食わずの生活に喘いでいる。安勝学の娘甲淑(カプスク)は父親に反発して家出し、名を偽って紡績工場に勤めてしまう。甲淑は喜俊の助けをかりてストライキを組織して闘うまでに成長する。農家の娘で甲淑より先に工場勤務する金仁順(キムインスン)も魅力ある登場人物だ。常に男に従属してきた女から、女であっても自分の労働の対価として給与を得る労働者としての自覚を持った仁順や甲淑は、自立に向かって一歩踏み出した新しい女性像だ。
 小説は農村の改革運動と工場の解雇反対ストライキが並行して進行し、どちらにも喜俊が指導者として活躍する。
 ところが小説の主要部分はこのような労農闘争というよりは、喜俊をはじめとする若者たちの恋愛騒動や、女性関係の多い安勝学家のいざこざ、高利貸しの息子である権敬浩の出生の秘密などに多く割かれている。喜俊にしても、早婚の悲劇はあるとは言え、子どもがいるのに甲淑に思いを寄せたり、他の若い女性にも性的に魅かれたりする。甲淑も妻子持ちの喜俊に思いを寄せているが、甲淑も敬浩と婚約する仲だ。喜俊は甲淑への抑えきれぬ好意を同志的愛情に転化させようと努力する。
 金喜俊は当時朝鮮で一般的だった早婚制度によって少年期に結婚し、家には年上の妻がいた。しかし喜俊は妻を憎んでいて家にいるよりは、農村社会の改革や青年運動に血道を上げる方を選ぶ。だから村では人望を集めるが家では横暴だ。
 喜俊は〈良い妻を娶った人を見ればうらやましく、道端で美しい人さえ見れば、わけもなくときめいた。〉自分は早婚制度の犠牲になって結婚させられたと妻を恨んでいて、「くそ。この無知蒙昧な奴め。おまえなんか人間じゃない」となじって殴り付けさえする。男女関係に沿って読むと、喜俊はけっこう古く横暴で、甲淑や仁順は新しい女性として目覚めつつある。
 こうした喜俊の姿は小林多喜二の『党生活者』を想起させる。喜俊を『党生活者』の私(佐々木)に比すと、甲淑は私の信頼する同志伊藤であり、喜俊の妻は私の生活を支える事実上の妻笠原に該当する。私は、伊藤は個人の生活を犠牲にしてまで軍国主義政治と果敢に闘って立派だが、笠原は個人の生活しか見えないと不満に思っている。でも実際には笠原の給料を当てにして活動している。
 『故郷』には労農階級解放のヒーローではない主人公が描かれたのだが、それにしても「日韓併合」後の朝鮮が舞台なのに、日本に対する否定的現実は描かれなかった。この小説が新聞に連載されたのは(解説によると)1933年11月から34年9月までで、朝鮮プロレタリア文学が弾圧され李箕永自身も逮捕を経験した後で、既に自由に書ける時期では無かったことにも原因する。李箕永は朝鮮のプロレタリア作家として有名で、『故郷』は代表作とされるのだが、プロレタリア文学のイメージからは遠い。近代化過程の農村を舞台にした青春小説という趣だ。しかし男性ヒーローをダメダメに、目覚めた女性たちを時に冷徹に描いた点は、極めて現代的だ。1930年代の作家畏るべし。
 李箕永については大村益夫による「解説」に詳しいが、以下ほんの一部紹介する。李箕永は1895年生まれ、13歳で結婚させられた。1922年東京に留学する。『故郷』の主人公金喜俊と似ている。1923年9月の関東大震災時の朝鮮人虐殺に危険を感じて帰国、翌年から作家を目指す。1925年には金基鎮・韓雪野・趙明熙らと朝鮮プロレタリア芸術同盟(KAPF)結成に参加する。しかし弾圧は激化し、李箕永も1933年8月第一次カップ事件で逮捕され釈放されるも、1934年8月第二次カップ事件で再び逮捕され翌35年12月まで刑務所暮らしを経験する。『故郷』はこの一回目の逮捕釈放から二回目の逮捕までの間に書かれた。1945年8月の解放後、李箕永は北側の文学者として指導的地位を得て1984年89歳で死亡する。解放後の作品に『蘇る大地』(日本語版 1951年 ナウカ社)などがある。

参考
※朝鮮新報「〈本の紹介〉「故郷」 李箕永作、大村益夫訳/朝鮮プロレタリア文学の代表作」

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