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2019年5月18日 (土)

梁貴子『ウォンミドンの人びと』

現代史の隙間に生きた市井の人びと
梁貴子『ウォンミドンの人びと』崔真碩訳(新幹社)

 ウォンミドンはソウルの西に隣接するプチョン市の町だ。ソウルを東京に例えるならばプチョンは所沢、松戸あるいは八王子かも知れない。現在のウォンミドンは地下鉄1号線と7号線に挟まれて交通の便も良い。しかし梁貴子の短篇集『ウォンミドンの人びと』は1980年台だ。
 冒Photo_1頭の「遠くて美しい町」でソウルからプチョン市ウォンミドンに引っ越す一家の様子は、寒空の下老母と幼い娘を引越トラックの助手席に乗せ、夫と臨月の妻は荷台に積んで行く侘しさだ。寂寥感に満ちている。まるで都落ちだ。
 ウォンミドンにやっと手に入れた家だったが、家中にカビが匂い天井から水が滴った。暖房のパイプが破裂し、台所の下水道が塞がりボイラーの煙突が倒れるなど、家の修繕に苦労しなければならない事情は「雨降りの日はカリボンドンに行かなければならない」に描かれた。妻も夫も専門業者ではない雑役業者のイムさんに疑心を抱いている。首都ソウルで勤務するサラリーマンというちゃちな自尊心でプチョンの市井の人びとを下に見ていた夫は、後で、冬には練炭の配達、夏には工事現場で働きやっと生計を立てているイムさんの深い悔恨と自尊心を知ることになる。
 ウォンミドンは、リストラされた社員が住む町であり、水商売の果てに女が一人で辿り着いた場所でもある。ソウル近郊開発の風に吹かれて、吹き溜まりのようにやってくる者も居ればせっかく買い集めた土地を切り売りしなければならない農夫もいる。
 連作なので同じ登場人物が複数の作品に顔を出し異なったアングルから映し出される。ウォンミ紙屋のチュさんと幸福写真館のオムさんは、両店の間に縁台を出して夏の夜を囲碁の応酬で過ごしている。
 「茶店の女」で、オムさんは最近開店した漢江人参茶店の女主人と恋仲となり町中の知るところとなってしまう。オムさんには妻と三人の子供がいる。写真館の運営は幼稚園の専属カメラマンとして働くことでやっと保っているが、自分に芸術的センスがあるという信念を捨てることができないでいる。漢江人参茶店の女主人は、妓生・ホステス・立ち飲み屋の酌婦と水商売を点々としながら名前を変えてきた女だ。ウォンミドンに来る前、彼女が働いて貯えると、親戚達たちが代わる代わるやって来ては金を無心して帰ったが、三十を過ぎると親戚たちも彼女のことを諦めた。干上がった泉、あるいは、寿命が尽きた機械だということを察したためだった。どれほど切羽詰まっていれば、ここまで来て商売をするのか、と言われる町だ。ウォンミドンを追い出されればあとは落ちるだけだ。
 「日用の糧」でズボン工場の隣に開店した新鮮青果店は、元からあった兄弟スーパーとキムポスーパーの妨害で店を畳むことになる。この町には新参者が多く、また去る者も多かった。
 「地下生活者」はトイレの無い地下部屋に住む貧しい青年と、彼が働く中小企業のにっちもさっちもいかない労使紛争の話だが、読後感がそこはかとなく温かい。生きることは厳しいが希望はある。
 最後に置かれた「寒渓嶺(ハンゲリョン)」で作家は自身を模した主人公を描いた。全州に住んでいた頃の20年以上会っていない幼なじみパク・ウンジャから電話がかかってくる。彼女はプチョンのナイトクラブで歌っているという。
 パク・ウンジャは数えきれないほど転び続けてミナ・パクになって歌っていた。頂上の面積は狭すぎて誰にでも立てるわけではない。登り詰めたとしても結局は下り道と向かい合わなければならない。粘り強く延命して這ってゆく人生の主たちにとって人生とは、探求して思索する何かではなく、体当たりで叩く堅固な鉄門であり遠くに見える高い嶺だった。これはウンジャにだけ向けられた言葉ではない。
 故郷では家の大黒柱だった長兄が身心を壊していた。老衰してゆく人生の深い穴は一番上の兄を壊した。一人の人間の骨身に沁みる孤独は、生きている者には助けることができない。
 小説の背景には朝鮮戦争、ベトナム戦争、光州事件と開発独裁政策という韓国をダイナミックに動かした歴史的事件が存在する。登場人物たちはこうした歴史を経験してきた。時代的背景を言えば民主化直前の時代だ。歴史的事件に翻弄され、その隙間に栄達や自己実現を目指しながら、夢破れたり、七転八倒して目標に向かいながらも到らず、必死で生きているのに上手くいかず、町外れの低山で行方知れずになり、生活の事情で対立し、優しさが裏目に出て妻子を辛い目に合わせたりする。大学を退学してスーパーで使い走りをするもののけさんは詩を口ずさんでいる。体格が良くごつい慶尚道方言のチュおじさんは意外に正義感が強い。いつも「げえげえ」言っているおじいさんも登場する。
 ミナ・パクの歌声に佇んだまま聞き惚れる私は〈泥酔して揺れているテーブルの酔客たちを私は涙目でいたわった。彼らにも忘れなければならない時間が、一筋の風のように生きたい瞬間があるのだろう〉と感懐する。
 優しさに溢れた短篇集だ。

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