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2018年12月15日 (土)

82年生まれ、キム・ジヨン

「直男癌」としてひとこと モブ・ノリオの弁を借りて)

チョ・ナムジュ(斎藤真理子訳)『82年生まれ、キム・ジヨン』(筑摩書房)

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 『82年生まれ、キム・ジヨン』は問題作だ。韓国における女性差別の実態を告発したフェミニズム小説である。何故問題作とされるのか。その反響は大きく韓国で100万部以上が売れ、映画化も進んでいる。それだけではない。凄まじいバッシングが起きたからだ。韓国でも、日本における「在日」特権論に代表される「特権論」にも似た逆差別論が巾をきかせている。(詳しくは伊東順子氏による「解説──今、韓国の男女関係は緊張状態にある?」を参照されたい。)女性嫌悪(ミソジニー)的思考と、基本的男性優位の社会構造をひっくり返す影響力をこの短い小説は持っている。
 この小説に描かれたのはごく普通の女性の日常なのに、なぜこんなにも過酷なのか。女性差別と、女性差別に対して寛容な社会、セクハラ犯罪とセクハラに寛容な社会構造を、言葉にできない読者に代わって訴えた小説だ。日本の読者は、これ韓国だけに限った話じゃないと思うだろう。
 それに昨今の日本、性差別事件が目立つ。セクシャルハラスメントや性的暴行は止まることがない。未だに戦時性犯罪に対する理解も度し難い。政治家やマスコミによる被害女性に対する誹謗が続いている。
 ジャーナリストの伊藤詩織さんが、安倍晋三首相と親しい関係にあるジャーナリスト山口敬之に東京のホテルの一室でレイプされたのは2015年4月、伊藤さんは刑事告発し山口は書類送検されたが、検察判断は不起訴処分だった。伊藤さんは、2017年10月「準強姦」被疑事件を綴った手記『Black Box』を出版し、日本外国特派員協会で会見を行った。その後イギリスのBBCが伊藤詩織さんを取材した1時間に及ぶ「Japan's Secret Shame(日本の秘められた恥)」を放送するなど海外での反響は大きかった。しかし日本では殆ど報道されず、むしろ性暴力被害者である伊藤さんに対するバッシンが激しかった。「淫売」「娼婦」「死ね」などの誹謗、中傷、ヘイトメッセージが殺到し、ハニートラップなどとも言われている。
 大学生による強姦事件も野放しの感が否めない。象徴的なのが2017年慶応大でミスコンを主催する広告学研究会の学生らが、当時18歳の女子学生にテキーラを飲ませたうえで集団強姦した事件だ。「週刊文春」や「週刊新潮」が報じ、ミスコンが中止になると、加害学生らは、被害女子学生が乱暴される動画を配信し、LINEのやり取りなどを集め、女子学生が元々奔放な女性だと学内に印象づけた。このようなセカンドレイプが公然と行われる社会だが、加害学生たちは6人全員が不起訴となった。この後も多発する強姦事件は不起訴となるケースが多い。
 女性差別は性的なものだけではない。東京医科大学をはじめ多くの大学医学部の入試で、女子受験者らの点数を一律減点操作するなどの差別が行われていたことが発覚した。入試時の性差別が今年始まったとは思えず、ずっと続いていたに違いない。優遇されて入学した男子学生はどう思っているのだろうか。
 既得権益は手放しがたい。特に虐げられた下層の住人であれば尚更だ。女性を下に見る「権利」は捨てがたい。『82年生まれ、キム・ジヨン』の主人公キム・ジヨンの夫チョン・デヒョンは極めて善人でジヨンを愛し、ジヨンの困難には手をさしのべる。しかし夫チョン・デヒョンと妻キム・ジヨンの関係は、非対称性暴力の構造に組み込まれている。夫の感情如何に関わらず妻は夫によって虐げられている。小説のなかでチョン・デヒョンは少しずつ気付き意識改革を試みているように思えるが、変化しようとする社会構造を追いかけるのがやっとだろう。他の男性登場人物とりわけキム・ジヨンの職場の上司・同僚らの意識の低さは醜悪でさえある。
 さてこの問題作『82年生まれ、キム・ジヨン』に対する男の側からの回答としては、モブ・ノリオ「渡辺直己はただ一匹か数千万匹か?~《直男癌=Straight Man Cancer》の自己診断と根治の模索~」(『すばる』12月)が最適だ。と言うより他に無い。自分の言葉で応えないで多少卑怯だと思われても仕方がないが、モブ以上のものを書く自信が無い。これ『82年生まれ、キム・ジヨン』の書評ではない。早稲田大学教授文芸評論家渡辺直己の教え子に対するセクハラ事件への感想だ。セクハラ事件が公になり渡辺は大学を辞職した。教え子に「俺の女になれ」と言ったそうだが、酔っ払いが飲み屋で言ってもビールかけられそうな言説を、大学教授が学生に対して吐いたというのだから開いた口が塞がらない。しかし事件を起こしたのが文芸評論家であるにも拘わらず、この事件をまともに批評する声は少なかった。それだけにモブ・ノリオの批評は秀逸だ。
 モブ・ノリオは渡辺と親しい立場にあり、被害者である女性ではなくセクハラ加害者のジェンダーに自分が属することを確認したうえで議論を進める。モブは、架空の設定で「容姿による女性差別語を自然に用いてしまった」(自らの失言未遂)として自分自身の卑近な女性差別をなかったことにはできなくなり、フェミニズムやジェンダーについて学んだ。ヘテロセクシャルの男性を「直男」、異性愛指向男性に特有の用意には根治しがたい生活習慣病的女性差別傾向を「直男癌」と中国語から引用して、「私は私で、自覚症状のない《直男癌》に違いなかった。」と自己規定する。
 そして、〈女性が、女性であるという理由から、男に殴られたり、大声で脅されたり、身心の自由を奪われたり、犯されたり、命懸けの訴えを黙殺されたりする恐れが微塵もない状態……《完全な平和》、これこそが「女性的な勝利」でなはいだろうか? 〉〈世界中の男が、《直男》の男たちが、「女性的な勝利」を実現しようと努力すると、戦争など止めざるを得なくなる。〉とやや上滑りな感は否めないながらも誠実な感想を持つに至っている。
 女性差別、女性嫌悪(ミソジニー)問題において自己を加害者の立場に見立てて論じたケースは極めて少ないと思われる。(筆者はこれまで熱心に見てこなかったのでよく知らない。)これは非対称性の暴力を自己に当て嵌めるという誠実な対応だ。
 『82年生まれ、キム・ジヨン』は日本語訳も発売と同時に増刷と聞く。大半の女性には共感されるだろうが、女性の悪罵を目にすることもある。日本は今や「ミスコン」や「カワイイ」文化を世界に晒すロリコン社会だ。需要があるということだからセクハラは世界に蔓延していると言える。そりゃ「生活習慣病的女性差別傾向」は女性にだって表れる。〈直女癌〉と呼ぶしかない。
 一方、『82年生まれ、キム・ジヨン』を読んで、自分の人生と比べてみる女性たちがいる。女性は反省しながら社会に対峙するから偉い。果たして男性はどうだろう。私はモブ・ノリオほどに意識的に在りうるだろうか。恥ずかしくなってしまう。大半の男性が「直男癌」なのだ。そこに気づける男が多くあることを祈るのみだ。小説の内容には殆ど触れなかったが、読めば分かりますから。

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