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2018年9月12日 (水)

志賀泉『無情の神が舞い降りる』

フクシマ後に生きる文学
志賀泉『無情の神が舞い降りる』筑摩書房2017年2月

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 『吟醸掌篇』vol.2(けいこう舎 2017年8月)掲載の「花火なんか見もしなかった」を読んで志賀泉という作家が気にかかっていた。震災にともなう原発事故で福島の立ち入り禁止区域から宮城県に避難した主人公の心象に沿って、郷愁と別離、嫌悪と哀愁、暴力と優柔、被害と加害とを、織りなす布の表裏のように描いた佳作だ。ここには震災を単純な善悪論で論じたり、善意のモチーフとする者への怒りが感じられた。
 これより早く発表された『無情の神が舞い降りる』(筑摩書房2017年2月)を今頃やっと読んで恥ずかしげも無く批評めいたことを書く。同書所収の「私のいない倚子」は、原発事故汚染地域から阿武隈山地を越えて内陸側に、母と別れて避難した女子高生を描いた。私である伊藤カナは原発避難民高校生を描いた映画の主人公に抜擢されるが、スタッフとぶつかり役を降りる。ここにも原発を自己実現の素材としてしか見ない者への違和感が積み重ねられる。
 『無情の神が舞い降りる』所収2編中のもう一篇、表題作「無情の神が舞い降りる」は、充分には自立し得ない中年男が、3人の女性との分裂と棄却と遭遇を繰り返し自己の生を取り戻そうとする物語だ。
 吉田陽平である俺は、父の死後一人で床屋を守っていた母が脳梗塞で倒れた三年前、東京の事務機器メーカーで働いていた。俺はエンジニアになりたかったのに営業に回され冴えない日々を送っていたが、介護のために田舎に帰った。原発事故が起きて避難しようと思ったが衰弱した母が耐えられないと考え、諦めた。
 俺が世話しているのは母の身体だが、本当にこの中に母がいるのか疑いたくなる。それでも、この中から俺が産まれてきたのは確かだから、俺が始末をつけるべきなのだ。
 母を生かしていることは俺の誇りだ。……甲斐甲斐しく母の世話をしながら、俺の背中にはぺったりと、母の死を願う心が貼りついている。
 俺の命まで母に引きずられてずり落ちそうだ。
 ここにはabjectアブジェクト的な感覚、つまり不快と魅惑、嫌悪と執着、両極端の感情を同時に引き起こす対象としての母が描かれる。(倉数茂「〈おぞましき母〉の病理」『アイヌ民族否定論に抗する』所収 を参照されたい。)俺と母のあいだに横たわる非対称性の暴力には誰も気付いていない。
 俺は小学校6年のとき東京から引っ越してきた開業医の娘美鈴と、級友たちとは秘密裏に仲良くなっていて、美鈴に命じられるままにその家で飼っている孔雀の餌として蛙の捕獲を続ける。少年期に都会的な少女に憧憬に似た感情を抱いた記憶は、美鈴の家の孔雀に重なり、孔雀は更に原発に重なっていく。
「孔雀は原発に似てる」
 俺が美鈴に魅了される構図は、派手な羽根で雌の気を惹く孔雀や、未来を開く夢のエネルギーとしての原発に似ている。しかし、羽根が立派になれば目立って敵に見つかりやすくなる。身体が重くなって飛びにくい。原発も技術の進歩、経済発展のためと言いながら危険を承知でリスクを高めていく。
 美鈴に惹かれた記憶はそのまま美鈴の死に対する罪責感に繋がっている。俺は美鈴を死に追いやったという自責や自己嫌悪から解放されない。
〈俺はこの町が嫌いだった。自分を嫌うように故郷を嫌った。嫌うことで、美鈴の死と正面から向き合うことを避けてきたのだ。〉と思っている。
 原発事故で人のいなくなった町に寝たきりの母と二人取り残された俺は、ペットレスキューの活動をしている怜子に出会う。俺の家を訪ねた怜子が寝たきりの母の手を両手で包み込むように握って声をかけると、母の目尻に涙が滲む。〈俺は、俺が手を握られているように、怜子の手の温もりを感じた。〉
 母に対する愛情と嫌悪の混じった感情や、死んだ美鈴に対する罪責感が、怜子の出現によって癒やされていく。
 そして母の火葬に自分の体が焼かれる思いを感じながら、イーグルスの「ホテル・カリフォルニア」の歌詞のように、チェックアウトは自由だが出口の見つからない出発を決意する。
 志賀泉は安っぽい「絆」や「ガンバレ日本」の連呼に嫌気が差している。同時に責任を原発だけに押しつける正義にも不信感を募らせた。
 「無情の神が舞い降りる」の俺は、母-美鈴-怜子に喜びと嫌悪と希望の感情を多重に重ねる。最後部、俺が怜子に抱く薄い希望のようなものには一抹の危険がつきまとう。他者を排斥しながら自己を純化させようとする「妄想分裂ポジション」が消去されたとは言いがたい。恐らくそれは無理な注文だろう。多分それで良いのだ。文学に必須なのは揺らぎない正義ではなく、相対的マジョリティに同調しない感性と、自己をも含む悪や恥辱や弱点を客観視できる理性なのだから。

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