フォト
無料ブログはココログ

« キム・グミ『あまりにも真昼の恋愛』 | トップページ | 在日朝鮮人文学 »

2018年4月 4日 (水)

イ ヒョン『1945,鉄原』

南北朝鮮の対立の原点を描いた青春小説

イ ヒョン『1945,鉄原』梁玉順訳 影書房Photo

 アベ政権の河野太郎外相は3月31日に、北朝鮮が「次の核実験の用意を一生懸命やっている」と、高知市で開いた講演で断定したが、アメリカの北朝鮮分析サイト「38ノース」は4月2日、北朝鮮豊渓里(プンゲリ)の核実験場では「過去数カ月に比べて活動は大幅に減少している」とする分析を発表した。河野外相は、北朝鮮憎しのまったく見当外れの発言で恥をかいた訳だが、対米従属、アジア蔑視の日本人のメンタリティーという需要に応えた積もりに違いない。
 アジア蔑視の中心にこそ「北朝鮮」=朝鮮民主主義人民共和国がある。ところが、平昌オリンピックへの北朝鮮代表団の参加以後南北融和は急速に進んでいる。あわや核戦争も辞さぬとされた東アジアの平和は一旦保たれつつあり、朝鮮半島の戦争危機は話し合いで解決されようとしている。ところが日本のアベ政権は北朝鮮を巡る中韓米露の話し合い路線に乗り遅れ、いまだに対北朝鮮強行政策から抜け出せないでいるお粗末だ。
 そもそも朝鮮半島の南北対立はいつ起きたのか、という基本的な知識さへ持たない嫌韓国・憎北朝鮮の日本人は少なくない。1948年に南朝鮮での単独選挙を経て、李承晩大統領を戴く大韓民国が成立した。翌年には対抗した北朝鮮で朝鮮民主主義人民共和国が成立した。
 イヒョン作『1945,鉄原(チョロン)』は、日本帝国主義の頸木から放たれた1945年8月から2年半ほどの期間に、朝鮮のほぼ中央に位置する町「鉄原」で繰り広がられる青年群像の活躍と煩悶とを描いた小説だ。
 鉄原は現在、軍事境界線の南、非武装地帯(DMZ)に隣接する民間人統制線の内側にある。しかし1945年以後のこの小説が展開された時期はまだ38度線の北側の町としてソ連が進駐し、鉄原郡臨時人民委員会が支配的だった。獄中の独立運動家や共産主義者は解放され、大地主の所有した土地や財産は再分配された。それまでの身分制度は徹底的に破壊されたのだ。
 姜敬愛(カンギョンエ)は、小作農の娘で両親を亡くし大地主黄寅甫(ファンインボ)の妾である徐華瑛(ソファヨン)の小間使いとして働いていたが、解放後は鉄原郡臨時人民委員会の管理する人民書店で働いている。古い身分制度に固執する名家の娘郭恩恵(カクウネ)は気位の高い両班の娘だが、心を隠して敬愛と対等な立場で人民書店で働きながら、京城へ逃げる機会を待っている。黄基秀(ファンキス)は黄寅甫の末息子だが、身分制に反感を持ちソ連への留学を夢見ていた。
「お母さん、共産主義は虐殺しようというのではないんです。復讐しようというのでもないんです。(中略)もう一度はじめようということです。お母さんとぼくとで、新しい世の中で、またはじめられるんです」
 基秀の理想に燃えた無垢な言葉は、当時の青年たちに共通していたかも知れないが、すべてを奪われたと思い込んだ母は首を括ってしまう。
「わしゃ、アカがなにかよう知らん。だけど、はっきりいうけど、日本人どもの手先になっていたやつが、のうのうといい暮らしをしているのはほっとけん。とんでもないことだよ。だからね、黄家の万石の財産をみんなうばいとったアカが好きじゃ。わしゃもう、無条件でアカの味方よ」
と言う漣川(ヨンチョン)おばさんの言葉は庶民を代表している。米軍が駐留している南朝鮮では植民地時代に日本の手先となって朝鮮人を虐げた「親日派」が幅を利かせている現実があった。
 やがて鉄原でも右翼団体によるテロが活発化していく。大韓民国設立の正当性にも一石を投じそうな小説だが、この後起きる朝鮮戦争と、韓国の軍事独裁政治と北朝鮮の独裁政権の対立を鑑みれば、決着の着かないこの物語は複雑でしかない。敬愛たちの純粋な夢は美しいが、その後の困難は果てしなく厳しい。民主政府が政治を担う現代韓国でもいまだに極右勢力は蠢いている。人の心はなかなか変えられない。しかし「反共」が国是であった韓国でこのような小説が書かれ読まれるという事実は、民主制度の確立が目の前に迫っていることを知らせる。
 日本では相変わらず政治の私物化がまかり通っているし、排外主義的風潮はいっこうに消えない。先日も大阪で韓国人男性が面識の無い日本人男性にナイフで刺された。韓国のマスコミは「被害者は日本語が上手ではなく、誰が見ても韓国人だということで、このような被害にあった」と伝えたが、日本のマスコミは被害者が韓国人であるということさえ報道を避けた。「慰安婦」問題をはじめ「反日」的情報の提供を避けているとしか思えない。
 日帝時代からの革命闘志だった洪正斗(ホンジョンドゥ)ではなく両班の親日家黄寅甫の愛人になった徐華瑛の「愛とはときに、そんな招かれざる客のようなものなのよ」という言葉が、艶めかしく人間の愚かしさを言い当てている。
 朴婉緒の『新女性を生きよ』(梨の木舎)が同時代のソウルを描いているので読み比べてみるのも良いかも知れない。その続きが『あの山は、本当にそこにあったのだろうか』(かんよう出版)だ。

« キム・グミ『あまりにも真昼の恋愛』 | トップページ | 在日朝鮮人文学 »

「書評」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/571716/66574196

この記事へのトラックバック一覧です: イ ヒョン『1945,鉄原』:

« キム・グミ『あまりにも真昼の恋愛』 | トップページ | 在日朝鮮人文学 »