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2018年3月27日 (火)

キム・グミ『あまりにも真昼の恋愛』

エメラルド色の輝きで彷徨う
キム・グミ『あまりにも真昼の恋愛』すんみ訳 晶文社

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 『あまりにも真昼の恋愛』に収められた短篇すべてを一読して、李箱や金承鈺を思い浮かべた。そのどちらにも似て、また似ていないが主人公たちの生きる社会に強いられる不条理の空気感に同質性を感じる。しかしながら日本帝国主義支配下だったり軍事独裁政権下で生きる庶民の閉塞感とは違う、むしろ現代日本に蔓延する諦念に似た雰囲気が描かれる。
 表題作「あまりにも真昼の恋愛」では、平社員に降格された30代半ばのピリョンが、小劇場の舞台に立つヤンヒと再会して、自分の生きてきた普通の人生に疑問を持つ。家庭を持ち出世するために働いてきた自己を振り返るが、引き返すには現実は重すぎるだろう。
 「趙衆均の世界」では、試用期間中の私は50前の歳で何の役職でもない趙衆均
(チョジュンギュン)氏と仕事をしていくうちに、趙衆均の変わった生き方に惹かれていく。趙衆均氏は校正の仕事に執拗に食い下がり日程に間に合わない。趙衆均氏は学生時代にデモに参加して警察に捕まったことがあり、その頃の仲間が「過ぎ去った世界」という名の酒場をやっている。マスターはかつて死刑囚だったらしい。趙衆均氏が解答用紙に書いた詩が「過ぎ去った世界」だ。
 「セシリア」の私は学生時代の先輩と離婚経験があり、今は小論文の講師をしている。私は学生時代から仲の良い友だちがいなかったセシリアを訪ねた。芸術家のセシリアは、あなたが訪ねてくると思ったと言い、別れ際にはもう来ないでと言う。
 これらの作品では平凡と非凡が対象されていると読むことができる。この世界に順応して生きる閉塞感と、順応しない絶望感とどちらが自由だろうか。答えは明確ではない。
 「半月」の少女は、母が借金を作ったため、ほとぼりが冷めるまで叔母さんの住む島に行くことになった。叔母さんは島で唯一の保健所で医師の仕事も兼ねた看護師をやっていた。都会の生活にも苦悩はあるが、田舎にも生きる闘いがある。
 「肉」の夫は〈お金がもらえる仕事は、卑しくて汚いことばかりだ〉言う。私たちはみな卑しくて汚いことばかりやって生きてきたのかも知れない。
 「犬を待つこと」の彼女は、自分が限られた階層や傾向の人たちの枠から出ていないことに気づいていた。〈彼女はよろけながら抱きついてくる犬を頭に浮かべた。ただ犬だけが彼女をまっとうに見つめてくれていたと思うと悲しさに襲われた。〉彼女は失うことによって初めて人生を考え直したのだろう。亀裂を感じて展望を考えた。
 「私たちがどこかの星で」の彼女は孤児院出身で新米看護師だった。孤児院の賄いおばさんから、孤児院がつぶれそうなので寄付をお願いする手紙が来ていた。
 公平な愛を見せるシスターと子どもたちの関係、看護師である彼女と患者の関係、彼女と賄いのおばさんとの関係、来年も彼女がこの病院で働けるかどうかの鍵を握っている看護師長と彼女の関係などは、すべて「非対称性、不均質性に由来する社会的諸関係」
(山城むつみ「カイセイエ」『すばる』2018年3月)と呼べる。その関係は常に暴力性を帯びている。唯一ドアマンと彼女の関係だけが対等に感じられる。
〈彼女はスズの兵隊のように焦がれる恋に苦しんだあげく、告白を待っているのかもしれなかった。ここは大きな病院で、痛みのない人はいないから。皆が不完全で、それだけは公平な世界だから。〉
大きな病院とは、この社会そのものの象徴であると思われる。〈彼女は患者を連れて移動しながら、いまだに道に迷った。〉
 新人が着るエメラルド色のユニフォームを着た彼女が、新米であるが故の輝きを失わないまま道に迷い歩き続けていくさまを、希望の姿として捉えたい。
 「普通の時代」が描いたのは、この社会が手抜き工事で作られた土台の上に建っているという事実だ。
 「猫はいかにして鍛えられるのか」は、オストロフスキーの長編小説を彷彿させるタイトルだが、不屈の精神で革命戦争を導くようなタイプを描いてはいない。モ課長はただ自分の技術を生かしたいだけで、誰にも与しない。リストラのための職能啓発部へ異動になるが、他の社員たちと強調せず、たんたんと課題をクリアしていく。そして退社後には迷い猫探しに勤しんで「猫探偵」と呼ばれる。モ課長は猫を迷子にしてしまった飼い主には厳しいが、自分が勤める会社や生きている社会には批判の目を持たない。〈流れるままに流されればいい〉と思っているが、社長との圧倒的な価値観の違いを知ると、クビになった人たちが煙突に設置しかけた垂れ幕を読むために煙突を登り始める。
 この社会で人は被害者でありながら加害者であるかも知れないことに気づけないでいる。加害性は社会に強いられ、差別性は気づかないうちに生み出され育まれる。
 メッキさえ剥がれ始めた酸素不足の社会で私たちが意識しなければならないものは何か、読まされた気がする。

2018年3月18日 (日)

金時鐘×佐高信『「在日」を生きる』

詩は現実認識における革命だ

Photo 「在日」を生きる、とは今さらながらのタイトルだが、戦後日本に生きる「日本人」出身ではない詩人の視点から、現代日本の抱える様々な問題の根幹を考えることに焦点を絞って見ればこんな対談になったと言えようか。軽い語りの対談だが、中身は重い。
 金時鐘
(キムシジョン)は植民地朝鮮の皇国少年であった。従って金時鐘の意識の基底をなしたのは日本語だった。〈それも皇国史観を徹底して賛美する日本語だった。それは非常に情緒的な日本語です。〉それだけに金は、日本語から距離を置き客観的に日本語を見る努力をしてきたのだろう。
 朝鮮語(韓国語)の母音は陽母音と陰母音に分けられる。万物は陰陽によって調和統一されるというのは朝鮮民族に受け継がれる考え方だ。ところが、近代以降の日本語は、明るい、澄んだ音ばかりを選りすぐって教科書言語としての標準語が作られた。〈日本語は代表的な陰性母音を、教科書言語をつくるときから無くしてしまった。…〉近代日本語いわゆる標準語は、教科書言語であり帝国主義言語であり、軍隊の言語であり、その閉鎖性ゆえに日本国内の方言さえも排除していった。金時鐘はは、〈統一言語、教科書言語、そして純血言語としての日本語の、排他性がひそんでいます。〉と言う。
 更に、金時鐘は日本の「詩」や「歌」、演歌にまで批判の目を向ける。
〈軍歌だけではなく、抒情歌といわれるものも含めて、歌というものは批評を持たないんです。〉
 演歌こそ〈戦前回帰の温床だと思いますね。〉
〈演歌というのは、一大思想詩ですよ。人間の情感的な体質を常に旧態依然なものに醸成する、べらぼうな威力を持っている。〉
 圧倒的に美しく懐かしいが、思考というフィルターを排除した演歌や演歌的な叙情歌に危険な匂いを察知する金時鐘の嗅覚は鋭い。演歌は考える力を無にし情緒の海に溺れさせる。

  書かれない小説は存在しませんが、詩は書かれなくても存在する。日常次元で普段の一切に演歌的情感が沁みているから、離れようがない。距離を置くということを思いつかない。

 金時鐘は〈詩とは、行き着くところ、現実認識における革命だと思います。〉と言う。
 私たちは政府の不正に面と向かっても、考えない。考える代わりに演歌を歌う。国会前や大阪や札幌で声を上げる代わりに諦めの歌を歌うのだ。着ては貰えぬセーターを編む、それがファシズムの許容だ。
 本当に詩を言葉にするということは、実存との衝突を怖れず、あるいは怖れながらも、出会い関わり合うことができる人に芽生える言葉を発するということだ。「安保法制反対」「森友・加計疑惑解明」「アベ退陣」というコールに詩がないと言えようか。「梅雨空に『九条守れ』の女性デモ」の句を、さいたま市立三橋公民館が、「公民館だより」への掲載を拒否したのは文学的に意味のある事件だった。
 金時鐘の「解放教育運動の実践」として公立高校で朝鮮語を教えたときの経験も、読み捨てる訳にはいかない一節だ。内容は本書を読んで頂くこととするが、「地下
(じげ)言葉」には考えさせられた。〈番町地区の部落言葉には、丁寧語がありません。彼らはそれを地下言葉と称しますが、親子でもぞんざいな言葉で交わし合います〉。朝鮮(韓国)では子は親にたいして敬語を使うので、金の言う「親子でも」には文化的背景があり、現代日本人を前提にするなら、「他人の関係でも」と言うべきだったかも知れない。兎にも角にも、丁寧語の無い地下言葉も大事だが一般の市民生活にはそぐわないから、〈折り目正しい言葉を学んでいかなくてはならんのや。〉と言う金時鐘の言葉に、在日朝鮮人一世が日本語と向き合うとき、自己に認めさせる「合理性」を感じさせられた。不思議とそこに忸怩たるものを感じ取れなかった。
 一人の人間として生き、羞じ、怒る詩人の本音を垣間見ることができた。日本の内側にいて、日本的情緒に囚われない在日朝鮮人詩人の言葉を、東北生まれの言論人佐高信が刺激的に引き出した好著と言える。
                                                                                                 (集英社新書)

2018年3月12日 (月)

小島剛一『トルコのもう一つの顔』

偉大な民族国家トルコの多様な少数民族言語を歩く

 前回2月17日付けブログで、ムラトハンムンガン編『あるデルスィムの物語』を紹介した際に末尾で〈デルスィムのクルド人が使うザザ語とクルド語の関係は不明だ〉と書いたが、磯部加代子は「訳者まえがき」に、デルスィムの〈人々はクルド語とは別の言語とされているザザ語を話し、宗教的には……アレヴィー教徒が多数を占めてる。〉と書いている。また「訳者あとがき」では、1991年発行の小島剛一著『トルコのもう一つの顔』との出会いが、磯部のトルコへの興味とデルスィムへの関心の起源だったと書いているので、気になってkindle版で読んだ。Photo 『トルコのもう一つの顔』はフランス在住の言語学者小島剛一が17年に渡ってトルコの少数民族言語を踏査した経験を書いたものだ。トルコ語ばかりでなく、トルコの少数民族語やそれぞれの方言についても詳しい。トルコにはクルド人、ザザ人、アラブ人、ラズ人、ギリシャ人、アルメニア人、ヘムシン人、ガガウズ人など70以上の少数民族がいるが、トルコ政府は「トルコ共和国国民はすべてトルコ民族である」と定義しているため、国内の少数民族の存在を認めていない。現在ではトルコ語を母語としない国民の存在を認めてはいるらしいが、少数民族とは認知せず、クルドやザザなどの少数民族の置かれた立場は依然としていると思われ、『あるデルスィムの物語』の「訳者あとがき」を読めば、トゥンジェリと改名されたデルスィムの現実が垣間見られる。ましてや20世紀後半のトルコで調査した小島剛一の活動は陰に陽に妨害される。その都度肩すかしをするようにすり抜けたり親しくなった人々に助けられたりする。これは調査報告書ではない。論文でもない。日本に住んでいると気づきにくい多様な価値観との共鳴と反発の体験を綴った紀行文だ。
 トルコと言えば、日本では親日国として知られ、トルコの人は親切だと言われる。小島剛一も「トルコ人ほど親切な人たちも珍しい」という一章を設けている。その親切な人たちが、少数民族や他宗教徒には、まったく事実ではない強い偏見で対峙している現実を見せられる。〈虫も殺さぬ顔で、「イスラームの敵アレウィー教徒を殺せば天国の門が開く」と言う人にはじめて会ったときには背筋が冷たくなった。〉われわれは井の中の蛙だ。〈知らないものは見えないし、興味のないものは小さく見える〉のだ。木を見て森を見なければ、人間として生きる道を誤るかも知れない。トルコ人だけを責められはしない。〈日本にもアイヌ人の強制同化や日韓併合の歴史がある。〉昨今のヘイトスピーチや嫌韓反中本の氾濫を鑑みれば、これを過去のことだと清算することなどできない。日本語という井戸の中で四角い小さな空しか見たことのない蛙人間としての自己を振り返る契機になるかも知れない。
 「民族」に関しては、日本人はおおざっぱだ。『トルコのもう一つの顔』を読むきっかけになった『あるデルスィムの物語』の副題は「クルド文学短編集」となっているが、デルスィムに住む民族の大半はザザ人でトルコ語ともクルド語とも異なるザザ語を話し、殆どがアレウィー教徒だ。彼らの教義は他の回教徒とは著しく異なる。例えば彼らは葡萄酒を飲むし、回教寺院に行かず礼拝もしない。男女平等を宗とする。つまり小島剛一の論に沿う限りザザ人はクルド人ではない。『あるデルスィムの物語』の副題は「クルド文学短編集」ではなく、「ザザ文学短篇集」か「トルコに於ける被抑圧少数民族文学短篇集」とした方が正確だった。付け足せば、『あるデルスィムの物語』に収められた10編の作者10人の出身民族も不明だ。これは本人にもよくは分からないのかも知れない。『トルコのもう一つの顔』を読めば、「隠れ民族」やら「忘れ民族」という状態もあるらしいので、トルコ政府の強制同化政策が長期に渡っている状態では仕方あるまい。そう考えるとこのような副題を付けること自体が問題を孕んでいるのかも知れない。

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