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2017年8月に作成された記事

2017年8月 7日 (月)

朴婉緒『あの山は、本当にそこにあったのだろうか』

朝鮮戦争の時代を生きた青春の足跡

朴婉緒『あの山は、本当にそこにあったのだろうか』(橋下智保訳、かんよう出版)

Photo_2 朴婉緒という名を聞けば、私が思い出すのはペ・チャンホ監督映画「その年の冬は暖かかった」だ。朝鮮戦争で離れ離れになった幼い姉妹。姉は裕福な家庭に育ち、結婚後もベトナム戦争需要で更に金持ちになる。妹は孤児院で育ち、結婚後も貧しく生きるが、夫はベトナム戦争に従軍して片足を失う。この妹をイ・ミスク、その夫を国民俳優アン・ソンギが演じた。因みにイ・ミスクはこの映画で大鐘女優主演賞を受賞した。伝説的名作映画「鯨とり」でもアン・ソンギと共演している。
 さて、1931年生まれの朴婉緒にとって光復は14歳、朝鮮戦争の開始は19歳のときだった。戦争と動乱のなかに青春期を送り、人間の生きる意味を見つめ続けた。『あの山は、本当にそこにあったのだろうか』は朝鮮戦争の最中、南進する人民軍に追われ韓国軍が敗走した後、ソウルに取り残された家族の物語だ。同時にこれは作者の自伝的小説でもあり、主人公の「私」は朴婉緒自身と思っても差し支えない。
 私は人民軍統治下のソウルの人民委員会で働いていた。人民軍の後退に伴って私と義姉とその赤ん坊は家族と別れて北へ同行させられるところを逃げだす。二人と幼子は逃避行の途中、クロン峠の虎婆さんと呼ばれる気性が激しい女主人に助けられ、交河(キョハ)村というところへ行って情勢が落ち着くのを待った。交河は二つの河が交わる平地で、隠れにくく逃げるのも厄介で、戦場としてはふさわしくないが田んぼが多く食物が豊かで人情が厚い。戦闘も爆撃も掃討戦もない地だった。昔から戦乱のさなかに避難民たちが集まる村だ。映画「トンマッコルへようこそ」を思い出す。トンマッコルは韓国軍、人民軍、米軍兵士までが共存するユートピアだった。交河はユートピアではないが、悲惨さしか伝わってこない朝鮮戦争時に、蟹を捕る子どもたちの姿が描かれたり、助け合って生きた大らかさにホッとした。まさにどこにでもどんなときにも生活はあったのだ。
 ソウルに戻った私は郷土防衛隊の隊員にさせられる。戦線情勢の変化に右往左往し、再会した家族ともまた分かれたり、負傷していた兄も失ってしまう。それでも母も叔父も義姉も逞しく生きていく。私はPXで働くことになるがそこで出会った人々もメチャメチャ生き強い。特に女性の芯の強さが生き生きと描かれる。アルファベットも知らないのに英語がぺらぺらのティナ金はいつも私の相談役で庇護者でもある。彼女はPXの総責任者であるキャノンと自分の家庭とのあいだにあって複雑な関係の持ち主だ。単純では無い米軍政下の韓国人女性のあり方が、卑屈ではなく明るく描かれた。
 主人公自身についても、母娘の葛藤あり、恋愛あり、20歳前後の若者なら通過すべき儀礼は内戦下でもなくならない。人生はどんなに過酷な状況下にも存在する。朴婉緒が描いたのは朝鮮戦争の状況でも残虐でもなく、戦時下に生きた人間の有様だったのだ。どんな時代でも生きる意味はあるのだ、どんな人間でも生きる価値はあるのだと思わせてくれる。世の中そんなに酷い奴らばかりでもなさそうだ。
 じつはこの小説は朴婉緒の自伝的小説3部作中第2作で、第1部『あんなにたくさんあったシンアは誰が食べたのか』は『新女性を生きよ』というイマイチな日本語タイトルで既に梨の木舎から1999年に出版されている。第3部は翻訳されていない。長編では他に『慟哭 神よ、答えたまえ』(かんよう出版、2014年)などが翻訳されている。短篇・中篇も、「この世に最も重い義歯」(李丞玉訳『現代韓国小説選』同成社、1978年)、「盗まれた貧しさ」(「韓国文芸」編集部訳『韓国現代文学13人集』新潮社、1981年)、「空港で出会った人」(三枝壽勝訳『韓国短篇小説選』岩波書店、1988年)、「母さんの杭」(山田佳子訳『現代韓国短篇選 下』岩波書店、2002年)などがある。

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