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2017年6月21日 (水)

小沢信男『私のつづりかた』

小沢信男『私のつづりかた─銀座育ちのいま・むかし(筑摩書房)
の感想にかこつけて

Photo もはや戦後72年と言ってもぴんとこない。むしろ戦前の匂いさえする。思い返せば1995年戦後50年は豊かだった。その年、松本昌次・簾内敬司編集で「戦後50年の真の意味を問う!」とうたった『さまざまな戦後』全3巻が日本経済評論社から発行された。森崎和江、富森菊枝、松下竜一らそうそうたる執筆陣のなかに私の名も加えて貰えた。少しは期待されていたのだと、今になってつくづく思う。
 小沢信男さんは『週刊金曜日』
(1995年11月24日)に書評を書き、「日本へきて五十余年楽しい年とてなかったが、最も楽しかった一日だけをあげるならあの八月十五日だ、という金泰生の言葉を、林氏は生まれる前の地雷として踏むのである。」と私の駄文を批評してくれた。比喩文の隠然たる力で、私は足下の地雷を意識させられた。
 小沢信男は1927年生まれ、泰明小学校卒、銀座っこだ。父親が銀座でハイヤー会社を経営し妻と三男二女を養っていたそうな。その父上が幼い信男少年の作文を綴じて、図画とともにとっておいた。それをご本人がまた後生大事に保存していたから残ったのだろう。今年90歳の小沢さんが小学生のときの自らの作文と絵をネタに昔の東京を振り返り、芸術新聞社のWeb頁に連載した。それをまとめて上梓したのが『私のつづり方』である。これは大事な資料だ。生活資料、庶民史の資料としてもそうだが、散歩の達人にして名文家小沢信男の「つづりかた」だ。そりゃしがない端くれでも、もの書きの末端に連なる身として興味が湧かない訳がない。
 郵便制度の確立に伴う手紙文エクリチュールが近代文学誕生に必要な要素の一つだったということは、金哲『植民地の腹話術師たち』(2017年、平凡社)
 に教えられたのだったが、近代的学校制度の確立も近代文学と密接に関係していたのだろうなと思わずにいられない。
〈言葉ないし文字という道具は、しょせん貝殻で海の水を掬うようなことだろうか。〉小学2年生だった自分の作文を読み直して小沢さんはこんな感想を述べている。ジュンパ・ラヒリだって〈適切な言葉を見つけ、最終的にいちばんぴったりで説得力のある言葉を選ぶこと〉
(『べつの言葉で』2015年、新潮社)が、もの書く仕事の核心だと言っている。おそらく、アメリカの英語作家だったラヒリがイタリア語で書く新鮮と発見と辛さは、小学2年生の小沢信男少年と似ていたに違いない。
 少年小沢信男が、たとえ与えられた課題だったとしても、語彙をさがしてつづりかたに向き合っていた1930年代は、読んでいる限り、現代と違ってのんびりな風情だが、妙に今と似ているところがあって危うい。
 日米友好親善人形の奇妙さ、鎌倉に遊んだ花火大会、歌唱大会の華やかさと、美濃部達吉『天皇機関説』発禁のバランスの気持ち悪さ。これは老人小沢信男の知性だ。少年小沢信男の慰問文はつまらない。戦地への慰問文にありきたりのことしか書けないのは致し方なかったようだ。こうなると文学も滅ぶ。2年生の小沢信男少年は軍楽隊の歓迎送に動員され作文を書いた。折々天皇行幸などにも動員されたようだ。銀座の小学校から四ッ谷見附の角まで遠出して並ばされたこともあったと書いているが、私の母はこういったことは覚えていない。四ッ谷なら泰明小より母の通った麹町小の方がよっぽど近いのに、動員されなかったのだろうか、気になる。呆けてきても昔のことは覚えていると言うから、母の場合はたんに興味がなくて元々覚えていないのかも知れない。
 作文が残っていたにしても小沢さんの記憶は詳細だ。私の母は小沢さんより一つ上の1926年生まれ、ほぼ同年代で、通った小学校は違ったがそんなに遠い訳でもない。母の小学校時代の記憶はぶつぶつで、二・二六事件の朝の微かな印象と、6年の学芸会で邦枝完二作「鉢の木」の主役佐野源左衛門をやったということくらい。因みにヒロインは邦枝梢さんだったそうで、作者の娘だものそりゃそうなるね。梢さんは後に木村梢として『東京山の手昔語り』
(1996年、世界文化社)という本で麹町・番町界隈の記憶を書き残している。覚えていないのは我が母ばかりなり。家のなかの様子や学校の授業の記憶はさっぱり抜けている。そんなこんなを聞いていたら「コージさんは空襲のときどこにいたの?」と聞き返されて唖然(コージというのは私の名)
 とにもかくにも老人にも親があり子どもの頃があった。他人ごとではない。人に歴史あり東京に歴史あり、82年前の自分の作文から、小沢さんは現在を語ってるという読み方は、さすがにうがち過ぎだろうな? 
 90歳の小沢さん、最近でも著作活動盛んです。『東京骨灰紀行』、『捨身なひと』、『俳句世がたり』などなどが世間の耳目を引いています。『私のつづりかた』が続きます。しかして今年の最新刊『ぼくの東京全集』(筑摩文庫)を読んで欲しい。アンソロジーです。永久保存版です。散文では1965年発表の「わが忘れなば」が古い方。1冊の冒頭は大本営発表、空襲後の焼け野原の描写で始まる。小沢さんの青春の心象は東京の風景変化と重なる。
 すいません。起承転結なしの書きっぱなしです。ブログは楽だわ。
 小沢信男さんの『捨て身な人』
『通り過ぎた人々』 に関連した記事も書いています。酔狂な方どうぞクリックして下さい。

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