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2017年6月14日 (水)

目取真俊『目の奥の森』(影書房)

文学は錆びない、アベ政権下日本を照射する

 3・11後、文学の無力を思い、AKB48が被災地でボランティア公演する様子をテレビで見て、うちひしがれたもの書きは少なくなかったと思う。そうしたもの書きの端くれであった私は、いとうせいこう『想像ラジオ』に救われたのだった。
Photo 文学はプラグマティックには役立たない。いや、戦意高揚や独裁者を讃える役割を果たす場合はある。歴史を改竄し排外主義を煽る場合もあるだろう。為政者の役に立つ文学に文学的価値を認めるなら「文学は役に立つ」と言えなくはない。東日本大震災に際して「ガンバレニッポン」と民族主義を煽ったキャンペーンも彼らにとっては文学かも知れない。しかし文学の価値とはそんなところにはない。
 文学は未曾有の災害に対してさえ意味を持った。まして政治に対して意味を持たないはずがない。では政治が歪み歴史が歪められようとするとき文学は何をするのか。時の政権が政治を私物化し首相の「お友達」だけが優遇される社会、強姦・下着泥棒などの輩でも権力者に使えれば許される、そんな社会に文学は対峙し得るか。
 今日深刻化する国家ファシズムとの闘いの、最前衛に立たされているのは沖縄だ。沖縄では共謀罪が先取りされたかのように、辺野古基地反対闘争に理不尽な弾圧が加えられている。抗議者は警察によって殴打され、被害者が加害者として逮捕される。作家目取真俊が差別言辞で警察官から罵倒された事実は忘れがたい。影書房は最近目取真俊の旧作を2冊新装復刊した。『目の奥の森』と『虹の鳥』だ。どちらも10年前に上梓された作品だが少しも古さはない。むしろ今日的課題を読者に強く意識させる小説だ。
 『目の奥の森』は沖縄戦末期、米軍兵士による少女強姦事件と少年漁師による復讐、村人たちの狼狽する有様を、アメリカに迎合する村の区長、現場にいた幼かった少女たち、強姦された少女の妹、沖縄出身の日系二世である通訳、強姦した側の米軍兵士など複数の視線を交差させ、時間を超えて浮き彫りにしていく。過去のありそうな悲惨な事件を描いたに止まらず、いつでも起こりえる人間の歴史として書かれたことは文学としての価値を高めている。
 米軍兵士による強姦事件は、調査にあたった少尉の考えが「忖度」され、なんの処分もされない。現在の日本も同じだ。政権の肩を持つジャーナリストのおこした睡眠強姦事件はもみ消される。強姦され精神を病んだ小夜子は徹底的にバカにされ、村の男達に弄ばれる。性犯罪被害者の被害後受ける仕打ち(再被害)の惨たらしさは、今日勇気をもって被害を告発した性被害者が被る性的罵倒と同一性のものだ。
 描かれたのは過去ではない。ただ一人米兵に挑んだ盛治が学校でイジメられる少年だったように、60年後沖縄戦の話を聞いた少女は「健康な」同級生たちからイジメられている。沖縄戦を体験し、姉が生涯消えない傷を負ったという老女の話は、聞くフリだけの健康な子どもたちの魂には届かない。村社会の暗黒は現代社会に繋がっている。差別とイジメが支配する社会が時代を超えて照射される。被害者が更にいじめ抜かれ、立ち向かう者は忖度する者に組み伏せられる。
 かつて貝を捕った砂浜は今はないが、盲(めしい)たまま老いた盛治はいつまでも海辺で佇み、小夜子も介護施設で海を見つめる。
 美しいのはどちらか、醜く輝きのない生はどちらか、文学は人間と歴史をうっすらと照しだす。

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