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2017年6月に作成された記事

2017年6月26日 (月)

パク・ミンギュ『ピンポン』

世界に「あちゃー」されたモアイ

パク・ミンギュ
(斎藤真理子訳)『ピンポン』白水社

Photo 自民党の豊田真由子議員が自分の政策秘書に暴言を浴びせた上暴行までしていた。運転中の秘書の顔を後ろから殴りつけるなど尋常ではない。パワハラを超え暴行罪だ。より大きな権力を持つものが下位の者をいたぶる。テレビでは心理学者が、サディスティックパーソナリティー症候群の可能性があると言っていた。相手が痛がり苦しむ姿を見て、自分が上位にいることを確認して喜ぶのだそうだ。政治家の社会に限らず、そんな奴はどこにでもいる。彼らは上位者には従順だ。
 慶応大学や千葉大学の学生が犯した、酔わせて抵抗出来なくなった女子学生に輪姦するという「準強姦」も最近のことだ。ジャーナリスト山口敬之が女性を強姦したと訴えられた事件も、酒に混入した薬物で抵抗できなくなった女性に対するものである可能性が高い。山口はアベ政権を擁護する論陣を張りアベ総理を讃える本を出版している。そうした功績が影響したのか不起訴になったため、被害者女性が顔を出して記者会見した。
 孔枝泳『トガニ』は、障害者に対する施設経営者の暴行と町ぐるみの隠蔽との闘いを描いた。木村友祐『野良ビトたちの燃え上がる肖像』では、社会から締め出され追い詰められた河川敷に暮らすホームレスたちの姿が描かれた。
 韓国の鬼才パク・ミンギュの小説『ピンポン』のモチーフはいじめられっ子だった。
 『ピンポン』は二人のいじめられ中学生「釘」と「モアイ」の物語だ。常に釘のように叩かれ頭蓋骨に罅が入ったことさえある釘。暴力を振るわれても逆らわず無表情なモアイ。二人は学校の不良チスと子分たちに殴られることによって、従属している。釘は、いつチスに呼び出されるかびくびくしている。チスにとってモアイは資金源で釘はパシリだ。チスたちのイジメは凄惨だ。グループの全員に犯され援助交際で稼がされていたマリは10階から落ちて死ぬ。釘はチスを殺したいほど憎みながら、マリを薄汚いものとして毛嫌いしている。モアイは達観している。地球が滅べば良いと思ってさえいる。読者から見れば二人は諦念に取り憑かれた敗者でさえある。しかし諦めて社会に従順なのは、イジメを傍観する中学生たちや学校そのものも、また世代を超えて社会も同じだ。
 いつもの原っぱでさんざん殴られたあとで、二人の前に突如として卓球台が現れる。そして釘とモアイは卓球を始める。卓球用具店の主人セクラテンは「自分のラケットを持つということはね、いってみれば初めて自分の意見を持つってことなんだよ。」と言う。

   卓球はね、
 
   原始宇宙の生成原理なんだ。今や卓球が残っているのはここ地球だけだ。よそはどこでも、「結果」による「結果」を目指して進行するようになって久しいが、ここでは……まだそこまで行っていない。だから人類はまだ卓球をしているのさ。結果をだせなかったのは人類だけなんだから。

 世界に「あちゃー」された釘とモアイの人類を賭けた卓球が始まる。相手は唯々生存のために本能でレシーブする鳥とネズミだ。二人は助っ人に選んだ歴史上の偉人ラインホルト・メスナーとマルコムXの後を継いでラケットを振り続ける。鳥とネズミはどんな玉でもひたすら正確に返してくる。退屈なラリーが何日も続く。
 たぶんそういうことに意味があるんだろうなと思う。ひたすら卓球ラケットを振り続けることに。なぜならそれは反従属だからだ。
 マリーナ・アブラモヴィッチのパフォーマンスRhythm 0(リズム0)は、人間は抵抗されないという条件の下では、他人を非人間的に扱い簡単に傷つけることを示した。パク・ミンギュの指し示した社会とは、そういう世界だ。パク・ミンギュは、同時に存在する別次元の世界「卓球界」も差し出した。ラケットは作家にとっての言葉なのだと思う。
 豊田真由子の秘書はついに豊田の暴言を録音して晒すという抵抗を見せた。文部科学省の元次官は黙っていなかった。アベ政権と親しいジャーナリストに強姦された性被害女性は必死の覚悟で記者会見に臨んだ。
 しかし世界に「あちゃー」された釘とモアイの、行く末は未だ見えてこない。

2017年6月21日 (水)

小沢信男『私のつづりかた』

小沢信男『私のつづりかた─銀座育ちのいま・むかし(筑摩書房)
の感想にかこつけて

Photo もはや戦後72年と言ってもぴんとこない。むしろ戦前の匂いさえする。思い返せば1995年戦後50年は豊かだった。その年、松本昌次・簾内敬司編集で「戦後50年の真の意味を問う!」とうたった『さまざまな戦後』全3巻が日本経済評論社から発行された。森崎和江、富森菊枝、松下竜一らそうそうたる執筆陣のなかに私の名も加えて貰えた。少しは期待されていたのだと、今になってつくづく思う。
 小沢信男さんは『週刊金曜日』
(1995年11月24日)に書評を書き、「日本へきて五十余年楽しい年とてなかったが、最も楽しかった一日だけをあげるならあの八月十五日だ、という金泰生の言葉を、林氏は生まれる前の地雷として踏むのである。」と私の駄文を批評してくれた。比喩文の隠然たる力で、私は足下の地雷を意識させられた。
 小沢信男は1927年生まれ、泰明小学校卒、銀座っこだ。父親が銀座でハイヤー会社を経営し妻と三男二女を養っていたそうな。その父上が幼い信男少年の作文を綴じて、図画とともにとっておいた。それをご本人がまた後生大事に保存していたから残ったのだろう。今年90歳の小沢さんが小学生のときの自らの作文と絵をネタに昔の東京を振り返り、芸術新聞社のWeb頁に連載した。それをまとめて上梓したのが『私のつづり方』である。これは大事な資料だ。生活資料、庶民史の資料としてもそうだが、散歩の達人にして名文家小沢信男の「つづりかた」だ。そりゃしがない端くれでも、もの書きの末端に連なる身として興味が湧かない訳がない。
 郵便制度の確立に伴う手紙文エクリチュールが近代文学誕生に必要な要素の一つだったということは、金哲『植民地の腹話術師たち』(2017年、平凡社)
 に教えられたのだったが、近代的学校制度の確立も近代文学と密接に関係していたのだろうなと思わずにいられない。
〈言葉ないし文字という道具は、しょせん貝殻で海の水を掬うようなことだろうか。〉小学2年生だった自分の作文を読み直して小沢さんはこんな感想を述べている。ジュンパ・ラヒリだって〈適切な言葉を見つけ、最終的にいちばんぴったりで説得力のある言葉を選ぶこと〉
(『べつの言葉で』2015年、新潮社)が、もの書く仕事の核心だと言っている。おそらく、アメリカの英語作家だったラヒリがイタリア語で書く新鮮と発見と辛さは、小学2年生の小沢信男少年と似ていたに違いない。
 少年小沢信男が、たとえ与えられた課題だったとしても、語彙をさがしてつづりかたに向き合っていた1930年代は、読んでいる限り、現代と違ってのんびりな風情だが、妙に今と似ているところがあって危うい。
 日米友好親善人形の奇妙さ、鎌倉に遊んだ花火大会、歌唱大会の華やかさと、美濃部達吉『天皇機関説』発禁のバランスの気持ち悪さ。これは老人小沢信男の知性だ。少年小沢信男の慰問文はつまらない。戦地への慰問文にありきたりのことしか書けないのは致し方なかったようだ。こうなると文学も滅ぶ。2年生の小沢信男少年は軍楽隊の歓迎送に動員され作文を書いた。折々天皇行幸などにも動員されたようだ。銀座の小学校から四ッ谷見附の角まで遠出して並ばされたこともあったと書いているが、私の母はこういったことは覚えていない。四ッ谷なら泰明小より母の通った麹町小の方がよっぽど近いのに、動員されなかったのだろうか、気になる。呆けてきても昔のことは覚えていると言うから、母の場合はたんに興味がなくて元々覚えていないのかも知れない。
 作文が残っていたにしても小沢さんの記憶は詳細だ。私の母は小沢さんより一つ上の1926年生まれ、ほぼ同年代で、通った小学校は違ったがそんなに遠い訳でもない。母の小学校時代の記憶はぶつぶつで、二・二六事件の朝の微かな印象と、6年の学芸会で邦枝完二作「鉢の木」の主役佐野源左衛門をやったということくらい。因みにヒロインは邦枝梢さんだったそうで、作者の娘だものそりゃそうなるね。梢さんは後に木村梢として『東京山の手昔語り』
(1996年、世界文化社)という本で麹町・番町界隈の記憶を書き残している。覚えていないのは我が母ばかりなり。家のなかの様子や学校の授業の記憶はさっぱり抜けている。そんなこんなを聞いていたら「コージさんは空襲のときどこにいたの?」と聞き返されて唖然(コージというのは私の名)
 とにもかくにも老人にも親があり子どもの頃があった。他人ごとではない。人に歴史あり東京に歴史あり、82年前の自分の作文から、小沢さんは現在を語ってるという読み方は、さすがにうがち過ぎだろうな? 
 90歳の小沢さん、最近でも著作活動盛んです。『東京骨灰紀行』、『捨身なひと』、『俳句世がたり』などなどが世間の耳目を引いています。『私のつづりかた』が続きます。しかして今年の最新刊『ぼくの東京全集』(筑摩文庫)を読んで欲しい。アンソロジーです。永久保存版です。散文では1965年発表の「わが忘れなば」が古い方。1冊の冒頭は大本営発表、空襲後の焼け野原の描写で始まる。小沢さんの青春の心象は東京の風景変化と重なる。
 すいません。起承転結なしの書きっぱなしです。ブログは楽だわ。
 小沢信男さんの『捨て身な人』
『通り過ぎた人々』 に関連した記事も書いています。酔狂な方どうぞクリックして下さい。

2017年6月14日 (水)

目取真俊『目の奥の森』(影書房)

文学は錆びない、アベ政権下日本を照射する

 3・11後、文学の無力を思い、AKB48が被災地でボランティア公演する様子をテレビで見て、うちひしがれたもの書きは少なくなかったと思う。そうしたもの書きの端くれであった私は、いとうせいこう『想像ラジオ』に救われたのだった。
Photo 文学はプラグマティックには役立たない。いや、戦意高揚や独裁者を讃える役割を果たす場合はある。歴史を改竄し排外主義を煽る場合もあるだろう。為政者の役に立つ文学に文学的価値を認めるなら「文学は役に立つ」と言えなくはない。東日本大震災に際して「ガンバレニッポン」と民族主義を煽ったキャンペーンも彼らにとっては文学かも知れない。しかし文学の価値とはそんなところにはない。
 文学は未曾有の災害に対してさえ意味を持った。まして政治に対して意味を持たないはずがない。では政治が歪み歴史が歪められようとするとき文学は何をするのか。時の政権が政治を私物化し首相の「お友達」だけが優遇される社会、強姦・下着泥棒などの輩でも権力者に使えれば許される、そんな社会に文学は対峙し得るか。
 今日深刻化する国家ファシズムとの闘いの、最前衛に立たされているのは沖縄だ。沖縄では共謀罪が先取りされたかのように、辺野古基地反対闘争に理不尽な弾圧が加えられている。抗議者は警察によって殴打され、被害者が加害者として逮捕される。作家目取真俊が差別言辞で警察官から罵倒された事実は忘れがたい。影書房は最近目取真俊の旧作を2冊新装復刊した。『目の奥の森』と『虹の鳥』だ。どちらも10年前に上梓された作品だが少しも古さはない。むしろ今日的課題を読者に強く意識させる小説だ。
 『目の奥の森』は沖縄戦末期、米軍兵士による少女強姦事件と少年漁師による復讐、村人たちの狼狽する有様を、アメリカに迎合する村の区長、現場にいた幼かった少女たち、強姦された少女の妹、沖縄出身の日系二世である通訳、強姦した側の米軍兵士など複数の視線を交差させ、時間を超えて浮き彫りにしていく。過去のありそうな悲惨な事件を描いたに止まらず、いつでも起こりえる人間の歴史として書かれたことは文学としての価値を高めている。
 米軍兵士による強姦事件は、調査にあたった少尉の考えが「忖度」され、なんの処分もされない。現在の日本も同じだ。政権の肩を持つジャーナリストのおこした睡眠強姦事件はもみ消される。強姦され精神を病んだ小夜子は徹底的にバカにされ、村の男達に弄ばれる。性犯罪被害者の被害後受ける仕打ち(再被害)の惨たらしさは、今日勇気をもって被害を告発した性被害者が被る性的罵倒と同一性のものだ。
 描かれたのは過去ではない。ただ一人米兵に挑んだ盛治が学校でイジメられる少年だったように、60年後沖縄戦の話を聞いた少女は「健康な」同級生たちからイジメられている。沖縄戦を体験し、姉が生涯消えない傷を負ったという老女の話は、聞くフリだけの健康な子どもたちの魂には届かない。村社会の暗黒は現代社会に繋がっている。差別とイジメが支配する社会が時代を超えて照射される。被害者が更にいじめ抜かれ、立ち向かう者は忖度する者に組み伏せられる。
 かつて貝を捕った砂浜は今はないが、盲(めしい)たまま老いた盛治はいつまでも海辺で佇み、小夜子も介護施設で海を見つめる。
 美しいのはどちらか、醜く輝きのない生はどちらか、文学は人間と歴史をうっすらと照しだす。

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