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2017年2月18日 (土)

麗羅『山河哀号』

「学徒兵世代」の描いた朝鮮民族の傷痕

 大日本帝国はPhoto_2富国強兵のスローガンの下、台湾・朝鮮を植民地とし、1931年からは中国で侵略戦争を展開し偽満州国を建て、1937年からは中国との全面戦争に突入した。1941年からは太平洋まで戦線を広げたが戦争は完全に行き詰まっていた。弾薬不足、食糧不足に加え兵隊が不足し、徴兵が免除されていた学生も戦線へ駆り出されるようになった。1943年10月21日の明治神宮外苑での出陣学徒壮行会の映像は度々TVでも放映されている。しかし朝鮮出身者に対する徴兵は翌年まで始まらない。その代わり特別志願兵制度に志願させられる朝鮮人青年は多かった。『石枕(トルペゲ)』の張俊河(チャン・ジュナ)『凍土の青春』の尹在賢(ユン・ジェヒョン)は特別志願兵制度で学徒出陣し中国で兵営を脱出して朝鮮独立のための光復軍に合流している。
 1924年慶尚南道咸陽郡に生まれ東京の工科学校で学んだ鄭埈汶(チョン・サムン)も、1943年日本陸軍に特別志願兵入隊した。後のミステリー作家麗羅だ。麗羅は『わが屍に石を積め』(1980年)や『桜子は帰ってきたか』(1983年)の作者として知られる。しかし麗羅の原点的作品は『山河哀号』だ。『山河哀号』は1949年に書き始め、1952年に初稿を上げたが出版されたのは1979年集英社だった。(1986年に徳間文庫版が発行されている。)

   祖国と民族が不幸に沈淪していた時代を、私は水に流される泥舟のように生きた。ただただ風向きに逆らうまいと心がけ、ひたすら沈まないことを願っただけだった。
   …略…
   私は、自分が作家になったら、まっ先にその悔恨を書こうと思った。いや、それが書きたいから作家を志望したと言える。

Photo_3
 麗羅は韓国で言う「学徒兵世代」李炳注より3歳下、在日では金泰生や金石範と同世代だ。1943年明治大学講堂で開催された在東京朝鮮人学徒出陣決起大会には麗羅自身も参加しただろうと思われる。この大会に出席した青年たちの行く末は悲惨だ。『山河哀号』の主人公成文英も朝鮮人青年に出陣を強要する大会に主席させられていた。演台には当時朝鮮の最高の知識人と言われた崔南善、李光洙らが立った。彼らの演説は余りにも稚拙な論理で出陣を促すものであるのはもとよりだが、朝鮮民族を辱める内容だった。東京帝大生で朝鮮史を勉強していた成文英は思わず立ち上がり李光洙を批判してしまう。
 波田野節子はその著書『李光洙』(中公新書)で〈志願しなかった留学生は「非国民」の烙印を押されて休退学や除籍になり、あるいは遅まきながら志願に応じて軍隊で悲惨な待遇を受け、あるいは朝鮮総督府に送還され、あるいは日本で労働に従事して監視処分を受けた。〉と書いている。波田野は李光洙の学徒兵志願勧誘について同情的だ。『山河哀号』でも立ち上がった成文英を諫めようとする李光洙が描かれている。しかしこの小説の主人公はあまりにも潔癖だった。結果成文英は逮捕され拷問の末禁固十年の刑を受け秋田刑務所に送られた。
 一方、李光洙の演説に感激した者もいた。出陣決起大会には前列に第一陣に志願した学生たちが日の丸襷を掛けて座っている。その内の一人が北村哲也こと韓哲相だった。徴兵されるよりは志願したほうが待遇が良いだろうと自ら志願した麗羅自身は、この北村に近い立場だったと思われる。出征した北村は京城郊外の特別志願兵訓練所で優秀な成績を送っていたが、所内は支給される筈の糧食が中間搾取されるなど不正がはびこっており、訓練生たちは暴力で押さえつけられていた。北村の同僚のなかには逃亡する者もあった。
 日本の敗戦、朝鮮の解放を迎え成文英はようやく帰国できたが、アメリカ統治下の南朝鮮で様々な政治勢力の台頭に翻弄される。一方、8月14日に形だけの反乱を起こして独立運動家になった韓哲相は政治的野心を大きくする。左右の対立は民族を統一から遠ざける。人々は植民地時代に親日行為をした負い目から激しく反日を旗幟とした政治運動へと導かれていた。一方学究として生きたい成文英は京城帝大に転学し、できるだけ目立たないようにしているが状況が許してくれない。また資産を持つ名家出身の成文英は結婚相手も自由には選べない立場だった。解放後親日派から左翼に転身した若者たちからは嫌悪される立場でもあった。親日とは何か、民族とはどうあるべきものか。歴史にいたぶられる成文英の姿はそういった問いを読者に投げかける。
 小説の背景には実在の人物や事件が配色される。李光洙らの文化人だけでなく、呂運享などの政治運動家も登場し歴史小説的リアリティーを持たせている。筆者としては「始原の光」と呼ばれた作家金史良が連座した朝鮮芸術座事件の逸話には心そそられた。あらゆる歴史が丹念に調査され描かれている。主人公成文英の設定が死六臣の一人成三問の隠された子孫ということになっている点も朝鮮の民族性を感じさせる。成三問はあらゆる拷問に耐えて殺された忠君と言われる人物だ。死六臣を扱った李光洙の『端宗哀史』は『山河哀号』中にも紹介されている。近年ではテレビドラマ「王と妃」にも出てくる。
 『山河哀号』は虚構に依って歴史の真実を追った小説であり、民族史に託された作家の精神の痕跡でもあった。

*この小説に主人公成文英は死六臣の一人成三問であるが、死六臣を祀った公園がソウルにある。その死六臣公園の紹介記事も書いておいた。http://kghayashi.cocolog-nifty.com/blog/2017/02/post-5c82.html

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