フォト
無料ブログはココログ

« 梁英聖『日本型ヘイトスピーチとは何か』(影書房) | トップページ | 李炳注『関釜連絡船』のぎりぎり »

2017年1月26日 (木)

柳美里『人生にはやらなくていいことがある』

柳美里文学の旋回─孤独から連帯へ

 柳美里と鷺沢萠が2日違いという近い年齢で親しい関係だったということは知らなかった。(私とは띠동갑だ。)そもそも私のなかで柳美里と鷺沢萠は結びつかない。柳美里は在日韓国人家庭に生まれ育ち、その崩壊した家族との格闘からアイデンティティを築いた作家だった。在日朝鮮人である実存性ゆえの誹謗中傷を受け続け闘い続けた。(愚銀のブログ「『貧乏の神様』を読んで『仮面の国』を再読する」 を参照されたい)つまり柳美里のアイデンティティは否応なく在日朝鮮人として存在し、柳美里の文学はそうした実存からいかに飛びだすかという藻掻きだった。
Photo_2 逆に鷺沢萠は常に自分の依るべきアイデンティティを探していた。鷺沢の初期の作品は、経済発展する資本主義日本において、帰るべき故郷を失った人々の彷徨を描き、ついには東京大森界隈に根っことすべき場を発見したかに錯覚した。しかし所詮せんない空理で心を満たすことなく、次には祖母の出身地である韓国にアイデンティティを探す。鷺沢萠は朝鮮人の血が4分の1混じるクオーターだ。韓国に自分の根っこを探し、留学して韓国語を勉強した。鷺沢萠が、どうしようも無く在日朝鮮人である柳美里にシンパシーを感じようとしたのは自然な成り行きだった。しかし柳美里は鷺沢萠が〈朝鮮半島にルーツを持つ同胞だからという理由で親しくしていたわけではなかった。〉探しに探して書いた鷺沢萠に対して、柳美里は〈多くのことを諦め、行き場を失ったわたしに残された唯一のもの、それが「書くこと」だった〉と言う。二人の方向性は真逆なのだ。
 しかし柳美里は仲違いした鷺沢萠に謝罪したかったと言う。柳美里は10数年前自らの出自への旅と深く関わる『8月の果て』(2004年8月)を書いている。北朝鮮に行くと『ピョンヤンの夏休み』(2011年12月)を書いた。鷺沢萠が自殺したのは2004年4月だった。

    人は、物語がないと生きられないのではないでしょうか。
   生まれてから死ぬまで、自分が生きてきた物語はもちろんですが、自分が生まれる前のファミリーヒストリーを求めているのではないか。それは、自分は何故ここに居るのか?というアイデンティティの問題にも関わってくるわけです。自分はこれからどこへ行くのか、その行き先を知るためにも、物語は必要なのです。

  2011年の3月11日、東日本大震災は柳美里の生を変えた。柳美里は居住する鎌倉から福島まで通って臨時災害放送局「南相馬ひばりエフエム」に無料で出演していたが、2015年4月からは南相馬市原町区に移住して現在に至っている。18歳で書くことで生きると決め、書くことだけで生活費を稼いで来た柳美里にとって、お金にならない「書く」行為の意味はなんだろうか。それは名誉でもない。社会的地位の確立でもない。〈本を読む人は「消費者」ではなく「読者」なのです。〉読者は、柳美里が泥臭く地を這うように書いてきたことを知っている。道徳行為の受け手としての生き方から担い手としての苦闘を生きていきたいという発想は、高1で中退した彼女が高卒認定試験に合格して大学で学びたいという指標にも結びついている。絶望の文学から希望の文学へ。孤独から連帯へ。柳美里文学は緩やかに旋回していた。
 『人生にはやらなくていいことがある』は柳美里の近況と思考を書いただけのものではない。熱心な読者であれば文章読本とも読める。ようやく小説の頂きが見えてきたような気がすると言う柳美里の「書く」方法論としても読み逃せない本だ。

« 梁英聖『日本型ヘイトスピーチとは何か』(影書房) | トップページ | 李炳注『関釜連絡船』のぎりぎり »

「書評」カテゴリの記事

コメント

素晴らしいレビューですね。是非とも読んでみます。

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/571716/64812107

この記事へのトラックバック一覧です: 柳美里『人生にはやらなくていいことがある』:

« 梁英聖『日本型ヘイトスピーチとは何か』(影書房) | トップページ | 李炳注『関釜連絡船』のぎりぎり »