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2016年12月に作成された記事

2016年12月16日 (金)

ハン・ガン『少年が来る』雑感

霊魂の言葉に耳を傾けよ!

 2000年5月、光州ビエンナーレの帰り、終点の道庁前でシャトルバスを降りると運転手も降りてきて尚武館(サンムガァン)を教えてくれた。1980年の民衆抗争時に犠牲者の遺体が安置された建物だ。ハン・ガンの小説『少年が来る』の冒頭、二人称で語られる少年はこの尚武館の入口階段に座っている。この小説は光州事件をモチーフにしている。
Photo_3 光州事件とは光州民衆抗争とも呼ばれる。朴正煕暗殺後に芽生えた短い民主化の春を踏みにじる全斗煥による所謂「粛軍クーデター」に始まる軍事独裁政治に対峙した光州市民の民主化運動と、それを徹底的に弾圧した軍との凄惨な抗争だった。光州事件は1987年の6月民衆抗争で結実する韓国民主化運動の原点とも言われる。歴史的事実については文京洙『新・韓国現代史』(岩波新書)などに譲るが、空挺部隊による残虐は臨月の妊婦の腹を銃剣で切り裂くほどの非道に至っていて、韓国の表現者は小説、詩、映画など数多くの芸術作品を生んだ。『少年が来る』もその中に加えられる。
 今年(2016年)作家
ハン・ガンは『菜食主義者』でブッカー国際賞を受賞したので、日本でも知る人が増えたと思う。ハン・ガンは光州市生まれで事件の時は満9歳だった。父親は韓国の大物作家、韓勝源(ハン・スンウォン)だ。
 『少年が来る』は二人称の「きみ」で語られる少年の視線を通して、無惨に殺された人々を描きながら、少年の周囲の人々の時間的経緯をも複数の始点から描いていった。
 まだ中学三年生だったトンホ少年は、ソンジュ姉さんや女子高生のウンスク姉さん(血のつながりのある姉ではなくとも親しい年上の女性を「누나」姉さんと呼ぶ)らとともに尚武館で遺体の管理を手伝った。民主化運動に参加して軍人に殺された人々の遺体だ。少年の知っていたイム・ソンジュは忠壮路にあるブティックの裁縫師だった。しかしその前、ソンジュはソウルの紡績工場で働いていた。そして労組員として仲間とともに闘い、私服刑事に蹴られ踏まれて腸破裂し、入院中に解雇され、光州に帰って裁縫師見習いとして働いていた。
 戒厳軍によって鎮圧された市民軍の中に彼らはいた。幼く無抵抗の少年たちにさえ銃弾は撃たれ、銃剣は無惨に刺し込まれた。きみを語る僕であるもう一人の少年チョンデとともに、この小説は文字通り魂の小説、殺された霊魂が語る文学でもある。

   彼らの顔を見てみたい、寝入った彼らのまぶたの上でゆらゆらしてみたい、夢の中にすっと入り込んでみたい、その額、そのまぶたの上をゆらゆら飛び回ってみたい。彼らが悪夢の中で血を流している僕の目を見るまで。僕の声を聞くまで。なぜ僕を撃ったんだ、僕をなぜ殺したんだ。

1282_08_12 光州闘争で逮捕収監されたソンジュは、アカと呼ばれ〈地方都市のブティックに四年間潜伏して、スパイの指令を受けてきたというシナリオを完成させるために〉毎日出血で気を失うまで拷問された。
 ウンスクは4年前に浪人してソウルの大学に入ったが、そこも全斗煥政権打倒を訴える学生たちと彼らを阻止しようとする私服警官たちの闘争の場であった。結局学費が払えず教授の勧める出版社に就職して働いた。指名手配中の翻訳者の本を担当したため当局に呼ばれ、頰から血を流してもびんたされ続け脅される。〈おまえみたいな女はここでどうなろうが誰も知らんぞ、薄汚いアマ。〉指名手配中の男の高校の同級生である出版社の社長兼編集長は警察署に呼ばれても、無傷で戻ってきている。取り調べの場にはミソジニー(misogyny)が満ちている。
 この小説には無論個々の名前のある人間が多数登場するが、実のところ固有名詞で語られない。主人公は「きみ」であり「僕」であり、「あなた」であり「私」である。普通名詞で呼ばれる大勢が犠牲になったという意味もあり、また彼らの犠牲は普遍性を持っているからとも言える。私は1982年に光州を訪問したさい知り合った同世代の青年にまだ17歳の幼い妹がいて、裁縫の修行をしていたのを思い出した。
2000年光州民衆抗争20周年記念集会に参加したとき、死んだ娘の顔写真の入った名刺をそのお母さんから貰った。明るい笑顔だ。今日光州は韓国民主化闘争の聖地と呼ばれる。韓国の民衆は光州でもソウルでも、勝ち取った民主主義を奪われまいと闘い続けている。
 光州事件の犠牲者が埋葬された旧望月洞墓地へ通じる小道に石碑が埋め込まれていて、人々が踏んで行くようになっている。それは近在の村に全斗煥大統領が立ち寄ったさいに記念して建てられた石碑だそうだ。私が見たときは전の字が見にくかった。地面に微かに浮かんだ「전두환」の三文字はまだ見えるだろうか。土に埋もれても石が削れても、この石碑を踏み続けて民主主義は守られるに違いない。

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