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2016年11月に作成された記事

2016年11月26日 (土)

温又柔『来福の家』のことなど

多言語社会は楽しい
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 今年(2016年)韓国の作家ハン・ガンがブッカー国際賞を受賞して話題になった。ブッカー賞は日本では、1989年に日系のカズオ・イシグロが『日の名残り』で受賞したさいに知られるようになった。選考対象は、イギリス連邦およびアイルランド国籍の著者によって英語で書かれた長編小説だったのだが、ブッカー国際賞は翻訳作品を表彰するもので、2005年のアルバニアの作家イスマイル・カダレへの授賞に始まる。国際賞は将来はブッカー賞に統一される予定だそうだ。翻訳作品と英語での執筆作品との垣根を取り払おうという動きだ。日本語とドイツ語で執筆する日本人作家多和田葉子がドイツのクライスト賞を受賞したのも今年だ。社会のグローバル化(アメリカ一極支配という意味ではなく、経済や政治が国家の枠を超えて、一国一民族では成り立たなくなってきた事実を意味する。)に伴い、文学の世界も着実に世界化の道を歩んでいる。
 日本とは地政学的に緊密な関係にある朝鮮の近代が、帝国主義宗主国としての日本の植民地として被支配を強いられた事実は、当然ながら文学にも大きな影響をもたらした。明治・昭和帝国の終焉後朝鮮での生活の地盤を失ったまま日本で生きることになった朝鮮民族の子孫たちの文学は、今なお完全には日本文学に収斂されることなく生き続けている。ところがいかに日本が島国とは言っても現代は多くの国際交流と、政治的、経済的難民の流入を押しとどめることができないまま、新たな外国人日本語文学の発達を促している。リービ英雄やアーサー・ビナードのような欧米系の作家も出てきているし、中国人作家楊逸やイラン留学生だったシリン・ネザマフイも無視できない日本語作品を残した。彼らの多くは日本に於ける語学の習得の過程で文化の違いに葛藤し、煩悶し、壁にぶつかりながら、その鮮やかな生を表明していった。
 その表層的には逆の立場から、岩城ケイは『さよならオレンジ』『Masato』などの作品で、民族文化を持って生きることと、生活の場である社会の言語を修得して、多文化社会を生きることの統合を、困難さも含めながら見せてくれた。
 沖縄の作家目取真俊に対して大阪府警から派遣された若い機動隊員が「土人」と罵ったのも今年のことだった。自民党政権は差別発言ではないと取り繕りたいようだが、政権による引き続く犠牲の押しつけに異議を唱える沖縄人に対して、醸成された優越意識から発せられた言葉だった。
 リービ英雄の『模範郷』に「土語」という言葉が出てくる。広大な中国の田舎村で〈その村以外に通じないし、通じる必要もないと思われている方言〉を示す言葉だ。これは日本本土の警察官が「日本」にしがみついた虚栄心から沖縄人を「土人」と罵るのとは違う。標準語を意味する「普通話」に対置される言葉だ。作者は〈土語の声を聞き、理解できないときは黙り込み、理解できる分だけ普通語で答えた。〉リービの村人との会話は沈黙を挟みながら、村人の土語を尊重しつつ交わされた。それは平等な会話だ。
 『模範郷』には、土語、普通語の他に都市の方言や北京語、台湾の国語(グオユー)など多様な言い方で表わされる中国語が登場する。台湾に降り立ったアメリカ人日本語作家リービ英雄は、台湾生まれ日本育ちで日本語ネイティブな台湾人作家温又柔らと合流し、少年期を過ごした場所を探す。
 温又柔は今年『台湾生まれ日本語育ち』で日本エッセイストクラブ賞を受賞した。温又柔は2009年にすばる文学賞の佳作に入った作家で、受賞作を含む『来福の家』が今年白水社Uブックスの一冊として再版された。2011年発行の集英社版は知らなかったので読んでいない。収録作品はすばる文学賞佳作の「好去好来歌」と「来福の家」。
 「好去好来歌」の主人公縁珠は台湾生まれだが三歳のときから日本にずっと住んでいる。両親は1950年代生まれで幼児期は台湾語を遣っていたが、小学校では中国語を強制された。中国語が国語だった。祖父母は日本時代に覚えたので日本語が出来る。日本育ちの縁珠は日本語ネイティブで、中国語と台湾語の聞き取りは出来る。楊縁珠は自分の名前を「ようえんじゅ」と思っているが、パスポートには「YANG YUAN CHU」と表記されている。発音はYáng Yuán zhūとなるが、英語の時間に自分の名前をアルファベット表記するときYANG YUAN CHUと書いたらバツになってしまった。「ようえんじゅ」だから「You Enju」なのだろう。
 母のしゃべり方は、〈中国語になったり、台湾語がまじったり、接続詞だけは日本語だったり〉する。日本語も「どうして電気を開けないの?」などとピジン語化している。しかしそこに大きな否定感は見当たらない。在日朝鮮人文学に比べると、自己否定から始まる反社会性、体制に対する抵抗感のようなものが小さい。概ね屈託のない小説と言える。
 しかし主人公の日本人ボーイフレンドが中国語を勉強していて、中国への留学が決まると「日本人のくせに、どうして中国語を喋るの?」と言ってしまう。これは私も若き日に経験がある。言われた方だ。「なんで日本人なのに、朝鮮語勉強してるの?」と在日朝鮮人であり母国語を解しない友人に訊かれる。これは答えにくい。フランス語やドイツ語だったらこんな風には訊かれまい。これは、なんで自分は朝鮮人なのに朝鮮語が出来ないんだという、自分に対する反問なのだった。自己のアイデンティティに対する不安なのだ。
 「来福の家」の主人公である少女許笑笑は中国語専門学校に入学する。普段はエミちゃんと呼ばれているが「きょしょうしょう」であり、本当は「Xǔ Xiàoxiào」なのだが、カタカナで表そうとすると正確には表現できない。母は家で何語で会話しているのかと聞かれると「──おうちでは、適当適当!」と答える。大らかだ。おそらく母の母語は台湾語(福建省南部方言をルーツとした閩びん南なん語)で、母国語はリービ英雄の書いた「国語」なのだろう。そこに生活語である日本語が混じってくる。笑笑の姉歓歓は外国から日本に来て住んでいる子どもに日本語を教える仕事をしていて、日本人の小学校教師と結婚した。そしてタガログ語の勉強を始めようとしている。希望に満ちている。多文化共生社会を小説で先取りしたかのようだ。ここにはヘイトスピーチも、嫉みや憎悪をマイノリティーに向ける感情の起伏も描かれない。
 Uブックス『来福の家』の帯には〈台湾生まれ、日本育ちの主人公は、三つの母語の狭間で格闘する〉とあるが、格闘と言っても爽やかな青春の一頁ほどのもので嫌みが無い。在日朝鮮人の小説は李恢成も金鶴泳も、もっと若い柳美里もどこか暗い塊を抱えている。どろどろしているのだ。それらは現代史の現実と人間の実存を嫌というほど突きつけてきた。温又柔の小説は爽やかだ。台湾人の文学と言ってもまだ数少ないので比較するのは無理なので、この爽やかさは温又柔に限って言うのだが、多文化・他言語共生社会の未来の良さを象徴しているようで好感がもてる。多言語を押し出す、小説で表出する温又柔の態度は新鮮ですらある。
 なぜこれまで在日台湾人の文学は現れなかったのか。朝鮮に先駆けて、日清戦争後大日本帝国の植民地となった台湾は、朝鮮よりも日本化が進んで当然だったろう。日本の敗戦前、台湾人による日本語小説も登場している。楊逵、呂赫若、張文環らである。これらは現在は『〈外地〉の日本語文学選』(新宿書房)によって確認できる。黒川創編集の労作だ。戦後には邱永漢が頭角を現した。多くの小説を『文學界』『新潮』などの雑誌に書き残している。これらの作品は見直されて、1994年に『邱永漢短編小説傑作選 見えない国境線』(新潮社)として一冊にまとめられた。(邱永漢はその後金儲けの神様と呼ばれて一世を風靡したことがある。)しかし戦前戦後に渡る台湾人作家の系譜が温又柔まで続いているとは言いがたい。邱永漢以後めぼしい台湾人日本語作家は出ていなかった。李恢成や金鶴泳が各種文学賞を受賞して脚光を浴びた1970年台、日本は中華人民共和国と国交を回復し中華民国とは断交した。パンダが上野に来ると中国ブームが起きた。在日台湾人は日本人の目から遠ざかったし、在日中国人は日本語で日本文学に抵抗する意味を持たなかったということなのかも知れない。これは憶測に過ぎない。
 温又柔は今後中国語でも書くようになるだろうか。日本語に拘泥する必要はない。文学表現の手段は自由だ。でも取り敢えずは日本語か。

2016年11月 6日 (日)

柴田翔「地蔵千年、花百年」

生と死を巡る小説

69 『されどわれらが日々』の作家柴田翔が30年ぶりの長編「地蔵千年、花百年」を発表したと、東京新聞夕刊の文化面で知り、メジャーとは言えない雑誌『季刊文科』69号(2016年8月発行)を購入した。商業ベースでは厳しそうな雑誌でもネットでは簡単に注文できる点は今日の利点と言えるのかも知れない。
 初めは、東京郊外に暮らす男が昭和の歴史とともに自分の半生を振り返る私小説風のものかと思いながら読み進めたのだが、そこに込められたのは近代史的視点に加え、文化史的、人類学的、且つ広範囲な地域からの照射によって生と死の交差を魂の伝達として表そうという試みだった。無論私小説ではない。背景に政治史がしっかり敷かれているにも拘わらず、嫌みが無く読後感が爽やかだ。
 1975年頃の東京郊外の商店街と小住宅地の風景から始まった小説は、昭和の家族の物語を予測せしめた。しかし敗戦の年に10歳だった男の半生は長閑ではなかった。加見直行は、若き日山間の温泉宿で知り合った〈仮初めの男〉の誘いに乗って、我知らず赤道に近い海辺の小国で幸せな3年を過ごしていた。そこは〈南半球から赤道へ拡がる大陸の北端、わずかに赤道の北側に位置する海辺の国〉だ。実は逃亡中の過激派リーダーである〈仮初めの男〉に替わって現地で貿易を営み、ここでしかほぼ使われない古イタリア語方言を習得慣れ親しむうちに、淡い褐色の肌の女性グレティーナとの幸せな時間を過ごすことになる。しかしある日突然、政治の陥穽に落とされ急遽帰国せざるを得なくなる。日本に帰った直行は日本で貿易事務所を開き若い妻を得て息子を儲ける。
 直行と家族の生活は、昭和が終わりベルリンの壁が崩れるという歴史の変遷の中で商店街とともに変化していく。駅ビルの晴れやかな開業と対照的に商店街にもたらされる小さな事件の連鎖は、馴染みの歯科医師の死に象徴されるような繋ぎ目をいくつも持った。それぞれの戦後を生きた商店街店主たちの変転変遷に続き、妻晃子の若い死を迎える直行の生は〈骨の孤独を誰が癒すのか〉という問題に突き当たる。そしてやがて老いたる直行の生はハイブリッドな孫であるニカへと受け継がれていく。コーカソイド、モンゴロイド、ネグロイドの混血である南米出身の母と、日本人の混血性に自覚的である筈の父を持つニカの表出こそ希望だ。
 加見直行を中心とする登場人物たちの会話は、日本語のほかアメリカ英語、日本式英語そして海辺の町で使われる古イタリア語方言と多様で、その世界も東京郊外の町、海辺の小国、直行の成人した息子夫妻が暮らすアメリカ南端の大学町と広がりながら繋がる。
〈文化も歴史も、死者たちと生者たちの思いの感応がなければ生まれない……。永遠無量の時空の片隅で、死者と生者の思いが重なって、そこから初めて文化や歴史が生まれてくる〉
 この小説では不穏なるもの、光を潰す陰湿なものが殆ど描かれないか、背景に押しやられて、生と死の理想形だけが追求されているようにも読めるが、この小説の美しさは、そうした構成が功を奏したものとも言えようか。若く過激な批評家であれば不満は残るだろうが、読後感として物足りなさはない。生と死を巡る魂の小説と言ったら大仰だろうか。グローバルでありながらも民族的な価値観の表出、あるいは狭隘な場(トポス)を表現しながら人類史に辿り着く表現だ。

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