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2016年9月に作成された記事

2016年9月27日 (火)

平野啓一郎『マチネの終わりに』

「過去は変えられるか」問いかける世界文学

 感想をまとめるのは難しい。小説と言っても主題が音楽であり知識の乏しい私の理解がどこまで到達し得ているのか疑問だ。ギタリスト福田進一の同タイトルのCD発売(10月19日)を待つかと思ったが、聞いてからでも私の理解の至らなさは変わらないだろう。無知は音楽に関してだけではない。主人公二人の抱えているものが大きすぎて、簡単に触れられない思いだ。

Photo これは世界的ギタリスト蒔野聡史と国際ジャーナリスト小峰洋子の出会い(2006年)から別れ、そして再会(2012年5月)までの物語だ。この間に二人はほんの数回しか会っていない。40歳を前後して始まる大人の純愛小説だ。
 洋子はクロアチア系ユーゴスラビア人映画監督と長崎で被爆した母との子として生まれジャーナリストとして活躍し、派遣されたバクダッドで爆弾テロに巻き込まれる。舞台は東京─パリ─バクダッド─マドリード─ニューヨーク─長崎と広範囲だ。登場する言語も英語、フランス語、ドイツ語、ラテン語、ルーマニア語、アラビア語、クロアチア語そして日本語と多様で、その大半が洋子の駆使する言語に因んでいるが世界で活躍する蒔野も語学が達者だ。作者平野啓一郎の語学力や音楽に関する広い知識と深い洞察力がこの物語を支えている。この小説はもはや国家や民族言語の枠に囚われていない。
 蒔野と洋子の芸術と政治にかかわる会話が魅力的で、知性で裏打ちされているためか衒学的な嫌みをまったく感じさせない。蒔野は「イラクで一体、俺の音楽に何の意味があるんだろう」と語る。バクダッドで心を傷めPTSD(心的外傷後ストレス障害)のカウンセリングを受けている洋子は、「わたしは、実際にバクダッドで蒔野さんのバッハの美に救われた人間よ。」と応える。洋子はバッハを30年戦争後の荒廃した世界で人々を慰めたのだと譬えた。こういった会話は現実の戦争を肌で感じ蒔野の音楽から信念を得る洋子という理解者と、自分の音楽を模索し苦悶する蒔野という芸術家との良き関係を見事に表出した。それは蒔野を支える年若いマネージャー三谷早苗には理解出来ないものだった。
 パリの洋子の部屋での蒔野の演奏は楽しげで美しい。バクダッドから逃げてきて洋子に助けられたイラク人難民ジャリーラのために洋子が朗読するリルケの詩と、それに合わせて蒔野がギターを奏でる場面は心を打つ。この共感こそ救いなのだと感じさせる。ギタリストとして行き詰まりつつあるためか、蒔野聡史のギター演奏が楽しげである場面は多くない。この場面は後のCD発売時のクレジットに繋がり、愛が確認される遠いきっかけになる。
 更に洋子による蒔野の音楽の正当づけは、芸術家として苦闘する蒔野にとって必須だ。洋子が対峙し同時に内包する世界は、戦争と民族対立そしてテロの恐怖に満ちた現実である。そうした現実を抱える洋子に、あなたの音楽は人類的に愛されているのだと励まされることが、どれだけ蒔野の芸術家としての矜持を立てただろうか。この一夜があってこそ、後に蒔野は東日本大震災後の公演を成功させたはずだ。実はそうした芸術の意味(力)を確認することは、洋子にとっても《ヴェニスに死す》症候群(中高年になって突然現実社会への適応に嫌気が差して、本来の自分へと立ち返るべく、破滅的な行動にでる)からの解放という意味を持った。
「美しい一夜が終わろうとしていた。あとに一体、何があるというのだろう?……」読者への問いかけに、今になって読者である私は肯
(がえ)んじるのだ。
 しかし運命は好転しないことの方が多い。裏切りが二人を分断し、二人は別々の愛の形を求める。洋子の別の愛の破綻はやはり世界に対する価値観の相違が根本にある。金融資本主義支配下における人間性喪失の問題を洋子は看過出来ない。一方、蒔野が早苗を赦し煩悶しながらも寛容な態度を選ぶのは何故か? そこには平野啓一郎が『空白を満たしなさい』で表現した「分人主義」が蒔野の無意識の底辺に横たわっているに違いない。
 洋子の父ソリッチ監督の映画「幸福の硬貨」の思索的背景をリルケの詩「ドゥイノの悲歌」が飾っている。「誰の、誰の歓心を買おうとしてでしょう、決して満足することのない意志に、その身を絞らせるとは。」
 ソリッチが娘洋子に語る言葉は肉親に対する愛情だけではなく、過去を持つすべての読者に差し出されたものだ。「自由意志というのは、未来に対してなくてはならない希望だ。自分には何かが出来るはずだと、人間は信じる必要がある。」
 読者はマチネの終わりに再会する二人の運命をそれぞれに予測し、自身に問い返す。過去は変えられるか?

2016年9月15日 (木)

津島佑子『狩りの時代』

「美しい日本」に対峙する文学的営為

Photo 津島佑子の死後発見された最後の小説『狩りの時代』は、障害者や性的あるいは民族的マイノリティーに共感し続けた彼女らしい作品だ。
 読んでいて相模原の障害者殺人事件を想起させられた。犯人はBeautiful Japanなどと、為政者のよく言うキャッチフレーズ「美しい日本」に連動した合い言葉に自らを誘ってヘイトクライムを実行した。26歳の植松聖容疑者は、2016年7月26日未明に神奈川県相模原市にある障害者福祉施設に潜入し、刃物によって施設の利用者である障害者19人を殺害し26人に重軽傷を負わせた。植松は障害者は生きている資格がない、国家のお荷物であり、彼らに死を与えるという自らの社会的役割を果たすことによって自分が国家政府に認められると考えた。
 『狩りの時代』は、戦前日本がナチスドイツと同盟関係にあった時代から現代に渡って、ある大家族の記憶を行き来しながら、日本人の差別意識に切り込んだ小説だ。絵美子は幼い時に耳元で囁かれた「フテキカクシャ」という言葉に怯え続けた。絵美子には障害者の兄耕一郎がいて、その言葉が耕一郎の存在を脅かすものに感じられたからだ。絵美子の母カズミたちの世代の兄弟、創、達、ヒロミらは戦中の少年期に、来日したヒットラー・ユーゲントに遭遇した。そして実際とはやや異なる記憶の中で、少年たちは金髪に青い瞳の少年たちに見とれひれ伏し、戦意高揚のポスターのように醜い敵を殺せという悪を集約した記号に囚われた。
 肺がんから腎臓と肝臓へと転移していた病状の津島佑子渾身の遺作は「差別の話になったわ。」と語られた。差別の話は原子力とリンクしている。家族史は原子力発電所の爆発にまで至る。絵美子のおじである永一郎は、敗戦後の日本からアメリカに渡って核エネルギーの研究に携わったが、晩年に原発事故を受けて、〈わたしはいま、この狭い地球で原子力と人類は共存できないだろう、と思うようになっております。〉と発言するようになる。
 役に立たないものを容赦なく切り捨て、逆に役に立つものは奪い尽くして、ナチス・ドイツとかつての日本帝国は繁栄した。ファシズム同盟が反ファッショ統一戦線によって敗れると、ドイツは近隣諸国の理解を求めて変わる努力を重ね、日本は変えようとせず今も復活を企んでいる。原発は大日本帝国復活の象徴的存在だった。役に立たないものの対極にあると思われ、争奪の対象である原子力は実は人類も地球も滅ぼす悪の力だったと、作家は気付いていた。
 今度は負けないためにアメリカと同じ夢を見たくて仕方がないアベ政権は、沖縄では辺野古での新基地建設を急ぎ、また高江の森を切り裂いて住民の抗議を暴力で排除しながらヘリパッドを建設している。本土から派遣された機動隊の暴力は目に余る。沖縄では法の下の平等がないかのごとくである。差別は政治に利用される。

 描かれているのは、差別とはなにか、いや、人間とはなにかという問いだ。どうしたら差別を乗り越えられるかと言っているだけで差別をわかったつもりになっていた。目をそらしていた心のなかを突きつけられて、人間の複雑さを思い知らされた。この作品をいま、差別のなかで生きる人々に届けなくてはいけない。

 作者の娘津島香以の言葉を、力強いと言ったら本人は嫌がるかも知れない。

2016年9月 2日 (金)

キム・グァンソク김광석/アン・チファン안치환

とりとめもなく音楽について語る

 私は将棋も囲碁もさせないのに棋士の書いた本について書いたし、将棋が題材になった小説についても書いた。今回は音楽に関連して書こうかと思う。音楽の知識がないので、これまで音楽の事を書いたことはほぼない。音楽そのものについては好きか嫌いかしか言えないし、若い韓流ファンの支持する新しいミュージシャンについては本当に知らない。昔カラオケなどでチョー・ヨンピルを歌ったことぐらいの経験はあるが、だいたい聞くのが専門だ。韓流歌謡に関する知識と言っても若い方ではBoAくらいで止まっている。
 映画好きなので挿入歌には気持ちが傾く。「その年の冬は暖かかった」のオープニングで童謡「오빠 생각(兄さんを思う)」が流れたとき、それだけでも涙が流れそうになった。ペ・ドゥナ主演の「子猫をお願い」の主題歌はCherry Filterの「浪漫子猫」だった。「幼い花嫁(日本版タイトル「マイ・リトル・ブライド」)」で主演のムン・グニョンがカラオケで踊りながら熱唱していた。
 BoAは2004年「太極旗を翻して(日本版タイトル「ブラザーフッド」)」の主題歌「우리 We」を歌った。感動的なバラードだ。
 「JSA」の挿入歌「二等兵の手紙」の哀切は象徴的だった。南北の兵士が仲良く語り会う場面が話題になったが、北側の兵士が「キム・グァンソクて良いよな」と嘆息する場面があった。「JSA」は38度線の南北共同警備区域での殺人事件の深層が明らかになっていく過程で、当事者たちの複雑な心情が民族の置かれた立場と重なって切ない。「二等兵の手紙」はキム・グァンソクが歌った曲だ。

  家を出て列車に乗り、訓練所に行く日
  両親に挨拶して門の外に佇ったとき
  胸の中になんとなく未練が残るけれど
  草一本 友の顔 すべてが新しい
  いまもういちど始まる 若き日の生よ
                            (「二等兵の手紙」部分)

 キム・グァンソクは若者の苦悩を切々と美しく歌った歌手で、韓国でいう「民衆歌謡」の代表格だった。映画は2000年公開だったがキム・グァンソクは1996年に32歳の若い死を選んでいる。
Kimgaongsok_anthology 私もキム・グァンソクのCDを何枚か持っているが、2000年11月発行の「김광석 ANTHOLOGY」が好きだ。このCDには彼を慕う友人や後輩歌手たちが参加している。イ・ソラ、カン・サネ、ユン・ドヒョン、アン・チファン、キム・ゴンモなどそうそうたるメンバーだ。彼らが死んだキム・グァンソクの歌声に合わせてデュエットしたり合唱している。アルバムに付属した冊子には参加者の声も掲載された。

  夜明けにブルースハウスに行けば、
  あなたが煙草を吸いながらお酒を飲んでいる姿を 今も思い出します。
  会いたい……
        イ・ソラ
 
  兄貴 今も曇った秋の空に手紙を書いているんですか。兄貴、これからは澄んだ空にだけ手紙を書いて。いつも澄み切った高くて青い空のようだった兄貴の心に、僕たちみんなが出会えるように。
        ヨヘンスケッチ

 死後も愛され続けるキム・グァンソクは、没20周年の今年追悼イベントが各地で催されたようだ。
 70・80年代の民衆歌謡といえば、「朝露」やキムジハの「金冠のイエス」などで日本でも知られるキム・ミンギが有名だが、韓国ではキム・グァンソクやアン・チファンも愛される歌手だ。私がアン・チファンを知ったのは、2000年5月光州民衆抗争20周年集会でのことで、記憶に間違いが無ければ、台湾の飛魚雲豹音楽工団と、沖縄の喜納昌吉が共演した。飛魚雲豹音楽工団は少数民族のグループでこれも凄かった。
Anchifang6_5_3 さてアン・チファンはキム・グァンソクの繊細さと対照的に、骨太な力強い歌声だ。この年の新作が「An chi hwan Vol.6.5─Remember」だ。「Vol.6.5」というのは「Vol.6」と「Vol.7」の間ということで、完全オリジナルのアルバムではなく、故金南柱詩人の詩を歌ったものだからだろう。金南柱は南民戦事件で逮捕された光州の詩人で、ドラマティックで喜怒哀楽烈しく、欺瞞に対する痛烈な罵倒と、同志に対する厚い信頼を歌った。アン・チファンの激しいが優しい声は金南柱の詩に合っている。
 冒頭の一曲は「糞蠅と人間」だ。

  糞蝿は、糞がたくさん積もったところに行って
  ぶんぶんいって、群れて生きる
  そこが どこだろうが、汚水溜でも汚物の山でも
  かまわない かまわない
  見ろ
  人間は金がたくさん積まれたところに行って
  勢い盛んに 群がって生きる
  そこが何処だろうが、生き地獄だろうが、戦場だろうが
  かまわない かまわない
  糞がない綺麗で清潔なところ 泉のようなところ
  そこで群れて生きる糞蝿どもを見ることがあるか
  見ろ
  つきつめてみると おれたち人間なんて
  たいしたことはない そりゃたいしたこたぁない
  糞蝿どもと違いがない 違いがない
  糞蝿には もっと糞を
  人間には もっと金を
                                    (これは愚銀の試訳)

 凄まじいロックだ。金南柱の詩をアン・チファンは自分の歌にしている。それは彼の生き方に反映しているのだと思う。

  万人のために私が努力するとき
  わたしは 自由だ
  汗を流して精一杯働かないで どうして
  わたしが自由だといえるだろうか
  万人のためにわたしが闘うとき
  わたしは 自由だ
  血を流してともに闘わないで どうして
  わたしが自由であるといえるだろうか
      (「自由」より部分 金南柱詩集『農夫の夜』1987年 凱風社)

Photo 引用した金南柱詩集『農夫の夜』は、発行当時売れなかったに違いないが貴重な本だ。金南柱の詩65編に合わせ、民衆芸術運動を牽引した作家黄晳暎(ファン・ソギョン)や尹東柱(ユン・トンジュ)と親しかった文益煥(ムン・イカァン)牧師らの文が載り、南民戦事件の解説を歴史家の梶村秀樹が書いている。詩人の年譜も附いている。

Photo_4 さてさて、ここではキム・グァンソクとアン・チファン、二人の二枚のCDしか紹介しなかったし、今後音楽について書くことはないかも知れないが、韓流ブームに乗らなかったけれど素晴らしい音楽家は少なくない。例えば、リー・サンユンとか、トゥーボンチェタル(二番目の月)とか。SOL FLOWERも良い。紫雨林(チャウリム)は日本でも知られたが、ボーカルのキム・ユナのソロアルバム「Shadow of your smile」が20001年に発売されたのはそれほど知られていないだろう。甲午農民戦争の英雄全琫準を讃えた民謡「青い鳥」を切々と歌ってもの悲しい。これは冊子附きだ。
Photo_2 わたしは音楽も温泉卓球なみの素人だが、やはり良い音楽は心を打つ。文学とは切っても切れない仲ではないだろうか。

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