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2016年8月 3日 (水)

葬式の話

 佐伯一麦の『還れぬ家』を読み終えて思い返すと、ここのところ葬儀の場面が描かれた小説を続けて読んでいるような気がした。振り返ってみると、山崎ナオコーラ『美しい距離』、滝口悠生『死んでいない者』などが思いついた。
 私自身もこの年までには覚えていられぬほどの数葬式を経験してきた。なかでも東日本大震災の前年冬の伯母の葬式は印象的だった。その葬式は寒い風の日の非常に簡素なものだった。89歳で逝った伯母の遺影を白い花で飾っただけの祭壇に焼香台が置かれていて、無宗教なのに焼香はするのかと訝った。その頃すでに足腰の弱っていた母は家に置いて従兄の車で荒川縁に近い葬祭場に行った。故人の娘である従姉の夫が異常にうなだれていて、隣に座った従姉の娘に「お父さん大丈夫」と訊くと、「アル中でダメなのよ」とあっさり応えられてしまった。その時は次は母の番だと漠然と思ったのだったが、90になる今年もなんとか自分の足で歩いている。
 父の葬式は1996年だから20年以上前になる。あれは大変だった記憶だけで詳しいことは覚えていない。埼玉の葬式は略式が多い。死者が出ると葬儀屋が手配して葬儀場で通夜から葬式まで行い、火葬場まで案内されるのが普通だろう。初七日も葬式の日にやってしまうし、香典返しも葬儀の帰りに一様に渡してしまうのが普通だ。ところが東京生まれの母は四十九日過ぎてからの半返しに拘った。一人ひとりに違う品を渡さなければならなかったので、喪主で会社員の私は香典をくれた数十人の同僚への香典返しが面倒だった。葬式も斎場を借りず自宅でやった。母は張り切ったが私はうんざりした。母の葬式は絶対簡略に質素にしてやると思ったものだ。葬式は故人の意向を反映しない。そもそも真言宗の我が家の葬式が日蓮宗の僧侶で行われたのを、農家出の父はどう思っただろう。死者はともかく父方の叔父や従兄弟たちは鼻白んだのでなかったか、と今になって思う。母に信仰があった訳ではない。僧侶と母は、もともと呉服屋と客の関係だった。在家仏教で僧侶になった呉服屋さんは廃業した後は仏教で身を立てている。今も法事の連絡は僧侶のほうからかかってくる。
 40年程昔に参列した父方の伯父の葬式も印象に残っている。父の実家は鴻巣あたりの農家だったので、同じ埼玉と言っても会社員家庭育ちの私からすると随分な田舎の因習のように感じられた。なにしろ遺体を担いだ列に並んで墓地まで歩いたのは最初で最後だ。土葬だったのだ。土葬は禁止されていなかったのだろうか。寝棺は寺の墓地に埋められた。映画で観るように皆で少しずつ土を被せた。古い墓穴の跡は棺桶の形に凹んでいる。墓穴の上に白木で組んだ骨組みだけの屋根が置かれたような気がするが記憶が定かでない。あったとすればタマヤ(魂屋)だったのかも知れない。
 埼玉の葬式と言えば、終始葬式の周囲の出来事を描いた滝口悠生『死んでいない者』が連想されるが、あちらは入間など埼玉県西部が舞台。浦和・大宮・上尾と高崎線で北上する地域との文化的交流は少ない。とは言え、地域性の感じられなさは同じ埼玉らしさか。葬儀会場が寺でも専用葬儀場でもなく地区の集会場である点に中途半端な田舎っぽさが感じられ、現さいたま市を中心とする県中南部とは違う気がする。この小説の葬儀は徹頭徹尾儀礼的で、地方の風俗らしきものや、地域特性といったものが感じられない。もっとも地方の人間が読んだら特異な地域性が表れているのかも知れない。埼玉に住む鹿児島出身の友人が葬儀後の精進落としに寿司が出てきたのに初めはショックだったと書いている。
 佐伯一麦『還れぬ家』で描かれた葬式にも寿司は出てくる。主人公の母親は急な仮通夜にもかかわらず無理して寿司を振る舞おうとする。悪気がある訳ではないけれど、人目を気にして頑固な自分のペースに周りを巻き込むところなど私の母とよく似ている。母親は息子に相談なく近在の黄檗宗の寺の檀家になっていた。この小説を読んでいても、母に信仰それも禅を学ぶ知的な信仰があるとは思えない。墓所を確保するという形式の安定を求めてのことだ。仏教儀礼としての法事に頓着するのではなく自分の見聞きした慣習には頑なに拘泥する。
 『還れぬ家』は認知症に罹った父をめぐる夫婦の日々を、3・11を挟んで描いた典型的な私小説で特別なドラマはないが、妙に同調するのは母・息子の関係に親和感があるのだろうと思う。それに主人公幼児期の原体験が、被害者であるにもかかわらず母親の叱責の対象だったり、家族の相互不和の原因が意外と小事であったりするところが、日本人私のリアリズム感覚と合うのかも知れない。韓国文学であれば背景に歴史的大事が設定される場合が多いし、幼い息子が辱められたと知った母親ならば大仰に相手をとっちめるだろう。そうした境遇とは著しく異なる。
 芥川賞を今回も取り損なった山崎ナオコーラの『美しい距離』は、死期の迫った妻との関係のあり方を距離という言葉で表した。生命保険会社に勤める夫は、サンドウィッチ屋の経営に生きがいを感じていた妻の葬儀から社会慣習を払いのける。自分の会社関係の立派な花輪を排除して、妻のサンドウィッチ屋を愛する人たちの小さめの花輪だけを飾る。死んだ妻の生を尊重しようとする夫の態度が、一般的な社会慣習や会社社会の常識と背理していて危なげだけれど好感が持てる。山崎ナオコーラは死者を弔う葬式を描いた。
 葬式のない死も文学は弔った。木村友祐『イサの氾濫』所収の「イサのその後、そしてあとがき」には、身寄りのない人のための施設で死んだイサじちゃんの葬儀のない火葬について書かれている。売店で買った骨壺に「白く乾いた骨」を入れて抱く様子は、金泰生の『骨片』を彷彿させる。生き別れた父の骨片を警察病院の一隅に探し当てた葬式のない死の描写だ。忘却という二度目の死は文学によって免れたのだ。
 因みに映画では伊丹十三監督「お葬式」(1984年)や、林權澤監督「祝祭」(1996年)などがあり、前者は現代日本の一般的葬式を、後者は韓国の伝統的葬式に際した人間模様を描いて面白い。

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