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2016年8月に作成された記事

2016年8月26日 (金)

金重明『幻の大国手』再読

将棋の小説も面白く読める

 『世界最強の囲碁棋士、曺薫鉉の考え方』を読んで、囲碁ではないが将棋にかかわる金重明『幻の大国手』(新幹社)を再読した。1990年の出版である。金重明は『算学武芸帳』で1997年朝日新人文学賞を受賞して文壇デビュー、『皐(みぎわ)の民』(2000年講談社)、『抗蒙の丘』(歴史文学賞受賞、2006年新人物往来社)など東アジアを視野に入れた力のある歴史小説を書いた作家で、岩波新書『物語 朝鮮王朝の滅亡』(2013年)などの著書もある。──ついでに言えば、『13歳の娘に語るガロアの数学』で2014年度日本数学会出版賞を受賞している。翻訳も多い。
Photo 『幻の大国手』は金重明の原点的作品と言える。
 朝鮮と日本の将棋が重要なモチーフになっているので、将棋を知っているとより面白く読めるかも知れないが、私のようなまったくの無知でも、文学と近代史に興味があれば魅了されること間違いない。
 戦中「七段殺し」の異名をとりながら、ある日忽然と行方不明になった新進気鋭の将棋指し金相鎬の行方を、1980年台に生きる在日朝鮮人で日本将棋の学生チャンピオンである金民石が追跡していく。金相鎬は、強制連行されて日本に来たチャンギ(朝鮮将棋)指しであった。金相鎬は北海道の炭鉱から必死で脱出しアイヌに助けられる。最果ての森に追いやられたアイヌの生活が美しく描かれるのは、神に感謝しながら自然の恵みを受け取るアイヌの生活に、作者が強いシンパシーを持ったからに外ならない。反対にシャモ(日本人に対する蔑称)は、自然を「資源」と呼んで破壊し収奪する。作者の資本主義文明に対する嫌悪も読み取れる。
 朝鮮に帰りたい金相鎬はアイヌ部落での生活に終わりを告げ、本州に渡って日本将棋の真剣師とよばれる賭け将棋師として転戦した後、東京で将棋の名人に弟子入りして専任将棋指しになった。将棋界ですぐに頭角を現した金相鎬だったが、心の中では朝鮮へ帰ってチャンギの名人とチャンギを打つことだけを願っていた。金相鎬は将棋の修行の間にも、チャンギの新しい定跡の研究に余念無くその成果を書き綴っていた。
 現代(1980年台)の金民石は、金相鎬が遺したチャンギ研究の原稿を手に入れ、書き写して韓国へ行く。金民石は韓国でチャンギ指しの女子大生と親しくなり一緒に金相鎬を追うが、北朝鮮のスパイとして保安司令部に逮捕されてしまう。
 戦中の金相鎬はチャンギ一筋で他のことに関心を持たなかったが、日本の朝鮮支配という歴史に翻弄され、最後は同胞の裏切りにあい、大国手(チャンギの名人)白基徳と自宅で対戦中に、特高警察によって殺されてしまう。
 将棋とチャンギの天才金相鎬に魅かれて、チャンギの世界に入って行く金民石の姿には金相鎬が重なって見えてくる。金相鎬が日本の憲兵に捕まって受ける拷問と、金民石が韓国の保安司令部で受ける拷問の様子も時代を超えて二人を結び付ける。
 『幻の大国手』は日韓の近代史を将棋とチャンギを題材にダイナミックに描いた傑作だ。文体にまだ荒さがあり誤植も残っているが、作品の文学的価値を損ねるものではない。改訂版の再版を期待したい。
            (金重明『幻の大国手』1990年 新幹社発行 草風館発売 本体2000円)

2016年8月19日 (金)

曺薫鉉『世界最強の囲碁棋士、曺薫鉉の考え方──考えれば、必ず答えは見つかる』(アルク)

「考え」は時代も国境も遙かに超える
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 私は、卓球はまったく分からない。経験も殆どない。温泉卓球でも低レベルだ。オリンピックで観る卓球の解説もさっぱりだが、それでも面白いと思って観ている。囲碁番組はさすがに見たことがない。囲碁・将棋・麻雀及び賭け事に興味がないからだ。
 韓国語勉強のために賭博師を主人公にした韓国ドラマ「オールイン」は観た。イ・ビョンホン主演で、ソン・ヘギョ、パク・ソルミも出ていた。ソン・ヘギョの子ども時代を同い年のハン・ジミンが演じた。出演者だけ見ても面白いに決まっている。このドラマのモデルになった実在の人物は囲碁の世界でも活躍したことをこの本を読んで知った。私が棋士が書いた本を読むことになるとは思わなかった。『世界最強の囲碁棋士、曺薫鉉の考え方──考えれば、必ず答えは見つかる』は、温泉卓球レベル以下の囲碁知識の者にも読める。囲碁知識は有った方が良いかも知れないが無くっても差し支えない。では人材育成のハウツー本かと思いきやそうでもない。ハウツー本の持つ(あるいはそういうセミナーの持つ)単純明快な一貫した論理性にかけている。矛盾に満ちた本だ。
 曺薫鉉(チョ・フンヒョン)は貧しい家庭に生まれたが囲碁の才能に恵まれ満10歳の時に日本に留学して、80歳を越えた瀬越憲作の内弟子になる。瀬越は知る人ぞ知る日本囲碁の立役者だ。瀬越は生涯で呉清源、橋本宇太郎、曺薫鉉の三人しか弟子を取らなかった。呉清源という名は門外漢の私でも聞いたことがある。中国、日本、韓国から一人ずつ弟子を育てた瀬越憲作ににわかに興味が湧く。
 瀬越は言う「答えはないが、答えを探そうと努力するのが囲碁だ」
 瀬越は囲碁の打ち方を一切教えず放任した。自分でもがき苦しむ環境を与えただけだった。曺薫鉉は〈本当の幸せはしっかりとした自我から来るのだ〉と言う。しっかりした自我を植え付けることが瀬越の教育なのだった。
 曺薫鉉はもう一人藤沢秀行の研究会にも参加した。この二人が曺薫鉉の師である。藤沢秀行が破天荒な棋士であるということは聞いたことがある。曺薫鉉という棋士は、囲碁を芸術として道を究めた瀬越と、人情家の酔っ払いである藤沢の影響を同時に受けた。その人生は最初から矛盾の中にあったと言えよう。
 2014年に「未生(ミセン)」というドラマが韓国でヒットした。人生を囲碁にかけていた若い棋士がサラリーマンになり囲碁になぞられて人生が語られる。このドラマが大ヒットしたこともあって、囲碁は一寸したブームになったらしく、この本もベストセラーになった。「未生」は日本でもこの1月からBSで放映されたらしいが、私は観ていない。日本版リメイクのドラマ「HOPE─期待ゼロの新入社員』も放映されている。
 曺薫鉉の哲学は副題にもあるように考え抜くことだ。考えに考えて疑問を持ち質問し、共同して検討する。その考えの根本に人格を置く。なんだかビジネスシーンにおけるPDCA(Plan Do Check Action)みたいだと鼻白むことなかれ。中田英寿も「何をやったかといえば、考えること。考えて考えて準備した」と言っていた。でもこの本は人生の勝ち方指南の書ではない。確かに〈高い年棒をもらうのは、それに見合う能力を認められたということ…自慢すべきことだ。〉とも書いているが、「勝利を貪れば得ることはできない」とも言う。矛盾に満ちているが、人生を知っている者の言葉だ。
 曺薫鉉はドラマ「オールイン」のモデルとなった車敏洙(チャ・ミンス)とも親しい。「オールイン」は車敏洙をモデルとしてその半生を描いたのだが、実話の方が余りにもドラマチック過ぎて嘘っぽいので、ドラマではリアルに見られるように脚色したという話題のドラマだった。
 車敏洙は囲碁の実力も大したものなのだ。アメリカでも成功した車は、1980年台まだ韓国と中国に国交がない時に、中国棋院との関係をつくり中国囲碁の発展に力を尽くした。世界の囲碁が発展するためには中国の囲碁の成長が必要だと思ったからだ。家元とか民族といった狭い枠の中に止まっていてはならない。
 曺薫鉉は幼いときから囲碁という狭い世界に囚われ、運転免許もクレジットカードも持たず、スマホどころか携帯電話も使わない。それなのに彼の「考え」は一人の勝敗より世界への囲碁の広がりへ発展していった。囲碁は時代も国境も遙かに超えていた。人生なんて短いがけっこう奥が深いのだ。
 この本には結論はない。小説ではないのでまとまりもない。途中に著者の「無心」と書いた書が挿入されている。無心なんて書く人間は無心になれないから書くのだろう。曺薫鉉は今年国会議員になった。翻訳した戸田郁子さんに尋ねたら「悪手と知りつつ打ったのでは…」と返ってきた。曺薫鉉はオンラインゲームに参戦したこともある。囲碁人口を広げるための悪手だった。なりふり構っていないなと思う。藤沢秀行なら笑うだろうが、瀬越憲作には叱り飛ばされるのでなかろうか?
 そうそう囲碁・将棋に興味がないと冒頭に書いたが、一作だけ韓国将棋指しのことを書いた傑作小説を読んだことがある。金重明『幻の大国手』だ。この作品については別途書くことにする。

2016年8月15日 (月)

リヒター『あのころはフリードリヒがいた』

 『あのころはフリードリヒがいた』という小説はドイツ人作家ハンス・ペーター・リヒター(Hans Peter Richter 1925-1993)によって1961年に発表され、1977年に上田真而子訳で日本語版が出版された。現在は2000年6月に新版が発行されている。
 ここに掲載する書評は、1993年にシアレヒムの会発行の『粒(RYU)』第7号に発表したものの再掲載だ。アベ極右政権による中国・朝鮮を敵視する排外主義扇動が排外的憎悪を導き、凄惨なヘイトクライムを引き起こしている現在に抵抗する文学だと確信するからだ。読み返してみると決して出来の良い書評ではないが最低限の紹介にはなっていると思うのでそのままアップすることにした。

歴史に対する自己批判

 しまったと思った。この本の書評はたいへん難しい。この本は、中学生向けの文学書Photo_2であり、決して小難しい社会学の本などではない。むしろ平易に書かれている。しかし、ここに描かれた人間の営みのどうしようもない愚かさをいったい人に伝えることができるだろうか。
 これから読む人のために、ストーリーを紹介するのは憚かれるのだが、主人公の少年「ぼく」やその友だちフリードリヒは、作者ハンス・ペーター・リヒターと同じ一九二五年に生まれている。そして、その年から一九四二年までを、少年の目でユダヤ人の友とその家族を追って展開していく。ヒトラーがドイツ帝国首相になりユダヤ人排斥運動が開始されるのは一九三三年である。つまり、「ぼく」はそういう時代に遭遇し自らも飲み込まれながら、フリードリヒを見詰めているのである。
 「ぼく」の両親とフリードリヒの両親は子供を介して親しく付き合っている。こんな場面がある。二人の小学校入学の日、二家族はお祭り広場で遊び、最後に六人で伸び縮みのする木馬に乗って記念写真を撮って大笑いをする。貧しくても幸せな日々だ。「ぼく」の父さんは初めのうち失業していて貧しいが、ナチスの党員になることによって職を得る。フリードリヒの父シュナイダーさんは郵便局を首になり、徐々に排斥を受けていく。
 「ぼく」は少年たちの憧れであるドイツ少年団に入る。フリードリヒも入りたがるが、フリードリヒはドイツの敵ユダヤ人である。「ぼく」が知らず知らずのうちにユダヤ人迫害に参加して行く過程は恐ろしい。破壊者たちがユダヤ人の寮を襲撃に行くのについて行き、参加してしまう。破壊者たちがドアを壊す場面がこうだ。

   そのときだった。その「よいしょ。」につられて、ぼくの口から声がでた。そして、一声一声、ぼくはドアに体をぶつけている人たちの方に近寄っていったのだ。気がついたときには、ぼくは力いっぱいドアを押していた。どうやってドアのところまできたのか、自分自身、もうわからなかった。そのときには、見物している人はもう一人もいなかった。

 恐ろしい力に曳かれて破壊者になっていく。現在のヨーロッパのファシズム台頭もこのようにして過激化していくだろう。日本の外国人差別もまた、同じ道を辿るに違いない。
 終わり近く、一九四二年ドイツは連合軍の空襲を受けているころだ。十七歳になっているはずのフリードリヒが「ぼく」の家を訪ねて来る。「ぼく、父と母の写真がほしいんです。(略)小学校の入学式の日、長い馬に乗って写したの、──あれお宅にあるでしょう。ぼく、覚えてるもの。(略)」
 フリードリヒと彼の両親がどうなったのか、歴史の示す通りである。
 訳者の上田真而子は、こう書いている。

 自分たちの歴史の、辛い一時期のあのできごとから眼をそらせて、簡単Photo_3に忘れ去ろうとするのではなく、もう一度、問題としてはっきり受けとめようとするドイツ人の態度、外国人であるわたくしにまですすめてくれた若い女店員の態度──その他、大勢のドイツ人がこの本を推薦してくれました──に、わたくしは深い感銘を受けました。

 違う文化、違う宗教を持った者を受け入れる態度と、過去の歴史を常に批判的に学ぶ強い姿勢、日本人が学ぶべきものがここにたくさんある。

(『あのころはフリードリヒがいた』ハンス・ペーター・リヒター 作 岩波少年文庫)

2016年8月 3日 (水)

葬式の話

 佐伯一麦の『還れぬ家』を読み終えて思い返すと、ここのところ葬儀の場面が描かれた小説を続けて読んでいるような気がした。振り返ってみると、山崎ナオコーラ『美しい距離』、滝口悠生『死んでいない者』などが思いついた。
 私自身もこの年までには覚えていられぬほどの数葬式を経験してきた。なかでも東日本大震災の前年冬の伯母の葬式は印象的だった。その葬式は寒い風の日の非常に簡素なものだった。89歳で逝った伯母の遺影を白い花で飾っただけの祭壇に焼香台が置かれていて、無宗教なのに焼香はするのかと訝った。その頃すでに足腰の弱っていた母は家に置いて従兄の車で荒川縁に近い葬祭場に行った。故人の娘である従姉の夫が異常にうなだれていて、隣に座った従姉の娘に「お父さん大丈夫」と訊くと、「アル中でダメなのよ」とあっさり応えられてしまった。その時は次は母の番だと漠然と思ったのだったが、90になる今年もなんとか自分の足で歩いている。
 父の葬式は1996年だから20年以上前になる。あれは大変だった記憶だけで詳しいことは覚えていない。埼玉の葬式は略式が多い。死者が出ると葬儀屋が手配して葬儀場で通夜から葬式まで行い、火葬場まで案内されるのが普通だろう。初七日も葬式の日にやってしまうし、香典返しも葬儀の帰りに一様に渡してしまうのが普通だ。ところが東京生まれの母は四十九日過ぎてからの半返しに拘った。一人ひとりに違う品を渡さなければならなかったので、喪主で会社員の私は香典をくれた数十人の同僚への香典返しが面倒だった。葬式も斎場を借りず自宅でやった。母は張り切ったが私はうんざりした。母の葬式は絶対簡略に質素にしてやると思ったものだ。葬式は故人の意向を反映しない。そもそも真言宗の我が家の葬式が日蓮宗の僧侶で行われたのを、農家出の父はどう思っただろう。死者はともかく父方の叔父や従兄弟たちは鼻白んだのでなかったか、と今になって思う。母に信仰があった訳ではない。僧侶と母は、もともと呉服屋と客の関係だった。在家仏教で僧侶になった呉服屋さんは廃業した後は仏教で身を立てている。今も法事の連絡は僧侶のほうからかかってくる。
 40年程昔に参列した父方の伯父の葬式も印象に残っている。父の実家は鴻巣あたりの農家だったので、同じ埼玉と言っても会社員家庭育ちの私からすると随分な田舎の因習のように感じられた。なにしろ遺体を担いだ列に並んで墓地まで歩いたのは最初で最後だ。土葬だったのだ。土葬は禁止されていなかったのだろうか。寝棺は寺の墓地に埋められた。映画で観るように皆で少しずつ土を被せた。古い墓穴の跡は棺桶の形に凹んでいる。墓穴の上に白木で組んだ骨組みだけの屋根が置かれたような気がするが記憶が定かでない。あったとすればタマヤ(魂屋)だったのかも知れない。
 埼玉の葬式と言えば、終始葬式の周囲の出来事を描いた滝口悠生『死んでいない者』が連想されるが、あちらは入間など埼玉県西部が舞台。浦和・大宮・上尾と高崎線で北上する地域との文化的交流は少ない。とは言え、地域性の感じられなさは同じ埼玉らしさか。葬儀会場が寺でも専用葬儀場でもなく地区の集会場である点に中途半端な田舎っぽさが感じられ、現さいたま市を中心とする県中南部とは違う気がする。この小説の葬儀は徹頭徹尾儀礼的で、地方の風俗らしきものや、地域特性といったものが感じられない。もっとも地方の人間が読んだら特異な地域性が表れているのかも知れない。埼玉に住む鹿児島出身の友人が葬儀後の精進落としに寿司が出てきたのに初めはショックだったと書いている。
 佐伯一麦『還れぬ家』で描かれた葬式にも寿司は出てくる。主人公の母親は急な仮通夜にもかかわらず無理して寿司を振る舞おうとする。悪気がある訳ではないけれど、人目を気にして頑固な自分のペースに周りを巻き込むところなど私の母とよく似ている。母親は息子に相談なく近在の黄檗宗の寺の檀家になっていた。この小説を読んでいても、母に信仰それも禅を学ぶ知的な信仰があるとは思えない。墓所を確保するという形式の安定を求めてのことだ。仏教儀礼としての法事に頓着するのではなく自分の見聞きした慣習には頑なに拘泥する。
 『還れぬ家』は認知症に罹った父をめぐる夫婦の日々を、3・11を挟んで描いた典型的な私小説で特別なドラマはないが、妙に同調するのは母・息子の関係に親和感があるのだろうと思う。それに主人公幼児期の原体験が、被害者であるにもかかわらず母親の叱責の対象だったり、家族の相互不和の原因が意外と小事であったりするところが、日本人私のリアリズム感覚と合うのかも知れない。韓国文学であれば背景に歴史的大事が設定される場合が多いし、幼い息子が辱められたと知った母親ならば大仰に相手をとっちめるだろう。そうした境遇とは著しく異なる。
 芥川賞を今回も取り損なった山崎ナオコーラの『美しい距離』は、死期の迫った妻との関係のあり方を距離という言葉で表した。生命保険会社に勤める夫は、サンドウィッチ屋の経営に生きがいを感じていた妻の葬儀から社会慣習を払いのける。自分の会社関係の立派な花輪を排除して、妻のサンドウィッチ屋を愛する人たちの小さめの花輪だけを飾る。死んだ妻の生を尊重しようとする夫の態度が、一般的な社会慣習や会社社会の常識と背理していて危なげだけれど好感が持てる。山崎ナオコーラは死者を弔う葬式を描いた。
 葬式のない死も文学は弔った。木村友祐『イサの氾濫』所収の「イサのその後、そしてあとがき」には、身寄りのない人のための施設で死んだイサじちゃんの葬儀のない火葬について書かれている。売店で買った骨壺に「白く乾いた骨」を入れて抱く様子は、金泰生の『骨片』を彷彿させる。生き別れた父の骨片を警察病院の一隅に探し当てた葬式のない死の描写だ。忘却という二度目の死は文学によって免れたのだ。
 因みに映画では伊丹十三監督「お葬式」(1984年)や、林權澤監督「祝祭」(1996年)などがあり、前者は現代日本の一般的葬式を、後者は韓国の伝統的葬式に際した人間模様を描いて面白い。

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