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2016年7月に作成された記事

2016年7月13日 (水)

木村友祐「野良ビトたちの燃え上がる肖像」

反撃は周縁から始まる
Photo 参議院選挙の結果はアベ政権の与党自民・公明の勝利に終わり、改憲勢力によるソフト国家主義への道がまた一歩進んだ。政権に媚びへつらったマスコミの控えめな選挙報道や争点隠しのせいで、今回も低かった投票率では実際の政権支持を表していないとは言え、政治的プロセスは画期を迎えた。しかしながら原発事故汚染後、復興の遠い福島をはじめとした東北各県や、基地問題に揺れる沖縄などでは民主勢力の巻き返しも目立った。
 小説『イサの氾濫』(未來社)で東北のまづろわぬ民の怒りを表した木村友祐の新作は、前作を凌ぐ迫力で統制されようとする社会に生きる野良ビトたちを表出して見せた。トリクルダウンのオコボレにしがみつく我々に生きる意味を突きつけてくる。
 河川敷の住人の一人柳さんはアルミ缶を集めて、生活費とキャットフード代に充てている。河川敷には野良ビトだけではなく、野良猫も共生しているのだ。柳さんは近頃嫌な雰囲気を感じている。アルミ缶の買い取り価格が落ちこんでいる為だけではなさそうだ。流入者がやたら増えてきた一方で、河川敷に住む猫がクロスボウの矢で射殺されたり、空缶やダンボールを提供してくれていた商店がおおっぴらには協力してくれなくなりつつあった。
 ゲーテッドタウンと称される超高級住宅地は高い柵に囲まれ出入りはガードマンによって規制されている。柳さんたちホームレスはもちろん住民以外は招かれなければ侵入することのできない柵のなかには「火葬場と墓地以外はすべてある」と言われている。庶民とは隔離された社会が現れ、周囲に隣接する一般人の街もまた重層的差別社会へと変貌しつつある。まさに1%の富裕層をより豊かにするための法整備が進み、彼らの使った金が下層市民の所得になっていく。庶民は階層ごとに分断され相互に監視支配を強化し排撃する。そんな戦時中のような社会の復興がアベノミクスの指標だろうと、木村友祐は気付いているに違いない。
 「野良ビト」とは多摩川ならぬ弧間川河川敷に住んでいるホームレス全体をさし、彼らは近頃「野良ビト(ホームレス)に缶を与えないでください。」などという看板に行く手を阻まれている。東京オリンピックならぬ東京世界スポーツ祭典の開催を二年後にひかえ、街の再開発と美化運動やテロリストを警戒した警備体制の強化、自警団の跋扈によってホームレスは行き場を失いつつある。自警団は刺股をもってホームレスを追い回している。やがて河川敷の野良ビト共和国は柵で覆われ火を付けられる。白色テロは現実にも目の前に迫っているのだ。
 不景気煽動罪で報道が規制されるなか、最下層の人民は河川敷に貧しく暮らすことさえ赦されない。その行き先は放射能汚染廃棄物の処理労働要員かそれに類する使い捨て労働現場だ。それにしても深刻な社会問題のただ中に、一人ひとりがそれぞれの違った個人史を抱きながらも野良ビトたちはユーモラスと思えるほどに逞しく生きている。彼らを不良債権と断じるのか、貴重な社会の人材と尊重するのか人間性が問われるところだ。
 ホームレスや非正規労働者を主人公においた小説は最近少なくない。なかでも柳美里『JR上野駅公園口』は、主人公の出身地が東北ということで『野良ビトたち~』と共通点がある。柳美里は東北の人民が差別された歴史の襞を上野に見つけて書いた。木村友祐が選んだ河川敷は言わば周縁地域だ。いよいよ追い立てられ逃げに逃げた先だ。これ以上先はない。反撃は常に周縁から始まるのだ。

2016年7月 1日 (金)

キム・ヨンス『ワンダーボーイ』CUON

苦しみさえ伝えられない
Photo
 『ワンダーボーイ』と聞いて、韓国の女性ボーカルグループ「ワンダーガールズ」や、はたまたカン・ドンウォンとコ・スが闘った映画「超能力者」を思い浮かべた人はいなかっただろうか?
 まったく違った。この小説の主人公は人の悲しみ苦しみを理解してしまう。人の心に同調し、人の思いを読んでしまう。そして自分の悲しみを他人に反映させ涙をうつす。父を失う交通事故に遭遇してから、少年は彼を取り巻く環境と正反対の能力を得てしまったのである。その時代は拷問で反政府活動家たちを葬り去る社会だ。少年キム・ジョンフンは人の心を読む能力のために、取調室で拷問を受けている男の心を読まされた。
 韓国の女性作家千雲寧も小説『生姜(センガン)』で拷問社会を描いた。しかしそこに描かれたのは韓国民主化後1988年から1999年まで、ファッショ政権の残滓たる拷問技術者とその娘の11年間だ。キム・ヨンス『ワンダーボーイ』が描いた時間は1980年から1987年まで、拷問の時代まっただ中だ。光州民衆抗争を鎮圧し権力を握った全斗煥から盧泰愚と続く軍事ファッショ政権によって自由な意思表示が禁止された時代、反政府的言動をすれば北朝鮮のスパイと断じられ、拷問によって口を割らされる(捏造される)時代だ。そして1987年の6月民衆抗争によって韓国社会が民主主義を勝ち取る端緒についた年までの7年間、孤児となった少年の成長の記録は韓国社会の希望への変遷史でもある。因みに翻訳者は著者のあとがきを〈時代背景にとらわれずに読んでいただきたい〉と解釈したようだが、時代を変えたら別の作品になっていただろう。
 1980年台を振り返って見ると、国は違ってもぼくもそれなりに走り抜けていた。李恢成や張赫宙について書き、山代巴や在日朝鮮人文学の読書会に参加し、朝鮮語の学習グループにもいた。1982年、83年、85年に韓国を旅し、作家李東哲や映画監督李長鎬に会った。10年に渡る文学同人雑誌を始め、地元の住民運動にも参加した。あの頃の若いぼくにワンダーボーイ=キム・ジョンフンのような共感と同調の能力があったなら、その後の10年に別の形の個人史が築けたかも知れない。
 閑話休題
 小説は主人公への問いなのか読者への謎なのか不明のまま質問していく。誠実な読者は立ち止まり頭を悩ませながら読み進めなければならない。ひ弱な主人公の超然に読者は身をひきながらも共感するのだろう。
〈あの子は人の苦しみをすべて理解して、それをそのまま人に伝えられる能力がある〉
 ジョンフンは男装の麗人カントたちの助けを借りて、父や生まれてすぐ死んだと聞かされていた母の実像を知っていく。背景に朝鮮の分断という民族的課題も見え隠れする。カントであるヒソンも時代の犠牲者であり、大きな傷みを抱えて生きている。ジョンフンの人の心を読む超能力は失われていたが、ジョンフンが獲得していった真理は小さくはない。ジョンフンは、自分の時間と他人の時間の流れがそれぞれ違うことを知っていたし、わかり合えないとしても、独りでは決して自由になれない、ということももう理解していた。
 人間はどんな大きな苦しみを持っていても、それをそのまま人に伝えることはできない。苦しみさへ伝わらないのだ。言葉など伝わるわけもない。心に思った表層の言葉を「超能力」で読めたとしてもその奥深く沈んだ真実の言葉の理解にはほど遠い。われわれは伝わらない言葉を必死になって伝えようと努力する。発した本人さえ充分に分かっていない言葉を表現しようとする、その努力が文学なのかも知れない。まあそう考えれば一寸ヘボい日本語訳も一興に思えなくも無いかな。
 김연수キム・ヨンスは韓国では人気作家だ。こうした質の高い文学作品が大衆的に評価されるところに韓国社会の知的センスの高さが窺える。本作が単著翻訳としては2冊目、もう一冊『世界の果て、彼女』(CUON)がある。なお愚銀のブログでは『波が海の業ならば』についても紹介している。これも翻訳出版が待たれる。

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