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2016年2月 3日 (水)

差別から何が生まれるのか──尊敬すべき白丁の文化

鄭棟柱 『神の杖』 解放出版

Photo 白丁(ペクチョン백정)が朝鮮の被差別民であることは知っていた。彼らが屠殺を生業とするということも読んでいた。この点は日本の被差別部落民と似ている。16世紀半ばの民衆反乱の指導者林巨正(リム・コクチョン)が白丁出身だったことも知っている。林巨正は腐敗した朝鮮王朝と闘った英雄だ。小説やドラマ・漫画で現世にまで伝えられる。
 だがしかし白丁がいかに迫害されてきたかという知識はなかった。彼らは賤民以下の動物扱いされた。強姦されようが、殺されようが、人間に対する罪にはならなかったのだ。人身売買の対象でもあった。
 インターネットブログ「ヌルボ・イルボ 韓国文化の海へ」で紹介された鄭棟柱『神の杖』は1997年発行だから20年近く前の本だが、ヌルボ氏が再読にもかかわらず2015年に読んだ本の中で唯一感動した本だと書いているし、なかなか興味深かったのでインターネットで探して861円で購入。定価は3800円だった。この本が凄い。
 大学教授で小説家の女性が地方の寺を訪ねる場面から始まる。主人公である朴異珠(パク・イジュ)は〈白丁の職業である屠殺と寺の関係から生まれた隠語を収集して研究してきた。〉白丁は職業・婚姻・習俗を差別されたほかに、言語も一般人と同じ言葉を使うことを禁止された。そのため白丁の間だけで通じる独特な言葉が使われたのだ。白丁は支配階級である両班(ヤンバン)とは異なる独特の文化を持っていた。支配階級の文化に対するカウンターカルチャーを、最下層の被差別民が持った意味は一考に値する。
 朴異珠は自身が書いたベストセラー小説『不遇』にまつわる訴訟で憔悴している。それに夫との不和も抱えている。20年前には、不仲だった妹が「自殺」とされる死を遂げている。寺を訪ねた日は偶然妹の命日だった。
 小説は過去と現在を行き来しながら、朴異珠の生い立ちと訴訟相手との攻防を描いていく。朴異珠の曾祖母にあたる鄭順介までさかのぼる物語は、小説中の小説『不遇』とリンクしている。白丁として迫害され、女性として二重に差別される世代を隔てた女性たちの物語でもある。鄭順介の娘、朴異珠の祖母は身体障害者であるための虐待も受け、三重の苦しみの中に死んでいった。
 朴異珠は自分が白丁出身であることを隠し続けて生きてきた。持って生まれた向上心で出世したが、友だちも作らず愛のない結婚をし、生まれた娘の世話も家政婦に任せっぱなしだった。朴異珠の書いた小説『不遇』は〈李氏朝鮮時代に抑圧され差別を受けた一つの身分階層である白丁の生の哀歓と、現代社会で抑圧され差別を受けている階層の実情を、絶妙に比較しながら描い〉ていたが、作者である朴異珠自身が白丁出身であることを読者は知らされなかった。
 表題の「神の杖」は屠殺に使う包丁を示す。屠殺は単に商業的価値を追い求めるものではない。そこには命に対する畏れがあり、神聖な行事としての手順が決められている。自然と生命を尊んだ作業なのである。
 知っているようで知らない白丁の習俗、仏教との繋がり、特殊な言語、何より現代に繋がる差別の実態、軍事独裁政権時代を含む現代韓国史の抱えた歪み。軍事政権と闘った朴異珠の妹明珠は恋人とともに死んだ。朴異珠は妹の死を単なる自殺と思いこむ(ことに決めている)。

  知性人は自分の知識で社会を救うけど、知識しかない知識人は社会が自分の利益のために腐敗することを望んでるの。忘れないで。姉さん自身が積み上げてきた知識のかけらが、いつか姉さんの胸に突き刺さる刃物になるかもしれないってことを。

 明珠の言葉どおり、今まさに朴異珠の胸に刃物が刺さり苦悶の果てに寺を訪れたのだった。この小説を韓国版『破戒』と読むこともできる。また一方で知識人のあり方を問う文学と捉えることもできる。朴異珠は私であり、あなたでもある。もちろん差別一般を告発した小説として読むのが一番一般的かも知れない。
 現代世界は排外主義的ポピュリズムに溢れかえっている。差別する側はいつも卑屈に怖れている。両班は自分の不幸や地位の危機を他人、究極には白丁に責任を着せて迫害する。この両班の精神腐敗はネトウヨと同じだ。恵まれない(と思い込んでいる)既得権益者が、自己の薄幸を難民や外国人や性的少数者のせいにして吐く言辞はヘイトスピーチと呼ばれる。差別によって無能で脆弱な自己を保っているのだ。根拠の無い虚栄心を持つため誰かを迫害せずにいられない。嫉みの社会構造が出来ている。
 自己を隠して栄達の道を歩んでも虚しい。マイノリティーの文化こそ誇るべきだと『神の杖』は教えているようだ。

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