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2016年1月 7日 (木)

宋恵媛『「在日朝鮮人文学史」のために──声なき声のポリフォニー』

在日朝鮮人文学史を根本から見直す、
脱植民化
の実践

Photo 在日朝鮮人文学史はこれまでも多々書かれてきた。その代表は川村湊の『生まれたらそこが故郷』だ。また在日朝鮮人文学論の嚆矢として知られる磯貝治良は『〈在日〉文学全集』を編纂した後も、『〈在日〉文学の変容と継承』などで〈在日〉文学史を展開してきた。筆者もまたこうした努力をしてきた一人に入れて貰えるだろう。『在日朝鮮人日本語文学論』(1991年 新幹社)等で在日朝鮮人文学史の構築を試みた後も、「『在日朝鮮人文学』とは何か」(2003年4月『民主文学』)、「『在日朝鮮人文学』の変容とは何か」(2009年2月『國文學』第54巻2号)などで、日本文学史の中に在日朝鮮人の文学を位置付けようとしてきた。しかしそれは日本語作品に限ったもので、「日本文学史」を「日本語文学史」に書き換えようという試みではあったが、「日本文学」のボーダーを破るものではなかった。「日本語の文学」までは広げたとしても「日本に於ける文学」とまでは追究されなかった。
 私たちが編集した『新日本文学』2003年5・6月合併号の特集「〈在日〉作家の全貌」では、〈日本に在住して、その間に日本語による小説・詩集等の文芸単行本を発行している朝鮮人〉と限定して94人の作家・詩人を紹介した。そうしたこれまでの研究の間隙を埋め、なおかつ文学の存在そのものの見方にアンチテーゼを示したのは宋恵媛だった。宋恵媛『「在日朝鮮人文学史」のために』は、少なくともこれまでの在日朝鮮人文学史の概念を覆した。
 宋恵媛はまず朝鮮人女性の識字運動から戦後在日朝鮮人文学史を始めた。それは母国語を奪われた民族が言語を回復する地点から在日朝鮮人文学を検討したということだ。特にそれまで教育を受ける機会のまったく少なかった女性たちから始めたのは慧眼と言えよう。エリート男性日本語作家中心の在日朝鮮人文学史に比し、その出発点から異論を唱えたことになる。
 言語の回復、それは当然の帰結として朝鮮語作品を「在日朝鮮人文学」の重要な一部として取り扱うことに繋がる。朝鮮語と日本語の錯綜と対峙が戦後在日朝鮮人文学発祥の根源として見えてくる。
 宋恵媛は丹念に朝鮮語の作品も発掘した。朝連の準機関誌の役割を持った『解放新聞』や在日朝鮮文学芸術家同盟(文芸同)の『文学芸術』などの紙誌を調査し、文学の痕跡を辿った。
 また死と直結すると悪名高き大村収容所内で発行された『大村文学』(1957年8月創刊)などの稀少雑誌や、戦後圧倒的に朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)系の運動が大きかった時に非総連系の『白葉』(1957年)や『韓国文芸』も詳細に検討している。これらの雑誌では金学鉉・金一勉・金慶植・金潤らが活躍した。──因みに『文学芸術』に朝鮮語作品を書いた故金秉斗氏と筆者は些か交流があったので、知らなかった一面を知り、また懐かしくもあった。
 戦後在日朝鮮人文学の嚆矢として語られる金達寿について、日本の「進歩的知識人」からの視点を外して、朝鮮人文学者として再検討して見ると、違った面があぶり出される。〈金達寿は、日本人の間では最も名の通った朝鮮人作家だったが、識字教育と渾然一体となっていた初期の在日民族文化運動の中では、むしろ孤立していたといえる。〉
 そう考えると新日本文学会の金達寿に対する持ち上げ方にも、やや不公平感を感じてしまう。戦後日本の民主主義文学をリードした新日本文学会には朝鮮語作家たちを視野に入れる器量は無かったのだろう。後になっても新日本文学会周辺では、晩年の中野重治「民族エゴイズムのしっぽ」発言は殆ど理解されなかった。
 在日朝鮮人たちは〈旧宗主国の内部で脱植民地化を行うという困難な条件〉のなかでの戦後在日朝鮮人文学の果敢な闘いを展開したのだった。しかし宋恵媛も書いているとおり、〈民族語で書き、読まれるという、「解放」直後にふくらんだ民族文学の夢は一部しか実現しなかった。〉
 そんな中でもいくらかの成果はあったはずだ。例えば宋恵媛が紹介する金民(キムミン)の〈注目されることの少ない平凡な人々が、素朴な筆致でていねいに描き出された〉〈日本文学の影響がほとんど感じられない作品群〉に日の目を見せることは出来ないのだろうか。今更ながらに思ってしまう。彼らは〈脱植民化の実践〉者なのだ。
 宋恵媛『「在日朝鮮人文学史」のために』は、作品論には殆ど切り込むスペースを持たないが、それでも在日朝鮮人文学史のみならず、文学そのものの意味を原初的に考えさせてくれる。この出版そのものが現在的に脱植民化の実践ですらある。

(宋恵媛『「在日朝鮮人文学史」のために──声なき声のポリフォニー』岩波書店)

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コメント

『「在日朝鮮人文学史」のために』書評、興味深く拝見。
この労作については、『抗路』創刊号(2015年9月)に、書評ではなく、自分の文学論と重ね合わせて、すこし詳しく書きました。林さんの一文と基本的にヒットするところあります。
細かいところでの異論はともかく、『「在日朝鮮人文学史」のために』からは、林さんの着目点と同様、(まだまだ在日朝鮮人文学を「文学史」に閉じ込めたくないという気持ちはありますが)学び、示唆を受けました。

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