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2015年9月18日 (金)

波田野節子『李光洙──韓国近代文学の祖と「親日」の烙印』

朝鮮近代文学の栄光と挫折を独りで担った作家

Photo 李光洙は朝鮮人学生に対して学徒兵志願を勧誘した。波田野節子によると、李光洙の対日協力行為として韓国で誰もが第一に挙げるのがこれだ。『石枕』の張俊河、『長征』の金俊燁、『ある独立運動家の祖国』の尹在賢などは強制的に志願させられて日本軍に入隊したが、脱出して韓国光復軍に加わった記録を残している。朝鮮近代文学の祖と言われる李光洙はなぜ、軍国主義日本に屈服するのみならず、前途のある朝鮮人学生たちを戦地に送ったのか。
 李光洙は、朝鮮近代文学の祖であると同時に朝鮮人による日本語文学の最も初期の作家でもあった。にも関わらず、あまりにもこれまで知らなかった、というのが波田野節子『李光洙』を読んだ率直な感想だ。
 1983年友人に誘われて韓国の映画監督李長鎬の宅を訪ねたことがある。その家でたまたま観たテレビドラマが李光洙原作だった。ドラマの終盤「ああ、夢だったのね」と美しい李長鎬夫人が言ったのが印象的だった。私にとってもその程度の感慨しかない。殆どの日本人は李光洙を知らないだろう。しかし韓国では大きな存在だ。韓国近代文学の祖と呼ばれながら「親日」の烙印を押されているとは複雑だ。愛されているのか嫌われているのか分からない。(一応確認しておくが、「親日」というのは日本帝国主義の朝鮮支配に手を貸したと言う意味で使われる)
 李光洙は貧しく生まれ育ったが、天性の才能とたゆまぬ努力で文学的才能を発揮した。〈崔南善、洪命憙とならんで「三天才」と呼ばれ、一八歳にしてすでに小さな名士だった。〉若くして愛国啓蒙運動家として名を挙げ、1919年には三・一独立運動の先駆けとなった二・八独立宣言を起草し、大韓民国臨時政府の樹立に加わった。また、1917年に25歳で発表した「無情」は〈韓国近代文学史で近代長編小説の嚆矢〉とされる。なのにその後の李光洙は転向に転向を重ねていく。若き日よりの友人洪命憙が筆を折って田舎で〈志操を守る態勢に入った〉のと対照的だ。洪命憙だけを讃えているのではない。こもって高邁な精神を守るのか、できうる限りの抵抗と民族を生かすためによりましな方策を講じるのか。李光洙は後者を選んだ。

  植民地時代の文章を読むときには、それがいつ、どこで、どのような状況で発表されたかを見極めることが重要である。

 波田野は〈当然のことだが〉と言っているが、こういうことは忘れがちだ。自由の無い時代の発言が深層にどういった意を沈めているのか、我々は丁寧に捲り挙げなければならない筈だった。波田野節子は実に丁寧に読み解いている。李光洙をだけではない。李光洙の生きた時代の文化史的解釈や明治期以来の日本人の精神性の変化を前提にできる深い知識を根拠とした評伝だ。
 明治期日本人に起こった〈他者を見下すことで自己を確立したと錯覚する安易な傾向〉は、今また起こっていて、政治と密接に関係している。彼らは、今日の日本を覆う戦前回帰の薄汚い主張がどれほど幼稚なものか自覚しないだろう。
 日本人学生たちが学徒出陣した後、朝鮮人学生だけ残って勉強できる訳が無かった。非国民扱いされ酷い目に遭ったのち徴用されるだろう。李光洙は若い同胞の命を戦争に追い込むしか、民族の明日を考えられないところまで追い込まれていた。
 1945年の植民地解放後、李光洙は正直な執筆を再開するが、「親日派の弁」と捉えられ人々の反発を買った。1950年朝鮮戦争の際に朝鮮人民軍に連行され、その後の詳細は詳らかではない。
             (波田野節子『李光洙──韓国近代文学の祖と「親日」の烙印』中公新書)

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