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2015年9月10日 (木)

栗林佐知『はるかにてらせ』

生きがたい人生に寄り添う短編集

Photo 作家栗林佐知について最近まで名前も知らなかった。2002年小説現代新人賞、2006年太宰治賞を受賞している。ところが単行本の発行はこれまで2冊で、昨年11月に7年ぶりに発行されたのが短編集『はるかにてらせ』だ。出版は未知谷というロシア文学など外国文学に強い出版社らしいが、こちらもまさに未知の出版社だった。
 寡作だから売れない作家であると同時に売らない作家とも言えようか。
『はるかにてらせ』の表題作はこう始まる。

  結婚して三年。
  夫婦の枕元に、女の幽霊があらわれて、
  「結婚しないって、言ったのに」

 幽霊は妻であるサワちゃんの高校時代の先輩で、3年前にガンで死んだアリサー先輩だ。サワちゃんはアリサー先輩が死んでいたことを昨日の夕方まで知らなかった。主人公のサワちゃんは幽霊のアリサー先輩と出会うことによって過去の青春を回想する。軽音学部に属して歌を歌っていたサワちゃんは本当は歌手になりたかった。軽音のバンド仲間の何人かは今はプロになって活躍している。でもサワちゃんはコンビニでアルバイトする主婦になってしまった。〈自分で自分を嗤ったこと。歌いたい気持ちを自分で本気にしてあげなかったこと。〉そんなことを後悔した。幽霊のアリサー先輩につきまとわれたサワちゃんは〈「コンビニのおばさんの歌姫」なんてのが、世界に一人くらいいたっていいんじゃないだろうか。〉と思うようになる。ユーモラスな展開が読者を飽きさせない。
 タイトルは、和泉式部の「暗きより暗き道にぞ入りにける遥かに照らせ山の端の月」からとっている。はるか山の端から暗闇を微かに照らす月の明かりに希望を託す。「人生なんてあっという間だ」凡人の軽口が重く響く。
 あっという間に過ぎていく人生の、未来の自分が今の自分を見守っているかも知れない。過去の自分に助けられるかも知れない。「恩人」は自己を貶めるものも輝かせるものも結局は自分だと思わせる。悪意も善意も自分の中にあるのだと。
 「身代わり不動尊」の不動尊や「券売機の恩返し」の券売機は、「はるかにてらせ」の幽霊のようにきっかけであり話し相手である。主人公の心情を汲み取ってくれるが、結構人間的で一寸厳しく接してくる場合もある。これら非人間の人間性に読者は主人公の孤独を感じるのだが、同時に微かな希望が照らし出される。サワちゃんの歌のようにそれぞれに芸術的衝動がある。栗林佐知の太宰治賞受賞作「峠の春は」(解題されて筑摩書房から『ぴんはらり』として出版)に描かれた、戦国時代の少女の、唄に対する執着こそ希望だ。サワちゃんたち現代人も、生活から一歩離れた執着を再発見する。
 「コンビナート」のしまちゃんのような、はた迷惑な悪意の無い純真が憎悪を生むことも知っている。しまちゃんはアリサー先輩にも通じる表象だが、彼らは結局何ものもなさない。
 栗林佐知の小説は、読む側の精神状態によっては、面白おかしかったり、とても悲しかったり、恐ろしい小説だったりする。どんな要素も持っていて、毒の中にもユーモアがあり、悲しみの中に怒りが見え隠れしたりする。生きがたい人生の多様性にうっすらと希望を照らす山の端の月としての小説、と言ったら大袈裟か。悪霊を払う為におばさんがくれた交通安全のお守りほどの役割かも知れない。

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