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2015年5月10日 (日)

山代巴 模索の軌跡

牧原憲夫『山代巴 模索の軌跡』而立書房

主体性の確立による変革は可能か

Photo 1980年11月、山代巴の『霧氷の花』が出版された。私が山代巴の名を知ったのはその少し前、『季刊三千里』1980年冬号に「トラジの歌」の連載が始まったときだ。戦中の軍国主義下、日本の民主化を目指し治安維持法幇助で囚われる吉野光子と、朝鮮人少女金命芳との交流を描いた作品で、『山代巴文庫第一期 囚われの女たち』の第4巻に当たる。『囚われの女たち』は、『霧氷の花』を第1巻として全10巻で構成される。1942年頃から1945年夏まで3年間の山代巴自身の歩みが光子に託された小説だ。
 当時東京や広島などに読者サークルが作られ、盛んに読書会が開かれた。東京の「山代巴を読む会」は、『囚われの女たち』の発刊とほぼ同時に牧原憲夫さんを中心に結成された。全国に会員を持つ会として会報も発行した。若い私も会報の編集に参加させて貰い、いろいろ学ぶことがあった。編集後記など読み返すと恥ずかしいくらい意気揚々としている。『囚われの女たち』の読者にしては、私は若く独善的に過ぎたようだ。
 『囚われの女たち』の完結後、『山代巴文庫第二期』全8巻が発行され、牧原さんはその解説を担当されるなど山代巴の思想と直接的に関わり続けた。私の方はその後読み返すこともなく、『山代巴獄中手記書簡集』の発行も知らなかった。(もしくは目にしても気にかからなかったのかも知れない)
 『山代巴 模索の軌跡』は山代巴の評伝だ。これを書けるのは牧原憲夫しかなかったろう。山代の思想の軌跡を丁寧に追いかけるなど至難の業だ。山代巴は常軌を逸している。「幹部のやったことを批判するのは危険分子と思われても仕方がない」のに共産党組織に連なりながら、幹部を批判する。党中央の決めたことを無闇に信じず、自分で考えて行動する。選挙に立候補しろと言われても断ったり、党中央に平然と逆らう。
 革命運動家山代巴の行動と思想は、それまで書かれてきた歴史の正統性から著しく隔たっている。非転向を貫くよりも、転向してでも仲間を守る道を模索した。非転向で出てきて、集まった同志を一網打尽とされるより、孤独に耐えて守るほうの価値を支持した。
 山代巴の現代史には徳田球一や宮本顕治よりも、丹野セツや田中ウタが重要な位置を占める。どれほどの人が彼女らを知るだろうか。田中ウタについてはかろうじて菅原克己『遠い城』に出てくるが、菅原だってそう有名ではない。
 牧原憲夫はこう言っている。

 国家(権力)が「歴史」を独占したり不都合な記述を抹殺してはならないように、仲間内だけの党史であっても、なにが重要な事実かをめぐる率直な議論を抑圧すべきではない。「歴史」は自己正当化ではなく自己客観化のためにある。

 官僚主義が運動組織に共通する病根である事実を山代は無視できなかった。〈広汎な人々を結集しきびしい現実を切り拓くにはどうすべきか〉という人民戦線の思想、夫山代吉宗とともに築いた京浜グループの精神を生かした運動を模索した。
 そこには〈人権こそ解放の基礎〉という運動論が基本になっている。吉宗は、〈労働者一人ひとりが主体的に状況を切りひらく力をもつためには、指導者は理論や「正しいこと」を押しつけるのではなく、まず「質問の出る雰囲気」つまり不満や疑問を口に出せる関係をていねいにつくる、そして質問に誠実に答えるとともに「日常茶飯に人権の折り目をたたむ」、この二つを基本に「自己の哲学をみがく」努力をつづけねばならない、と結論したのである。〉
 山代巴の文学も運動と離しては考えられない。「一人で百の作品を書くよりも、百人が一つずつの作品が書ける仲間づくりの道」が山代巴の文学的立場だった。山代巴の文学は社会運動としての文学だ。そのために、当時評価の分かれた島尾敏雄の「ちっぽけなアバンチュール」などには否定的な感想しか持てなかった。

 現在の急速な右傾化に山代巴だったらどう対峙したろうか? ネトウヨなんて想像すらできないだろうが、嫉み妬み、被害者意識と優越感からヘイトスピーチを繰り返す人々。嫌韓嫌中本は溢れ、軍国主義時代の戦艦をモチーフにした美少女アニメに熱中する若者も少なくない。SNSで大半が意味不明の言説が飛び交っている。
 山代巴の「泥臭い言葉」の文学で対応できるだろうか? ただ日本を戦争へ追い立てる「論理のない感動」「感動の美学」には敏感に反応しただろうが、3・11以後の頑張れ日本的な、日本国自画自賛の雰囲気にどう対抗していったろうか。
 台頭する排外主義、ヘイトクライムにカウンターを名乗り対抗する人々がいる。その中には右翼を名乗る人から、新左翼、そもそも政治的党派を嫌う人々、日本共産党も入っている。これは果たして人民戦線に繋がるのか? そう単純ではない気がする。
 山代巴は、〈中央集権的な官僚国家ではなく、自主的に考え行動するとともにみずからの社会的責任を自覚する個人を基礎にした自治(自己決定)の社会〉としての社会主義を目指した。だが本当に主体性の確立なんて可能なのだろうか? 希望も見え隠れするが混迷は更に深い。

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