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2015年2月 9日 (月)

『アイヌ民族否定論に抗する』岡和田晃 マーク・ウィンチェスター編

架空の純血に固執する先住民族バッシングをやめろ

『アイヌ民族否定論に抗する』岡和田晃 マーク・ウィンチェスター編 河出書房新社

Photo_2 アイヌ民族バッシングが世評を惹いたのは、金子やすゆき(快之)札幌市議会議員の「アイヌ民族なんて、いまはもういない……利権を行使しまくっている」というTwitterでの発言がきっかけになった。それまでも反レイシズム運動を行っていたSAPPORO AGAINST RACISMは、ただちに金子やすゆき札幌市議を辞めさせるための署名活動を開始し、〈公人によるアイヌ民族へのヘイトスピーチという問題を世に知らしめ〉た。(青木陽子「札幌におけるカウンター行動と金子市議への議員辞職勧告決議を求める署名活動」)
 『アイヌ民族否定論に抗する』はアイヌ民族を否定し貶める差別的論調にたいする対抗として編集された。執筆者は24名にも及ぶ。緊急出版であるにも関わらず、内容の豊富さに驚かされる。無論、アイヌ民族否定論に反対する立場からの意見であるという点だけは一致している。
 出版の趣旨は冒頭の対談(岡和田晃×マークウィンチェスター)に明らかだ。金子やすゆきのアイヌ民族に対するヘイトが、突然現出した一過性の問題ではなく、1990年台中盤以降の小林よしのりや「新しい歴史教科書をつくる会」等の歴史修正主義の潮流と、その後表れた嫌韓嫌中アッピールから続いた問題だ。昨今のアイヌ民族否定論がこれまでの差別と違うのは〈アイヌを貶めるための意図的なネガティヴ・キャンペーンだ〉(マークウィンチェスター)ということだ。彼らは「勉強会」を重ね集会を開いて、アイヌヘイト支持層を作り出している。金子市議は辞職勧告決議を受けても辞職していない。それは彼のヘイトを拡散する一定の支持層をすでに持っているからだ。
 彼らの主張のひとつに「アイヌ利権」という言葉がある。これは所謂「在日特権」と同じく根拠の無いヒガミから捏造された言葉だが、アイヌ文化振興法などのアイヌ政策が歴史的背景を無視して攻撃の的になっている。アイヌにたいする福祉政策が「利権」と歪められ叩かれているのだ。小林よしのりらのアイヌ民族否定論は、アイヌの政治的主張を「特権」の要求とみなしている。〈歴史的に差別抑圧を被ったことへの回復措置を特権と称して攻撃する在特会のロジックとも同型〉だ。(東條慎生「再演される戦前」)
 「弱者利権」なる排除の論理で正当化されるのは、守られるべき「日本人」である自己ということになる。
 アイヌに対しては、純粋なアイヌはいないとか、アイヌに定義はなくアイヌになりすましているだけだとか言いながら、純粋な日本民族の定義など出来はしないことに気付いていない。レイシストの理不尽な問いにもこの本は丁寧に答えている。

    今、我々が「アイヌ文化」とみなしているものは、旧石器・縄文・続縄文時代を経て、擦文文化期を経、またそこにオホーツク文化が渡来し、混交・成熟し成立した。単純に言えば、縄文人の子孫である擦文人を母体としオホーツク人が融合して近世以降のアイヌという民族集団が成立したということになる。

 アイヌも和人も、地球上のすべての民族集団は「純粋」であることはない。すべての人間集団は混交と変容を経て存在している。
                        (大野徹人「アイヌ民族は存在するか」)

 民族に対する単一の定義は無い。先住民族のあり方は多様だ。マジョリティー国家に支配された「先住民族」が独自の国家を持たなかったからといって辱められる所以は無い。その文化が劣ったものとして打ち捨てられるべきものではない。しかし、〈先住民族はわたしたちと同じ時間を共有する現代人〉でもある。中村和恵は「先住民族とはだれか」でこう言ってる。当たり前のことだがハッとする言葉だ。アイヌが民族衣装を着て狩猟生活することを止めたとしてもアイヌはアイヌだ。和人だって着物を着てちょんまげをしてる訳ではない。
 歴史や政治を伝え、文学や文化運動の視点からアプローチし、個々にアイヌ民族ヘイト論を撃破していく。アイヌだけではなく、ヘイトスピーチに普遍的批判を加える。
 教えられることも少なくない。研究者のあいだでは周知のことかも知れないが、樺太アイヌの強制移住についてなど考えたことも無かった。殆ど名前しか知らないアイヌの歌人違星北斗の生涯についても興味深く読んだ。違星は余市コタンの出身だ。余談だが、NHKの朝の連続テレビ小説「マッサン」も余市が舞台になっている。昭和初期だから時代も重なるが、アイヌはまったく出てこない。北海道は維新戦争に敗れた会津武士が死にものぐるいで開拓した土地という一面だけが出てくる。和人の侵略支配の話は出てこない。(多分?)
 村井紀「Tokapuchi(十勝)─上西晴治のioru(イオル=アイヌ・ネイション)の闘争」も特に興味深い評論だ。アイヌ民族の近代史を描いた長編小説『十勝平野』を論じ、上西を〈日本の近代植民地主義とその現代の諸相と(その投影である「近代日本文学」と)対峙した作家として、最大・最高の「現代アイヌ文学者」なのである。〉と規定している。
 倉数茂「〈おぞましき母〉の病理 日本型レイシズムについてのノート」にも考えさせられた。

    目の前に自分と異なる「享楽のモード」──文化的差異と言い換えてよい──を持った人物があらわれたとき、その他者が「我々」の享楽を盗み取ってしまったのだという幻想が生まれる。……日本のレイシストたちは、まさにこの「盗まれた享楽」幻想を、「在日特権」批判というかたちで体現している。

 独自の文化を持ち民族文化祭などで盛り上がる様子や、民族学校で楽しげに学び遊ぶ姿はレイシストには耐えがたい屈辱なのだろう。『#鶴橋安寧 アンチ・ヘイト・クロニクル』を書いた李信恵さんの、ツイッター上で友人たちと韓国料理屋などで興じる報告などにも被害者意識を燃やしたに違いない。
 倉数は差異的レイシズムが民族浄化運動に繋がると説明する。彼らにとっての排除すべき悪しき対象は、実は自分自身に起源するものだ、という点については本書を読んで頂きたい。〈ヘイトスピーチの規制はあくまで対処療法である。困難はその先にある。〉文学的課題が残される。
 岡和田晃の別の本『向井豊昭の闘争』の副題「異種混交性(ハイブリディティ)の世界文学」の意味もこの『アイヌ民族否定論に抗する』全体を読むと理解が深まる。
 レイシストたちのアイヌ民族否定論は、史(資)料全体を読解せず、持論のために都合の良い部分だけをコピペしてつなぎ合わせたコピペ理論だ。コピペ理論に対峙する知性の集積として『アイヌ民族否定論に抗する』は上梓された。
 今も札幌や銀座でヘイト街宣が行われている。ネット上には差別扇動罵詈雑言が溢れている。僻(ひが)み嫉(ねた)み妬(そね)みのヘイトには、このような知性の闘いが必要だ。

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コメント

アイヌは馬に乗りますか?蝦夷とはトルコ・モンゴル系の「韃靼人」だと思います。
山形明郷氏の著書「古代史犯罪」を、一読して下さい。

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