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2014年9月29日 (月)

鄭智我『歳月』

老いは醜いか 清冽な韓国文学の短編集

 日本は超高齢社会に突入し、親の老いを見ながら、介護する自分の老いを感じなければならなくなった。ドキュメンタリーや映画、それに文学でも「老い」を扱った作品は増えている。韓国の作家だが、鄭智我(チョン・ジア)作品集『歳月』はまさに老いを見つめ、老いを描いた短編集だ。そこにあるのは老いを生きるための、どのような理念でも政治でもない。そこに表されたのは文学だ。しかし、文学が政治や経済を含む歴史を背景にしていることも事実だ。
S 鄭智我の小説は〈悲しい韓国の歴史と背中合わせになって〉いる。1945年の解放後、朝鮮半島の南半分では、南朝鮮単独政権の樹立を企てるアメリカと李承晩に対して、分断国家の成立に反対する左翼グループが対立した。金石範の『火山島』や趙廷來『太白山脈』などはそうした歴史を描いた作品だ。鄭智我『歳月』に収録された短編群は、そうした歴史を踏んで歩む人間の姿を清冽に描いた生の物語だ。
 表題作「歳月」は、無学な農村の娘だった「あたし」が革命家に嫁ぎ、パルチザン討伐軍に追われ、生まれたばかりの息子を凍死させるような辛酸の果てに老いを迎え、呆けた夫と向かい合う境地を語る話。小林多喜二『党生活者』の提起した革命家と家族という問題に、一つの回答を得たように思う。我が子の食事を減らしてまで買った高級毛糸で編んだセーターを、獄中の夫は差し入れのない青年にあげてしまい、面会に行った妻を〈自分の家族のことばかり考えている〉と叱る。立派な革命家である夫と、夫を理解し精一杯の努力をするが夫には批判される妻の関係は、『党生活者』の主人公と笠原の関係に似通っている。歳月は、何が正しくてどうする生き方が優しいのか、生きているその瞬間と違った答えを出すかも知れない。
〈あたしもあんたも歳月という監獄の中で生きてきたじゃないか。〉所詮人間は歳月に囚われている。歳月は平等だ。金持ちの娘の裕福な生が幸せだと決めることは出来はしない。貧しく生まれ、パルチザンに参加した夫が囚われの身となり、出獄後も彼女を顧みず、そのうち呆けてしまっても、そんな夫の面倒を見て生きた人生が無駄だったとは誰にも言えない。
 「歳月」の夫婦同様、人間は老いる。「風景」の主人公である男は60歳を越え、100歳近い呆けた母との二人暮らしだ。山の中腹の家は村からは遙かに遠く、たまに村役場の社会課の職員が訪れるくらいだ。男は七歳の頃から母親と二人の生活だった。一番上と二番目の兄は麗水十四連隊について山に入った。パルチザンだ。三番目の兄は博打の取締を石で殴って逃げて以来行方不明だ。五人の姉たちも帰って来ない。男だけがずっと母と暮らし続けたのに、30年前に母が最初に忘れたのは男だった。母は男を山に入った兄たちと間違えて、男の顔を撫で米や干し柿などを背負わせ、巡査が来るといけないと背を押した。
〈男の一生は、家と村を行き来する路上にただひっそりと澱んでいた。〉
 余所へ出て行った兄たちは死に、男は生きた。食べて寝て畑を耕し、母親の世話をする、ただそれだけの人生を男は送っていた。
 『歳月』に収録された作品はどれも山村が舞台で、静かに流れる文章は情緒豊かでもの悲しく、読者の情感を誘う。

   永遠に続くかのようにゆっくりと、それでいて矢のように速く時間が過ぎていった。下の村の方から這い上がってきた暗闇が母親と男を呑み込んで、山のてっぺんに向かって駆けて行った。今にも崩れそうな古い柱のように、母親と男は歳月に耐えていた。月はまだ出ていない。やがて爪先ほどの三日月が、闇の中に浮かび上がるだろう。

 宇宙の老いに比べれば人間などあっという間だ。文学を騙るエクリチュールが憎悪を煽るとしたら、仮構された悪に正義を対峙させるのだろうか? それは憎悪さえ偽物だということになる。実に儚い。
 では鄭智我の闘いは和解を求めるのか、真実を追究するのか? 文学の意味は論理では説明が付かない。ただ、排泄さへ忘れた老婆や、お節介なおばさんを、また寂れた寒村の日々を美しく描いただけだ。

                                                       鄭智我『歳月』 橋下智保訳 新幹社 1800円+税)

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コメント

『歳月』を翻訳しました橋本と申します。
長いあいだお礼を申し上げたいと思いながら時間を重ねてしまいましたこと、なにとぞご寛恕くださいませ。
静かに心の奥を揺さぶるようなご感想を何度もいただき、今でも胸がいっぱいです。

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