フォト
無料ブログはココログ

« 佐藤泰志 『そこのみにて光輝く』 | トップページ | キム・リョリョン『優しい嘘』 김려령 우아한 거짓말 »

2014年6月 6日 (金)

柳美里『JR上野駅公園口』(河出書房新社)

人民の自由は地上にあるのか?

 「 怒りのブラジル! ワールドカップなんていらない!教育、健康、尊厳をよこせ!」とは、ブラジルワールドカップに反対するブラジルの声だ。サッカー日本代表の試合に一喜一憂する我々の暢気さよ。ブラジルの人民が反対するサッカーワールドカップを、無理に開催する必要はどこにあるのか? ブラジルオリンピックもやめて欲しい。2020年の東京オリンピックもご辞退したいものだ。膨大な建築費用を垂れ流し、その借金を国民に背負わせる。それで儲けようというのは誰だ。震災の復興予算さえ資本の餌にばらまかれてしまう。権力者とはいつも笑みを浮かべながら人民には辛くあたる。

 今は亡き文芸評論家の菊池章一さんに、次のような詩を教示されたことがある。

 父母を 見れば尊し 妻子(めこ)見れば めぐし愛(うつく)し 世間(よのなか)は かくぞことわり もち鳥の かからはしもよ 行くへ知らねば うけ沓を脱き棄(つ)るごとく 踏み脱きて 行くちう人は 石木(いわき)より 生(な)り出し人か 汝が名(な)告(の)らさね 天へ行かば 汝がまにまに 地(つち)ならば 大君います この照らす 日月の下は 天雲の 向(むか)伏(ぶ)す極み たにぐくの さ渡る極み 聞(き)こし食(お)す 国のまほらぞ かにかくに 欲しきまにまに 然(しか)にはあらじか

反歌
ひさかたの なほなほに 家に帰りて 業(なり)を為(し)まさに
                                       (山上憶良 万葉集 巻五 八〇〇 八〇一)

 庶民は死んで天に行くまで自由にはならない。地上は天皇の国だ。おとなしく家に帰って働けと、8世紀の詩人山上憶良は諭したのだ。家族のために働けと。
 しかし、家族がいなかったらどうだろう。独居老人の孤独死は社会問題になっている。勤めていた会社の破綻で家族離散になった人々もいる。東日本大震災で家族を失った人たちも少なくはない。
Jrs_5 柳美里『JR上野駅公園口』の主人公には家族がない。上野公園に住まうホームレスの一人だ。家族や誰かのために働くから辛い仕事も我慢できるのだが、人間は自分の飲み食いの為だけに精を出しては働けない。ましてや日雇いは辛い。〈上野恩賜公園のホームレスは、東北出身者が多い。〉福島県相馬郡出身の男は今上天皇と同じ年に生まれ、息子は皇太子の生まれた日に生まれたので、浩宮徳仁親王の「浩」一文字を貰って「浩一」と名付けた。家族のために辛い出稼ぎで凌いできたが、息子を突然失い、続いて妻までも亡くしてしまった。優しい孫に迷惑をかけたくなくって、再び東京に出て来た男は、上野のホームレスとして命をつないできた。民衆の自由など地上にはないのだ。
 現在の地上に天皇個人の自由があるかどうかは疑わしいが、民衆の自由がままならぬ状況であることは疑いようもない。JR上野駅公園口に暮らすホームレスたちは、〈天皇家の方々が博物館や美術館を観覧する前に行われる特別清掃「山狩り」の度に、テントを畳まされ、公園の外へ追い出され〉る。戻った時にはコヤを建てられる場所は狭められている。
 上野恩賜公園は、大正13年1月東京府に下賜された。元来、東叡山寛永寺の境内地だったところだが、明治維新後官有地に指定、帝室の御料地となり、明治後期から大正にかけて宮内省の管轄地だった。だから「恩賜」の文字が付く。
 歳月が帰るべき家族との暮らしを奪い、その日暮らしのホームレスを生み出していく。レストランやコンビニの残り物や、教会の炊き出しで生きていく。生きがいのない生。初めから成りたくて成ったホームレスはいない。それぞれに事情がある。憶良のように家に帰って働けと言う人もいるだろうが、帰る家のない者も多い。
 小説『JR上野駅公園口』は、上野公園と東北の時空間を縦横無尽に連結する。上野は戊辰戦争や関東大震災・東京大空襲・1964年の東京オリンピックと歴史の襞が積み重なって層をなしている。歴史の襞の上に、寛永寺も美術館も博物館も図書館も建っていて、動物園も不忍池もある。上野の山には、官軍として彰義隊や奥羽越列藩同盟軍に勝利し、西南戦争で逆賊になった西郷隆盛の銅像が立っている。すぐそばに彰義隊士の墓もある。
 主人公のホームレスの姿は天皇と表裏に存在し、鏡映しの肖像でさえある。上野公園のホームレスは、奪われても奪われても脈々と雑草の地下茎のように生きていく。どんなに片付けられても、たとえ一人のホームレスが山手線に身を投げようとも、彼らは再生産されていく。
 この小説は「3・11後」の小説である。3・11を描くとはどういうことか? テレビで放映されたように津波の様子や、原発の爆発を描くことではない。また、被災者のその後の生活なら一部報道もされている。3・11に至る庶民の生活と歴史、現在の生の苦難と、未来への予見を照射することだ。
 柳美里は次のように言っている。

     先日、東京五輪の経済効果が二十兆円、百二十万人の雇用を生むと発表されました。(中略)
     一方で、五輪特需が首都圏に集中し、資材高騰や人手不足で東北沿岸部の復旧・復興の遅れが深刻化するのではないかという懸念も報じられています。
     オリンピック関連の土木工事には、震災と原発事故で家や職を失った一家の父親や息子たちも従事するのではないかと思います。
     多くの人々が、希望のレンズを通して六年後の東京オリンピックを見ているからこそ、わたしはそのレンズではピントが合わないものを見てしまいます。
    「感動」や「熱狂」の後先を──。

 至極最もだ。オリンピックやワールドカップに熱狂するうちに、自分の足下を見失うことがないように願いたい。我々人民に地上の自由を!!

[参考]『貧乏の神様』を読んで『仮面の国』を再読する

« 佐藤泰志 『そこのみにて光輝く』 | トップページ | キム・リョリョン『優しい嘘』 김려령 우아한 거짓말 »

「書評」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/571716/59768784

この記事へのトラックバック一覧です: 柳美里『JR上野駅公園口』(河出書房新社):

« 佐藤泰志 『そこのみにて光輝く』 | トップページ | キム・リョリョン『優しい嘘』 김려령 우아한 거짓말 »