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2013年12月13日 (金)

父親は死刑囚

ファンヨンチ
黄英治 『あの壁まで』
影書房(1800円+税)
──反動の時代に抗う小さな灯

 

 12月6日、自民党・公明党により特定秘密保護法が強行成立させられた。「特定」と言っても何も特定していない。何が秘密か分からないから、自分でもなんだか分からないうちに逮捕されたりする。公表され得ない秘密を裁判官は公正に判断できるのか? 三権分立は大丈夫なの?
Anokabemade
 NHKの朝の連続テレビ小説「ごちそうさま」は、現在大正12年(1923年)まもなく関東大震災だが、まさに大正デモクラシーの真っ最中だ。そして震災を経て1925年には悪名高い治安維持法が制定される。この治安維持法はどんどん拡大解釈され、あまりにもつじつまが合わなくなってきたので1941年に大幅改訂された。つまり大正デモクラシーも昭和の始まりと共に終わり、日本は戦時ファシズム国家に変貌していったのだ。特定秘密保護法とは現代の治安維持法と言っても過言ではない。
 日本が戦後民主主義を謳歌していた現代史の一時期に、韓国には軍事独裁政権が居座った。むろん、朝鮮半島の政治的分断を招いた根本的原因が、日本による植民地支配にあることは言うまでもない。黄英治『あの壁まで』の主人公スギは在日朝鮮人だ。中学生のときに、祖父家族の住む韓国に父親が行ったきり戻らなくなる。朴正煕が軍事独裁政権を確立し、民主主義勢力に凄惨な弾圧を加えていた時代だ。ちなみに現在の朴槿恵大統領は、朴正煕の娘だ。
 「韓国」籍の在日朝鮮人である点を除けば、両親と弟妹たちと暮らす平凡な女子中学生だったスギを、突然襲う現代史の大きな罠。韓国に行った父親が北朝鮮のスパイ容疑で逮捕され、死刑を宣告されてしまった。父の救出・救援のために奔走する母。スギも救援集会や家の仕事で学校を休みがちになる。
 中学校で孤立していたスギも、高校に入ると仲の良い友だちを作り青春を謳歌するようになった。その一方で死刑囚の父を救うための家族の闘いは続いている。両方とも自分であるのにその間で揺れていて、友人や先生たちに在日韓国人政治犯の娘である自分をさらけ出せない。友人から聞かされたサイモン&ガーファンクルの歌に自分を重ねて、心の壁を確認する。
 スギはやがて先生や友人たちを救援運動に巻き込んでいく。そして朴正煕政権から、短い「ソウルの春」と凄惨な光州事件を経て、全斗煥政権に移った韓国に行き来するようになる。囚われの父に面会するためにだ。韓国で味わう屈辱と愛情が彼女をよりたくましく育んでいく。この小説はスギの成長を描いた教養小説の趣も持っている。
Seodaemun_prison__s

 スギが面会に通った西大門刑務所は、現在も残っている。ソウル西大門区にある「西大門刑務所歴史館」がそこだ。もとの西大門刑務所をそのまま博物館として使用している。外観はアウシュビッツもかくあらんと思わせる雰囲気で、見学に足を踏み入れると静謐な時間の流れに包み込まれる。日本帝国主義支配の時代には多くの独立運動家たちが収監され、殺されていった場所であり、戦後の独裁政権時代には民主主義運動に関わった市民や学生・労働者が収容された。スギのアボジ(父)もここに収監されて、終日手錠をはめられていた。〈屈服を強いるために手錠をするんだ。監獄に囚われて自由を奪われているうえに、両手が突っ張って眠ろうにも眠られず、飯を食う、排便をする、服を着替えるという人間にとって基本的なことすべてが、看守の許可なしにできない状態をつくる。この制度は日帝時代からの悪習だよ。だから監獄は、思想転向制度とあわせて日帝時代のままだった。〉
 韓国の軍事独裁政権の人民弾圧は、日本帝国主義の植民地人民弾圧を踏襲している。韓国の軍事独裁政権は、日本の軍事ファシズムの模倣であり子孫であり残滓だ。スギのアボジをでっちあげのスパイ容疑で逮捕したのは、富国強兵の日本軍国主義の実態を伴った亡霊なのだ。
 黄英治『あの壁まで』は、一読すると韓国独裁政権に苦しめられた在日韓国人家族の健気な話として読まれうるのだが、実のところ日本帝国主義を告発した作品でもある。一人の少女の精神的成長に私たちは、良かった良かったと拍手を送るのではなく、「特定秘密保護法」に反対する、反動の時代に抗う希望の灯として読みたい。

注文は書店の他、下記でも可
http://www.kageshobo.co.jp/main/books/anokabemade.html
kyotai@za.cyberhome.ne.jp

※この記事は、林浩治著『在日朝鮮人文学 反定立の文学を越えて』(新幹社)1500円+税 に集録されています。

 

2013年12月 3日 (火)

いとうせいこう『想像ラジオ』

文学は「死者の声」を聞く作業だ !!

 11月30日浦和の埼玉文学学校で登芳久さん講義に出席した。登さんの話は「身体感覚の喪失」といったようなもので、仕事がパソコン作業中心になり、臨場感がなくなっていき、マニュアル化で実体験が不足しているので、職場を描いた場面が知識不足で表現が浅い、というようなことだった。身体感覚を失うと想像力も失う、というようなことも話された。
 なるほどなるほどと拝聴したのだが、現実に四肢の筋肉をあまり酷使することのない職業が増えているので、「身体感覚」とはなんぞやという疑問が湧く。
 その日の二次会の酒席で、いとうせいこうの『想像ラジオ』に感心した旨の発言をした。「死者の声を聞く」小説だと言ったところ、向かいに座った女性Mさんに「霊魂ってこと」って聞き返された。そうではないのだ。
 『想像ラジオ』はDJアークを名乗る男とリスナーたちのやりとりが中心なのだが、このDJは〈あなたの想像力の中でだけオンエアされる〉「想像ラジオ」だというから変わっている。妻子のある38歳Uターン中年が、軽快に語りかける想像ラジオ。3・11震災後、彼は杉の巨木の上で仰向けになって放送している。
 リスナーはさまざま。スーパーで野菜の仕入れ担当をしている北関東のアブラナさん。箪笥屋のアタリさん(実は中学の同級生だった前田陽子さん)は、いったん逃げたが預金通帳を取りに行って津波に呑まれた。海の宿に宿泊中だった会社役員キミズカさんは部下を探している。半ば寝たきりの大場ミヨ・キイチ老夫妻もいる。
 匿名希望の女性は〈冷たい水の底へとたぶんゆっくり落ちて〉いる。

自分の手足も、揺れて動く長い髪も、破けて体にまとわりつく衣服も、光をひと粒残らず奪われているから私には見ることが出来ません。まさしく想像以外に私の存在を確認するすべもなく、実際には水圧が重くかかっていて口も開けられないし、唸り声ひとつあげることが出来ないほど衰弱している。DJアーク、あなたは私の声をたくさんの方々に伝えてくれます。あなたに話しかける他、私は私がいると確信することが出来ません。

 これは死者の声なのだ。霊魂とか、幽霊とかではなく、死者の声を聞こうという試みがこの小説である。死者の声は想像力を駆使したリスナーにしか届かない。死者はリスナーがいなければ、深い闇の中で自己の存在を確認することができない。そう、この小説の素材は3・11東日本大震災だ。3・11の犠牲者の声を書こうという大胆で果敢な挑戦なのである。
 『想像ラジオ』のDJは自らが死者でありながら、死者たちの声を集めている。そして彼は生き残った者たちにも声を届けようと努力する。DJアークは想像ラジオを通して妻子に呼びかける。その声は届かないのか、妻子の声が彼に届かないのか分からない。
 『想像ラジオ』は死者の声を生き残ったものが聞く(読む)という試みでありながら、死者たちも生者の声を聞こうと努力する。それはお互いに想像力を駆使した努力が必要になる。『想像ラジオ』は小説という形をとることにより、生者に届く死者の声だ。そう考えてみると、存在感や身体感覚も想像力なしにはあり得ない。
 想像力の産物である文学は、結局死者の声なのではないか? 作者が存命だとしてもだ。たとえば大江健三郎。自己の老年を含めてカタストロフィーに向かいつつとはいえ、生者である彼が書いた作品もまた、死者の声なのだ。金石範の『火山島』など済州島四・三民衆蜂起を題材にした小説もまた、犠牲者たちの声を私たちに届けようという試みであった。金泰生はまさに在日朝鮮人の死者の声を私たちに届けてくれた。
 良き文学作品読むことは、想像力を恢復し死者の声に耳を傾ける機会を得ることに繋がる。私たちが日々身体感覚を失い想像力を奪われていく過程は、文学によってしか恢復されないのではないか。
 『想像ラジオ』のDJアークはリスナーの声を紹介するあいまに曲も流している。知っている曲もあれば、音楽に詳しくない私には馴染みでない曲もある。知らない曲の中から一曲、ボブ・マーリー「リデンプション・ソング」を紹介する。想像して聞いて下さい。
訳詞は、下のブログに紹介されていたので参考まで。かっこいい詩です。
http://yacco369.ti-da.net/e3423697.html

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