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2013年11月17日 (日)

イ・ジョンミョン『星を掠める風』

文学と映画行ったり来たり 第28回
星を掠める風──詩人尹東柱の死

イ・ジョンミョン『星を掠める風』2012年7月(은행나무)40

 昨年(2012年)夏、岩波文庫に尹東柱詩集『空と風と星と詩』が入った。それまでも尹東柱詩集は複数翻訳出版されているし、評伝や研究書も数多い。尹東柱は韓国の国民詩人と呼ばれる存在なので、韓流がすっかり根付いた昨今当たり前のことだ。それにしても詩の売れない我が国で、韓国の詩人の詩集が文庫本になったのだから驚きだ。ちなみに翻訳は在日朝鮮人詩人金時鐘である。
 岩波文庫版『空と風と星と詩』発行と同時期に、韓国で尹東柱をモチーフにした小説が発売され、話題になった。作者は、ドラマにもなった『根の深い木』 『風の絵師』など歴史的素材を扱ったベストセラーを連発したイ・ジョンミョン。作品名は『星を掠める風』である。尹東柱を語るのに相応しタイトルと言える。
 舞台は1944年冬から翌年までの福岡刑務所。学徒動員で徴用された若い看守ワタナベユウイチ(仮に「渡辺勇一」と漢字を当てておく)の、これはエピローグまで読んで分かることだが、小説の形を借りた手記として描かれる。
 勇一が看守として勤務する福岡刑務所で、先輩看守のスギヤマトジャン(仮に「杉山刀残」としておく)の変死体が発見された。天井の梁に巻かれたロープに首をつるされてぶら下がっていたのだ。勇一は、杉山刀残の遺留品を整理して事件報告をするように命令される。勇一は刀残の看守服の上着ポケットに詩の書かれた紙片を見つける。
 杉山刀残はノモンハン戦争の生き残りで戦争の英雄であり、看守としても勇猛果敢で知られていた。「戦争捕虜待遇」を要求した朝鮮人囚人立てこもり事件を、警棒を振るって、一人で鎮圧したことで勇名をはせた。警棒で囚人たちを情け容赦なく殴り飛ばす非情な乱暴者で、詩とは縁もゆかりも無さそうな男なのである。
 勇一が調査していくと、度々脱走を試みて何度も独房に収監されるチェ・チス(仮に「崔致修」としておく)が浮かび上がった。崔致修は満州などで独立運動を戦っていた闘志で「共産主義学習及び国家転覆、要人暗殺企図、内乱陰謀」の罪で無期囚として収監されていた。獄中の朝鮮人の間に最も影響力を持った男だった。崔致修は手下たちとともに独房の便所から脱走のための穴掘り続けていたのだ。杉山はそれを知り、穴を埋めさせようとしていた。
 囚人たちに大きな影響力を持つもう一人の男がいた。平沼東柱(=詩人尹東柱)だ。彼は字の書けない囚人たちのために代筆していた。それも検閲官である杉山の検閲を通過できるようにうまくまとめ、しかも刑務所内の様子を的確に家族に伝えるものだった。また杉山に促されて行っていた凧揚げも囚人たちの関心の的だった。その平沼も崔致修に促されて脱獄穴掘の仲間に入ったが、彼は脱走とは別の方向に掘っていた。
 尹東柱は文学や芸術を愛し、自らも朝鮮語で詩作をしていた罪で逮捕収監されていた。杉山は尹東柱の影響を受けていたが、相変わらず尹東柱や朝鮮人囚人たちを怪我するほど殴打していた。
 勇一は杉山と同じように尹東柱に惹かれていく。杉山の打擲の本当の理由は何だったのか? 杉山の死後、医療処置を受ける度に意識も肉体も弱っていく尹東柱たち。死んでいく囚人たちも少なくなかった。彼らが受けた医療処置は何だったのか? 杉山刀残を殺したのは本当に崔致修なのか。崔致修は本当に処刑されたのか。実在の詩人尹東柱を中心に置きながら、謎が謎を呼ぶ推理小説の様相を見せる。勇一は、九州帝国大学医療チームが福岡刑務所で行った恐怖の生体実験にたどり着く。尹東柱の死の意味を勇一は知っていた。

残念でならない。彼を失うのはわたしだけではない。わたしたち皆だ。わたしは友を失い、朝鮮人囚人たちは賢明な同僚を、看守長は容赦を請わなければならない相手を、看守たちは温和な模範囚を失うのだ。未来の朝鮮人たちは偉大な師匠を失ない、これから生まれ来る日本人たちは恥ずべき過去を証言する知識人を失った。わたしたちすべては、これまで持ったことのない、またこれからも永遠に持つことのない純潔な詩人を失わなければならなかった。

 読者は二転三転する物語に魅了されると同時に、尹東柱や勇一の見せる文学への執着に視点を向けざるを得ない。読者はまた、温和で芸術を愛する知識人の顔を持つ病院長と、悪態を吐きながら囚人たちに暴力を振るう杉山看守の姿を対比させ、混乱しながら、やがて真実の文学をぼんやりと感じることだろう。文学にプラグマティックな力がある訳ではない。しかし文学には命を落としても守るべき価値がある。この小説を読めば、そう思える。
 エピローグ、福岡戦犯収容所戦犯容疑者審問において勇一は次のように応えている。

人々は真実を語ることを虞れ、事実を受け入れることを嫌います。私の記録は虚構ですが、場合によっては虚構が事実よりもっと多くの真実を伝えることができます。私は真実を語りたいのですが、私が見た真実をそのまま記録することはできませんでした。あまりにも惨たらしく、あまりにも残酷で、わたし自身さえもそれに耐えられなかったのです。

 これは、作者自身の文学論であると言っても過言ではあるまい。
 

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