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2013年5月 3日 (金)

鷺沢萠『私の話』

いまさら鷺沢萠

Photo_2 2004年(平成16年)4月11日、鷺沢萠は東京都目黒区の自宅で自殺した。9年前、35歳だった。『わたしの話』は2002年単行本が発行され、2005年に文庫化されたが、迂闊にも読んでいなかった。なぜか?
 河出文庫『私の話』の酒井順子による解説が的確だ。静かな愛情が籠もっている。酒井順子が書いているとおり、鷺沢萠に対する「読者わたし」のイメージは〈スタイリッシュでサラリとした都会人〉といったものだった。関心がない訳ではなかった。が、1993年に「帰れぬ人々考」(『戦後非日文学論』所収)という短文を書いただけで、それほど深く考えていたわけではなかった。ただ、アイデンティティを探す若くて可愛い作家というだけで、ちやほやされがちな立場を、少し苦々しい気持ちで眺めていたことは事実だ。彼女が朝鮮人の血を引くことを書き、それから韓国に留学して、朝鮮にこだわった文章を多く書くようになっても、わたしの眼は冷淡だった。四分の一の血に拘ってアイデンティティをそこに求めようとするのは違うのではないか、という意識だ。
 しかし、鷺沢萠はそんなことは重々承知のうえで書き、苦しんでいた。いまさら『私の話』を読んで鷺澤の煩悶を知る。遅すぎた。まともなもの書きであれば誰でも突き当たる壁に彼女は突き当たっていた。書くことによって傷つく人々の存在。酒井順子が書いているとおり。「おばあちゃんのことは、もうよしとくれね」という祖母の一言に「頭を鈍器で殴られる感覚」を受け、恥じ、恐れた鷺沢萠。
 鷺沢萠はスタイリッシュで健康的な、可愛らしい作家などではなく、賭け事(麻雀らしい)や飲酒(煙草も吸ったらしい)に身を持ち崩し、シャワーも浴びず、化粧もせずに二日酔いの頭と下痢腹を抱えながら外出するような無頼な作家だった。繊細で生きベタだったのだ。作家らしいと言えば作家らしい生き方である。鷺沢萠は書くことに対する虞れを持っていた。わたしは読めていなかったし、読んでいなかった。読めていなかったから、9年前の死は唐突に感じられた。鷺澤の持った死の影をまったく感じていなかった。
 「いつか絶対に戻ってきてやる」という高級住宅街にたいする歪んだ欲求を、歪んでいると誰よりも強く感じていたのは本人だった。ひとに言われるまでもない。その歪みに向かって努力したのが、鷺沢萠だった。そしてその努力の虚しさも嫌と言うほど知っていたのだろう。勉強をするために働き、スタイリッシュに遊ぶためにも働き、ボロボロになった自己を恥じたに違いない。作家としての自己を恥じるということが、作家としてどれだけ大切なのか。そういう意味で未来のある有望な作家だった。
 酒井順子が言うように、果たして「燃え尽き症候群」だっただろうか? その点には疑問が残る。……しかし、われわれは惜しい作家を9年前に失っていた。いまさらだけれど。

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コメント

うーん、なんかちがうんだよなぁ。
サギサワさんにそんな印象は、無い。
酒はうわばみだったし、シャワー浴びてないような人でもなかったし、化粧は、会うときも、TV出てる時も、わりかしきっちりしてた(むしろ濃かった)よ?

そもそもだけど、自己主張強いし、わりと他人を顧みない、少々のことで自殺するようなタマじゃなかったけど、「酷い目にあったことないんだろうな」という人だった。

個人的には、なんか、普通の女性なら発狂するくらいの酷い目にあったんじゃないかなぁ、と思ってるんだが。

ってか、朝鮮に拘ってたのって、ルーツ云々のことじゃないんだよね、実際。朝鮮がらみのことで、サギサワさんが何に首突っ込んでたのか、今更知る由もないけど、その辺りに真相あるんじゃない?

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