フォト
無料ブログはココログ

«  『道―白磁の人―』 | トップページ | 三浦しをん『舟を編む』 »

2013年2月24日 (日)

波が海の業ならば 김연수キム・ヨンス

文学と映画 行ったり来たり
    ――不急順不同、起承転結なし(主に韓流)
                                       
第25回、文学の深淵に語りかける声なき声
――『波が海の業ならば』 김연수キム・ヨンス(子音と母音)
 人と人は理解し合えない。ことばはお互いに通じない。それでも、理解されたくて書く。理解されないからこそ理解して貰おうと努力する。
 韓国で数々の文学賞を受賞した流行作家キム・ヨンスは1970年生まれだから、まだ若い作家といえるが、その文学信条には共鳴する。

   人と人のあいだには深淵が存在する。深く暗く冷たい深淵だ。生まれてこの方何回その深淵の前でためらっただろうか。深淵はこう言う「我われはお互いに越えられない」。……わたしのことばたちは深淵の中に落ちる。そしてわたしはまた書かなければならない。

S  キム・ヨンスの小説『波が海の業ならば』は昨年(1912)12月、「Asahi Sinbun GLOBE』に戸田郁子によって紹介された。「業(わざ)」と読ませるのだと思ったが、戸田によると「業(ごう)」と読ませるのだそうだ。「わざ」だと平板だが、「ごう」と読ませると暗い感じが作品と合っている。間違っても「仕事」などと訳さないで欲しい。
 さて、この小説、平易な文体と言えるが、人称の変化や登場人物の多様さ、時制の行ったり来たりなどの難解さがあって、半分まで読んだところでもう一度頭から読み直すはめに陥った。その後も読んでは戻りして、確認しながら読まされた。作者の罠にはまったのだった。
 カミラ・ポートマンは黒い髪に一重まぶたの女性だ。二年前に養母と死別したカミラに養父から6個の大箱が届く。それはカミラ自身の記憶にまつわるものものだ。海洋学者の養父は妻が死んだあと、若い大学院生との再婚を望み、韓国からの養女カミラの荷物を整理した。
 カミラは箱の中に入った品物を無作為に選んで、一つずつに関するエッセイを書き始めた。それはボーイフレンドでペルー出身の詩人ユーイチの言葉に従ったのだった。カミラはそんなことがきっかけとなりノンフィクション作家として世に出た。
 カミラはニューヨークの出版社と、自分のルーツを訪ねるノンフィクションを書く契約をし、一年間ソウルで語学研修を受けてから、チンナム(鎮南か? 架空の市だが、取りあえず以後「鎮南」をあてておく)を訪れた。
 カミラの出身地鎮南は、朝鮮半島南端の港町だ。カミラはユーイチを伴って、母がカミラを生んだ当時在学中だったと思われる鎮南女子高等学校を訪ねる。そこは良妻賢母を育てることを校是とするような保守的な学校で、校舎の裏山には、烈女碑が立てられていた。秀吉の侵略のさいに、日本軍に貞節を侵されるのを嫌って、自ら命を絶った両班の婦人を尊んで建てたものだ。
 女性校長のシン・ヘスクはカミラに非協力的で、カミラの母が同校の学生だった事実を隠そうとする。しかし、新聞社などの協力も得て調べていくと、母親の同級生だという証言者も現れ、カミラの実母チョン・ジウンは1987年17歳の高校在学中にフィジェ(カミラ)を生んで、翌年海に投身自殺したことが分かる。娘は、アメリカへ養女として移住させられていた。。
 1985年の造船所争議が時空間の根源にあり、ジウンの父親もそのさいに死んでいる。造船会社の経営者一家の没落にまつわる物語が交差する。そして「洋館」と呼ばれる邸宅の変遷。海の底での25年ぶりの再会。
 中学生の時に父を失ったジウンと、兄の関係は? 高校でいつも図書館に籠もる文学少女ジウン。彼女に同情する若いドイツ語教師チェ・ソンシクとのあいだに愛はあったのか? カミラの母ジウンを本当に愛したのは誰なのか? その時、ジウンの同級生たちはどうしたのか。カミラの父親の謎。物語はひとつも説明はしない。読者は想像力を全開させなければならない。文学でしか表せない魂の言葉が表出される。
 保守的な風土と因習の町にアメリカ娘がルーツを探しに行くというだけでも面白いのに、この小説は文学の根源を探りながら展開される。「わたし」とは誰か、「あなた」とは誰か? そんな自明にさえ、読者は翻弄される。カミラの母親チョン・ジウンの時代とカミラの現在とが、混じり合っていく。時制を超えた存在こそ文学なのだと思わせる。
 アメリカ、韓国、日本、バングラデシュ、ロンドンと広がる空間に、1920年代から現在に至る時系列が蔦のように絡みつく。
 作者と読者のあいだにも深い深淵があり、翼の生えたジウンの魂が飛び交っているようだ。この物語の本当の主人公はジウンなのか? それとも……。
 「おまえに語りかけたいけれど、話すための唇がわたしにはない」こうした煩悶こそ、作家が書く根拠なのではなかろうか。

«  『道―白磁の人―』 | トップページ | 三浦しをん『舟を編む』 »

「文化・芸術」カテゴリの記事

「文学と映画 行ったり来たり」カテゴリの記事

「書籍・雑誌」カテゴリの記事

コメント

コメントを書く

(ウェブ上には掲載しません)

トラックバック

この記事のトラックバックURL:
http://app.cocolog-nifty.com/t/trackback/571716/56831391

この記事へのトラックバック一覧です: 波が海の業ならば 김연수キム・ヨンス:

«  『道―白磁の人―』 | トップページ | 三浦しをん『舟を編む』 »